Join me on Facebook
ラベル Uncle George Na'ope の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル Uncle George Na'ope の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

3.03.2017

Nū Hou Hālau

Master Kumu HulaのB.D.

2017年2月25日(土)
今日はUncle George Na'opeのB.D.、私の偉大なる師匠のB.D.。
朝一のKa papa Pualokeでも、


その次のSP classでも、


Lanakilakeikiahiali'i chantがうたわれた。このchantは彼をたたえるchant。
今頃アンクルはKumu RayやTakako-san、Bobby Boyに囲まれて祝杯をあげているのだろうなぁ Laniにて。

昨日のKa Papa Ilimaのクラスが始まる前にレイメーカー タカコさんがUncleのために作ったLeiをKuahuに捧げていた。

きれいなLeiにUncleはご満悦だろう!
タカコさん、忘れずにいてくれてありがとう!!


もちろん皆でOliもした。Uncleに届けとばかりに大きな声でうたった。

11.25.2016

Nū Hou Hālau

MBDIS

2016年11月19日(土)
一週間のお稽古終りが土曜日、週で最も忙しい日でもあるので、私の手帳には MBDIS と書かれている。(Most Busy Day It's Saturday)コレは私の造語。

今朝も6時起床で長い一日に備え、スパムむすびをこしらえた。普段でもスローな私がお弁当作りをするのだから、ゆうに2時間はかかった。(一日外出しっぱなしなので、必ず洗い物をすませ、
Kitchenをぴかぴかにして出かけるようにしている。)
“あ~8時!!” あわててお風呂に飛び込んだのは良いが、自分でもびっくりするくらいの長風呂なのだ。我が家には“時間泥棒”がいて、私の時間を喰っているに違いない。AM9時30分からお稽古が始まるのに、9時20分過ぎに家を出た。
Alaka'iのPoliがちゃ~んとHālauを開け、時間通りにクラスがスタートできているから良いものの、とても私一人ではHālauをやっていけない。時にPoliが神様のようにみえる時がある。こんな時。

さておいしいスパムむすびのお供として、京都の友人が送ってくれた、だいこんのはんなり漬けをタッパーに入れて持っていったは良いものの、車の中はもとより、Hālauの皆から苦情殺到!! “ホントにごめんなさい!!” いや~くさかった!!
美しいものにはトゲがあり、時としておいしい物はクサイのだった。


12時30分のお稽古が終ったら、ヒデ子さんの息子さんが今夜の“Ahakuka”(学習会)のためのスクリーンを持ってきてくれ、鏡をシーツで隠してくれた。いつも協力して下さって感謝!! 私の作った“スパムむすび”をお二人(ヒデ子さんと息子さん)にもおすそわけ。スパムむすびとはんなり漬けでお昼をすますとお昼寝タイム。30分もするとミュージシャンの練習時間となった。

PM2時から5時までの3時間、歌いっぱなし、ウクレレ弾きっぱなしで、ホ~ントクタクタになる。(でも私の裏ワザ、土曜の朝にはKitchenに立って片手を腰にあて、ユンケルを飲む。長時間労働の日はこれに限るのです。なにしろ私の仕事は肉体労働だから。)音響機材を片付け “おつかれ様、また来週!!”といって解散する時、“あ~一週間がやっと終った” とほっとする。ところが今日は6時から“Paepae meeting”、7時からは“Ahakuka”(学習会)があるので、まだ帰れない。

Paepaeさん達がやってくるまでのちょっとの合間に、私とPoliはアイスクリーム屋さんに駆け込み、ワッフルコーンのダブルをほおばった。甘~いアイスクリームは、そろそろ集中力の欠けてきた脳をシャンとさせ、その糖分が疲れきってぼろ雑巾状態になっている体に活を入れてくれた。ラムレーズンとジャモカコーヒーのアイスクリームの味を思いっきり満喫しているうちにも、体の内からまたエネルギーが湧き出てくるのを感じた。さぁ~もうひと仕事!!



Ahakuka

今年のHawai'i tourでHonoluluにある大好きな店“Na Mea Hawai'i”でUncle George Na'opeのD.V.Dを見つけた。内容はHulaに関するトークショー。2005年に撮影されたもので、是非Ohana達に動くUncle、話すUncle、歌うUncleを見てもらいたいと思い、Ahakukaを催す事になった。
なにしろUncle GeorgeがHālauに来たのは2007年が最後で、それ以降、病の床に着いたから、新しいOhana達は写真でしかUncleを知らない。
Paepaeさん達と今日の打ち合わせをしているうち、三々五々とOhana達が集まってきた。

11.04.2016

Nū Hou Hālau

A Chance meeting

2016年10月26日(水)
今日は師匠George Na'opeの7回目の命日。
昨夜のお稽古のときからHālauにはお線香を焚いた。そのお香は京都の仁和寺で手に入れた不思議なもの。普通の線香なのに、火をつけて燃えていくと、残った灰に仏様とお経の文字が浮かびあがるというもの。皆は珍しがって覗きこんでいた。



月曜日あたりから、なぜかアンクルジョージの事を話題にしたり、思い出したりするので、「あ~命日だ」と気づいた。

世の中には「偶然の出会い=a chance meeting」というのがあって、私とアンクルとはまさにそれであった。まったく見ず知らずの他人の家のおばあちゃんの家に連れて行かれるようにしていって、そこでアンクルを紹介され話をしているうち、彼の前でHulaを踊る事になり、(しかもこの出会いはハワイではなく、この沖縄での事)気がつくと彼の魔法にどっぷりかかってしまっていた。私はハワイへ足繁く通い(サーフィンの仕事をしていたのが都合よかった。)彼から一対一でのお稽古を思いっきり楽しんだ。

朝から晩までアンクルと一緒だった。彼の指示通り、朝の8時には彼の家のテラスでお稽古が始まるので、10分前に車でそこへ着き、ストレッチをしていると、コーヒー片手に煙草をくゆらせ、アンクルが出てくる。Honiをして、お稽古の始まり。Pahuを叩きながら、何やらChantするアンクル。「ハイ、やってごらん。」アンクルのまねをしてPahuを叩き、何やらアンクルの言っていたChantの真似をしてブツブツ言うと、アンクルのしかめっつらが一気にくずれ「お前はおかしいねェ~」と大笑いするのであった。
そのあと、ひとこと、ひとこと意味を説明しながら教えてくれた。でも、それは紙に書いて渡してくれるのではなく、すべて耳から習った。
お昼になると私のドライブで近くのモールに行き、アンクルはギトギトの肉を、私は野菜の弁当(?)を買い、煙草の吸えるテラス席でランチをした。なぜかって、アンクルは食べているより、煙草をくゆらしている時間が長かったから。
いろいろな話をしながらゆっくりと昼食が終わると、次は“お昼寝タイム”に入る。アンクルを家まで送り、やっと自分時間ができる。
夕方5時頃家を出て、アンクルの家で彼を乗せ、Keauhouのホテルまで連れてゆく。きらびやかに着飾ったアンクルはもう先程までの派手なおじいちゃまではなく、きらきら輝くスターに変身しているのだった。
そのホテルで彼はエンターテイメントの仕事をしているのだ。彼のステージは楽しかった。ミュージシャンと共にウクレレを手に演奏したり、歌ったり、ジョークをとばし、観客の心をぐっとつかみ、Pahuを打ち鳴らし、イプヘケを叩きながら、Kahikoの解説をする。
ダンサーはU'ilani(私が居候する家の娘)とPili(アンクルの養子)。二人とも中学生になったばかりのまだあどけない可愛いダンサーだったが、U'ilaniの優雅さは大人顔負けで、Piliちゃんのコケティッシュな踊りに観客は湧いた。私は毎晩、ただでこのショーを見る贅沢を堪能していた。

あ~なつかしい!! アンクルとの思い出を語ったら、何日かかるだろう。とにかく山のような想い出がぎっしり私の心の中に詰まっている。今日は一日ゆっくりアンクルの事を考えて過ごそう。

Ka Papa PikakeではKamomiが皆を代表して、素敵なLeiを作ってきてくれ、皆でアンクルのOliをしてくれた。



3.04.2016

Nū Hou Hālau / 蘭写真集-3

Uncle's B.D Week
2016年2月23日(火)
F.ミユキさんがHālauに入ってくるやいなや「Kumu、山根教授と連絡がとれて“アンクル・ジョージが教えてくれたこと”の本があと40冊あるそうですよ。ただ、前の仕様とはちがってハワイの人達からの要望で英語でも書かれているそうです」とおっしゃるので、私は即“40冊全部購入するので送ってもらって”と答えた。
案の定、Ho'oponoponoの際にミユキさんがその本の話をしたら、その場で25冊、次の日の最初のクラスで15冊、これで40冊の予約は完了となった。その後のクラスの人達はくやしがっていた。以前この本が出版された時にはHālauでまとめて注文したので、古くからいる人は全員この本を持っているが、新しいHaumāna達は持っていなかったので、予約できた人はミユキさんの行動力に感謝していた。

そしてミユキさんのおかげで“気になっていた事のひとつ”が解決した。
それは2008年のUncleのB.DにプレゼントしたHālau全員が必ず一針は縫った(小さな子供達は大人が手をそえて手助けをした)ハワイアンキルトのベッドカバーの行方だった。
キルト全体の構想は私がした。クラスの名前の花々をモチーフにして、それらを各クラスが仕上げてゆき、それを大きな土台の布に散りばめ、枠のデザインをつけ、そして芯を入れキルトにした。
その製作は1年以上かかったと思う。特に全体のキルトをするために、皆仕事帰りや週末の空いた時間をみつけてはHālauに来て、せっせせっせと針仕事にいそしんだ。






そうして作りあげたハワイアンキルトは2007年のHō'ikeのステージを飾った後、私とPoliがHawai'i島のHilo(その頃はKonaからHiloへ移り住んでいた)のUncle Georgeのお宅へと届けた。
Uncleは全員が携わって作られたキルトを見て、目を細めとても喜んでくれ、すぐさまそれまでUncleのBedにかけられていたベッドカバーをはずし、我々の持ってきたベッドカバーへ替え(もちろん我々が手伝った)、ついでに部屋のディスプレーまで替える大仕事になった。(この模様は2013年8月16日のブログをご覧下さい。)
かくしてUncle Georgeを大喜びさせるB.Dプレゼントとなったのだが、Uncleの亡き後、あのキルトはどこにいったのだろうと皆の心の中に疑問が残っていたのだったが、F.ミユキさんの出したメールに山根教授が書いた返事の中にその答えがあった。UncleのB.Dを目前にして、まるでUncleが山根教授に乗り移って返事を書かせたような気がした。しかもF.ミユキさんが山根教授を捜し出したあたりから、不思議が始まっている。こういう偶然もあるものだ。
さてキルトの行方がどうなったかというと、…。Uncle Georgeは我々の作ったキルトに包まれて最期を迎えたという事だった。私達の愛と一緒に旅立ったという事を知り、最高の結果だと思った。
Uncle Georgeはずっと私達と一緒にいるのだ。すばらしい結末に身震いさえした。
私達が案じていた事をさとって、山根教授を通じて、私達に知らせてくれたのであった。

Uncleにハワイアンキルトを持っていった時、彼は今までの写真を切り貼りして、障子大の大きなボードを3枚製作していた。(1946~2008年までの写真の集大成ともいうべきもの)
そのボードのアンクルが書いたタイトルの左側に大きくアンクル、私、Poliの写真が貼られていて、どんなにかUncleに愛されていたのかを知って幸せに感じたのを覚えている。
Uncleのお葬式の2日間(ヒロ市内の大きな体育館で行われた)、Uncleの作ったこのボードが正面玄関に飾られていたのも記しておこう。
HālauのHaumāna達の写真もいっぱい貼られていた。


2.26.2016

Nū Hou Hālau / 蘭写真集-2

Uncle Georgeのお誕生日

2月25日はUncle GeorgeのB.D。
Uncleが元気だった頃は、毎年Poliと二人でHawaiiへ飛んで行き、Uncleのお誕生日のPā'inaに出席したものだった。B.Dだけで最低10回は参加したと思う。
B.Dの2~3日前に行って、Pā'inaの準備をするUncleのお弟子さん達(Kumu Hula達)のお手伝いをしたり、Uncleの手伝い(Uncleは有名だから、その時期はいろいろなホテルがお食事に招待するので、運転手兼付き人で、私達まで豪華なお食事にありつけるのであった。しかもシェフがわざわざテーブルまで出てきて、UncleにB.Dの祝辞を述べるのだった。
朝はあのホテル、夜は…と連日おいしい物が目の前にずらっと並ぶが、UncleはPoliにだけ食べ物をすすめ、私には“太ったら踊れなくなるよ!!”と絶対食べさせない。Uncleがおトイレに立ったスキを見て食べるのだった。それもほんの少しだけ…。
食べる事だけではなく、着る物も“いつも素敵なドレスを着なさい”といって一緒にお出かけの時はチェックされた。少しだけ襟のレースがほつれているだけで“着がえておいで!!”といわれた。

さて、いよいよUncleのB.Dが始まった。
Hawai'ian Foodsが並び、musicianも集まり、かわるがわるUncleのお弟子さん達(Kumu Hula達)がUncleに祝辞をのべ、しゃべり、笑い、歌って踊って食べて、そのうちUncleがukuleleをとり出し歌い始めると皆から大きな拍手がわきおこる。
1曲歌っては“Hana Hou!!”と飛び交うから、Uncleもゴキゲンで又歌う。するとそこにいる皆も歌い始め大合唱となる。そして全員でUncleに“Oli”をし、最後はKumu Hula全員が立ち上がり、Unceに向って“I Ali'i Nō 'oe”を踊るのが決まり!!
私はPoliをHawai'iに(UncleのB.Dに)連れて行く前に、この踊りをしっかりと教えた。だからKumu Hula達と一緒に初めて踊った後のPoliは興奮してこう叫んだ!“すごい!すごいよ!! Kumu RayもKumu IwaもKumu Etuaも他のKumu達も、僕達と全く同じ踊りだったよ!!”と。
“そう、だってUncleから全員教わったのよ。同じ踊りであたりまえ!! ”私はそう答えた。
あ~あの日はもう決して戻ってこないんだね。




2003年

那覇空港に到着したUncleを見て、内心驚いた。車椅子に乗って出てきたからである。しかもすこぶる不機嫌で、(この時あたりから、かなり体調が悪くなっていたのであろう)それでも出迎えにきたたくさんのHaumānaを見て、車椅子からも降り、少しだけ機嫌をとりなおす。

2.19.2016

Nū Hou Hālau / 蘭写真集-1

All need is love
2016年2月14日
“Hau'oli lā i ala hou ai ka haku!”
(Happy Valentine's Day!)

“Ka lā o Lono i ke aweawe aloha” (Valentine's Day!)
(The day of the god of love and mercy)

2月14日はバレンタインズデー。愛の日。
私にとっては特別の日。Uncle Georgeに出会った日。愛に出会った日なのだ。
彼は外国人の私に対して、本当の親よりも愛情を注いでくれた。Hulaを指導して下さる時はものすごく厳しく、それ以外は思いっきりジョークをとばし、明るく楽しくやさしかった。
私のキッチンで私のHaumanaに食べさせるのだといい、近くの肉屋で¥10,000分のシチュー肉を買い、シチューを作ってくれたりした。そのシチューを食べた時(肉嫌いの私は肉をより分け)ジャガイモと思ってフォークを突き刺したのに固くって、フォークに突き刺さらないそれを指でつまんでかじったら、なんとジンジャー(生姜)だった。Uncleに聞いたら“Cutするのが面倒だったから皮をむいて丸ごとつっこんだ。ハハハッ”と笑っていた。
HawaiiのHiloのアパートで、私はKumu Iwalani、そしてPoliはKumu Rayのお稽古へ出かけている間にも、彼は我々のために“シチュー”を作って我々の帰りを待っていた。
今日の日はUncle Georgeとの想い出にひたる日なのだ。
Uncle Georgeがよく言っていた言葉。

“Aloha i kekahi i kekahi”
(お互いを愛しあう)

“All need is love”

松本大学の山根教授の出版した本“フラの神様、アンクルジョージが教えてくれたこと”の最初のページには、Uncleが自筆で書いたメッセージが載っている。
“愛=Aloha”についてだ。



Yamane (山根教授あて) 
Aloha is love. 
Aloha is share your aloha with all your friends. 
Aloha is respect yourself first, then you will have respect for everyone around you. 

Love with aloha

Uncle George Na'ope 
アロハとは愛。 
アロハとはあなたの愛を全ての友人達と分かち合う事。 
アロハとは最初に自分自身を尊び、それからあなたのまわりにいる人達を尊ぶ事。
愛を込めてアロハ

アンクル ジョージ ナオペ

山根教授とはUncleに紹介されて数回(いずれもハワイで)お会いしたことがある。温厚なやさしい目をした方で、Uncleがとても気に入っていた方である。彼の書いた本を久しぶりに読み直してみて、実にアンクルの本質をよく理解して表現されているなぁと思った。
教授と最後にお会いしたのは、Uncle Georgeのお葬式だったろうか?もう一度お会いしてUncleの想い出話をしたいものだ。又、この本の表紙と中のイラストは奥様が描いたものだという。私の好きなタッチの絵なので、奥様にも是非お会いしたいものだ。

私の中で“愛”というKey WordはUncle Georgeに直結している。



ValentineのLei

1年を通して折につけ、私にLeiを作って下さるLei Maker タカコさんが、ValentineのLeiを贈って下さった。


通常のイメージだとLoveは赤、情熱の色だが、私の愛の色はピンクに決まっている。
タカコさんはそれを察知していてくれ、ValentineのLeiはやさしいピンクのバラのLeiだった。当日着ていたピンクのT-シャツによくマッチしていてとても嬉しかった。
そのまま白馬の王子様とデイトしたい気分だったが、デイトの約束もなければ、デイトに出かける時間もなく(ミュージシャンの練習日だった)素敵なLeiはひのめを見ることもなく、私のKitchenの真白いカウンターの上を飾るだけになってしまったが、私は幸せな気分にひたれた。
タカコさんが毎回、花屋でどんな顔をして花材を選ぶのか、どんなデザインに仕上げようかって考えている様子、そしてどんな事を考えながらLei Makingするのだろうって想像してみた。
Leiは作ってみないとその大変さはわからない。でも作れば作るほど上手になっていく。いつの日かレイを作る素晴らしい技術を持っているKumu Etuaにタカコさんを紹介したいと思っている。
タカコさんに感謝!!



9.25.2015

第1回目をふりかえってみて… part.2

2003 Kupuna Hula Festival
大会のパンフレット

いよいよ大会が始まった。
2003年9月17日(水)、今日はLokelaniのSoloがある日。

朝一番のリハーサルを終え、Hotel内で行われているCraft Fairに行ってみる。

Uncle GeorgeがIpu-hekeを探しているらしく、あれこれ叩いていた。

9.18.2015

第1回目をふりかえってみて… part.1

現在2015年9月、只今第11回目になるKupuna Hula Festivalに遠征ツアー中!!
で、最初の遠征ツアー、12年前をふりかえってみた。

まずTV局が本場ハワイの大会(競技会)へ出場するという話題をとりあげてくれ、Lokelani(当時70才でソロの部に出場)と私ともう一人のOhanaがTVへ出演することになった。
“今日もお昼前”という番組だった。
55才以上のチーム9名が、本場ハワイのフラ競技会に出場するということは大きな出来事で、(12年前)その頃の沖縄にはフラのブームはきていなかったが、その反響は大きく、私のハラウには問い合わせが殺到していた。

TV出演中!!

LokelaniはCarnationのLeiを作って、つけていた。

私はトルコ桔梗の大ぶりなKokoと、Lei'aiを作った。

いよいよ那覇空港を出発!! 皆でChantをして気を高める“Ha'aheo ku”

3.06.2015

Nū Hou Hālau

Awaは命の水!!

2015年2月24日(火)
今、MTクラス(筋力を鍛えて、Kahikoの踊れる体力を作るクラス。Basic Steps、Kahiko、Oliも学ぶ)では、E uluのOliの練習をしている。
このOliの中ではKuahu(祭壇)に供える植物の事を学び、今日からAwaの事を学ぶ。
毎年Hō'ikeの日のセレモニーでHaumāna全員にAwaが振る舞われるが、新入生はこのAwaの事を知らない(今、MTにはたくさんの新入生がいる)が、とても良いタイミングで、アナタズさんがネットで注文したというAwaの材料を持ってきて下さったので、早速Awaを作り、皆に飲んでもらうことにした。
Awaがどういうものかわからなければ、Oliに魂はこもらない。
初めてのAwaに皆は目を白黒させていたが、飲みなれた先輩達はこぞっておかわりをして飲んでいた。
Awaには鎮静効果があり、リラックス出来るのだ。まさに筋トレの後に飲むのにぴったりだった。
Eia ka wai la   (ここに水がある)
Ka awa            (Awaの水)
He wai ola.   (命の水です)
Oliの中に出てくるハワイ特有のものは、こうやって現物を見たり味わって体験しないと理解できないものが多い。
私はHaumānaに出来る限り、いろいろな経験をしてもらいたいと常々思っている。
今回は高価なAwaを惜しげもなく提供して下さったアナタズさんに感謝です。Mahalo!




Hau'oli la hanau e ke kumu !

2015年2月25日(水)
今日はマスター・ジョージ・ナオペ師のお誕生日。
生前は、毎年彼のお誕生日を祝うため、Poliと二人してHawai'iへ出かけたものだった。
スーツケースの中に二人からのバースデープレゼント(私が布を選び買い、PoliがそれをUncle Georgeの好きな長袖のアロハシャツに仕立てて、二人からのお祝いとした)と、パーティーの時に着るドレス(これも毎回Poliに仕立ててもらった)とパンプスを入れ、身軽に出かけ、1~2週間をべったりUncleと三人で過ごしたものだった。
なつかしい想い出が年々遠くなっていく。

(※以前のブログ記事“Hawaiian Quilt ① ~きっかけはアンクルへのプレゼント~”の中にて、2008年にKumu EkkoとPoliがハワイ島ヒロへ病床のアンクルのお見舞いに行き、お誕生日のお祝いにハワイアンキルトをプレゼントした時の事が回想されています。)

朝のKa Papa Pikakeでは、HaumānaがUncleのOliを唄ってくれた。
彼らの多くは、直接Uncleの指導を受けたり、夜のBarで一緒に遊んだ想い出を持っている。お稽古中はとても厳しいUncleなのに、夜Barで遊ぶときは、可愛いくらいにHaumānaに気を遣っていた。
夜のKa Papa Maileでも“Lanakilakeikiahiali'i Chant”を唄ってUncle Georgeを偲んだ。
Keikiクラスにいた時に彼から直接指導を受けたアスカは彼にLeiを作ってきた。(あんなに小っちゃかったアスカがもうすっかりお姉ちゃんになっているのを見て、目を細めて“Mahalo nō”と言っているUncleの姿がうかんだ。)
Kua'aoはUncle Georgeの顔写真の入ったTシャツを着て彼を偲んでいた。
皆の心の中にいつまでもUncleの想い出が残っていてほしいと思う日だった。
今、生きていたら、この新しいHālauもみせたいし、Haumānaの成長も見せたいのにと、ちょっと淋しくなる日でもあった。


P.S. Uncle George Na'opeが2月25日、そして私が2月5日。数字には意味があるそうだ。2は魅力と精神力、5には力と知恵だそうだ。Uncle Georgeにはぴったりあてはまるのだが、私には???

以下の写真は、友人のPhotographer、Randy Magnusが出版した本から。
可愛いPinkの装丁はUncle Georgeを良く知るRandyならではのもの。
裏表紙はKupuna Hula Festivalに出場したHālau Hula Kalākauaの皆。


カバー袖には、裏表紙の写真についての記載が。
“Back cover has Kumu Hula Ekko Ota with her halau Hula Kalakaua from Okinawa, Japan.”

9.19.2014

未来日記

2014年 9月19日(金)

現在9月2日(火)、今日書く事は未来の事。
9月8日(月)に沖縄を出発して、関空経由でホノルル空港に到着。すぐハワイアンエアーでコナ行きに乗り換え、同日(9月8日)の2時にはコナ空港へ到着。友人のMaydelynがWelcome Leiを持ってお出迎えしてくれる。そうしてハワイの旅の始まり、始まり。
でもって9月16日(火)にホノルルを発ち、9月17日(水)の夜遅くにやっと沖縄に着く。
私の留守中もHālauはお休みなし。(日本の休日、祭日もお稽古はある)皆、一生懸命練習に励んでいる。なにしろ、もうHō'ikeまでそう日数がないときている。


今年のHō'ikeはUncle George Na'ope師の5回忌にあたる。
わざわざこの日を選んだわけではないのにそうなった。
Uncleが仕組んだに違いないと思った時から、大幅にプログラムを変更して、Kalakaua王とUncleと我々の関係にテーマをしぼった。
75年間、閉ざされていたハワイの文化をKalakaua王が見事に復活させ、活性化させたが、ハワイ王国滅亡の危機にあって、またまたハワイの文化(言語、フラ等)は禁止された。
それを救ったのがUncle George Na'ope師だ。
津波でダメージをうけたHiloの町を復興させるためにおこしたMerrie Monarch Hula Festivalを開催することによって、Hiloの町にたくさんの観光客を呼び戻し、さらにHulaが世界中の人々に知れ渡るようになるほどの一大イベントになっている。Hulaを多くの人に紹介し、今や日本でもHulaを知らない人はいないくらいになっている。
そんな偉業を成し遂げたKalakaua王とUncle George Na'ope師(Hulaの伝統を継承するだけでなく、伝道師として世界中を回った)をたたえてプログラムを構成した今年のHō'ike。
是非、お越し下さい。

私はUncle George Na'ope師から教わったことを忠実にHaumānaへ継承していくことだけが仕事です。

彼の教えて下さった伝統のHulaを、たくさんの沖縄にいる方々に見てもらえるよう努力を続けることが生きがいです。
Ekko Ma'ema'ekapuaokahala Ota


8.29.2014

Poliは“Kinolau O Laka”(ラカの化身)?

2014年 8月29日(金)

Poliは私の元に20年以上いる。
2000年にUncle George Na'ope師から私がKumu Palapala(Kumu Hulaの認定証)をいただいた時、Poliも師のHālauのUniki(卒業)の証(Kahiko部門とAuana部門の両方の証)をいただいた。そして師の指名で私のAlaka'i(一番弟子、Hālauのリーダー)という役目を与えられた。
正直な所、私には驚き(ショック)であった。何しろ、その頃は今よりもお互いそりがあわず、しょっちゅうケンカばかりしていた。もちろん口論のことで、いまだかつてお互いに叩きあったり殴りあったりした事はない。(だってこんなに可愛いTinker-Bellちゃんを叩ける殿方はいるわけない、ウフッ。でも時として私の足の指に魔法瓶を落とす“あれ”はわざと?)冗談はさておき、Uncle George師の決めた事にさからえる訳はないので、ずいぶん長い事、私なりに我慢をしてきた。
最近になってこの話をしてみると、Poliも“こんな我がままな人の補佐をするなんて出来っこない”と思っていたらしい。この頃やっとお互いが見えてきて、議論しあっても妥協点を見つけ、それらを解決することが出来るようになってきている。二人とも少しは成長したのかもしれない。(あるいはUncleが仲良くさせるように仕向けているのかもしれない)
二人の唯一の共通点は、ピーターパン症候群という病気持ち。かなりの重症だ。二人ともまったく子供のまんまである。Poliは8才、私は13才、この年令で精神がストップしているからやっかいなのだ。でも、大人にならない二人だから男と女、性別が違ってもうまくいっているのかもしれない。
Kumu HulaとAlaka'iという役割をそれぞれ与えられ、この14年間二人して築いてきたHālau。
Uncle George師はやはりKahuna(ユタのような人)で未来が見えていたのだ。
PoliがAlaka'iで私を支えてくれたからこそ、今Hālauは存続しているけど、そうでなかったら私はとっくに「ヤーメた~ときーめた」(コレ私のお得意!!)とHālauを放り投げていたに違いない。だって私は自分の会社を持っていて、20代でBMW(外車)を現金で買えるほどのビジネスウーマンだったので、Hulaは魅力はあったけれど、それを仕事にする気はさらさらなかったのである。Hālauを始めて、いろいろな出来事に直面する度“こんな事してないで本来の自分の仕事にうちこめば、もっと楽して楽しい事がいっぱい出来るのに”と、何度Uncle George師と出会ったことを恨んだことか!!(ごめんなさいUncle、今はそうは思っていないので許してね)でもそんな事を思う度、Poliは私を叱咤激励して、私がHālauをやめることを許さなかった。何回いや何十回とそんな事があった。でも、いよいよPoliは2007年に自分の仕事を捨て、Hulaの道に生きる事を決意したので、私もそれ以降Hulaで生きる覚悟をせざるをえなかった。
Poliと私の関係は、線路の2本のレールのように決して重なる事はないが同じ距離を保ち、同じ目的地に向かって平行に進んでいく。枕木はUncle Georgeだ。2本のレールの真中にあって、しっかりその両端のレールをつかみ、2本のレールが曲がることのないように固定してくれる。
今、私はUncleへの感謝でいっぱいだ。Hulaの道があったからこそ、たくさんのHaumānaと出会え、幸せな時を過ごさせてもらっている。
そしてPoliがいなければHālauは成り立たないと思っている。頑固で自己中(自己虫??)なPoliだけれどかけがえのない存在、そして悪友だ。(Poliに感謝!!)
そのPoli、今までHālauがハワイでの大会で獲得した12個の賞のうち、ソロで4個、コンバイン(Poliが入って男女の部)で3個、あと2個は彼が歌って取っている。Alaka'iとして立派に役目を果たしている。(Uncleの目は確かであった)

Uncle George Na'ope師が2006年に出版した雑誌「Humu Mo'olelo」から抜粋。
帽子につけたLeiが素晴らしい!
この写真でUncleが着ているアロハシャツは、生地を私が選び、Poliが縫製して、
二人でUncleのお誕生日にそれを持ってかけつけプレゼントしたもの。
記事中に“沖縄の生徒からのプレゼントの特別なカスタムメイドシャツ”と紹介されています。
長袖シャツが好きなアンクル。カフスボタンがおしゃれ!

7.09.2014

Hālau Hula Kalākaua 17周年 (誕生秘話)

2014.7.7(月)七夕

今日は私達 ハラウ フラ カラカウア の設立17周年の記念日です。
不思議なことに今年はラジオFM21で私とPoliが担当している番組“Hawai'i No E Ka 'Oi”の11周年も3月3日(月)という放送日にあたり、今日も7月7日(月)で番組内でハラウの17周年記念を祝うことが出来ました。さらに今年のHō'ikeは10月26日(日)で、Uncle George Na'ope師の5年忌にあたります。今年はなぜかすべてがぴたっとあてはまる年なのです。
さて話を元に戻して、1997年7月、私の師匠George Na'ope氏が沖縄に来訪し、門下生(唯一ウチナーンチュ)であった私に“沖縄に伝統のハワイアンフラを普及させるべくHālauを立ちあげよう”とおっしゃった。私は生意気にも「Uncle、沖縄には独特の文化、琉舞(琉球舞踊)というのがあるので、だれもハワイのHulaを習いに来ないし、私も仕事を持っているので人様に教える暇はないし、教える場所もありません。それに今、私は師匠から教えてもらっているだけで、その資格はありません」と答えた。すると彼はこう言った。「一週間にたった一時間だけ、このオフィスの片すみ(彼は私のオフィスを見回し、空いている部分を指さして)でいいから、僕が君に教えた通りに教えればよい。教えることによって君は復習するから、尚良い。僕が教えたHulaをすべて教えなさい。これからは君がハワイに来るのではなく、僕が沖縄に来て、君とこのHālauを指導するから」

願ってもない条件だ。私がHālauを開いたら、Uncleが沖縄に教えに来て下さるのだ。(キャ~!こんな幸せなことがあるだろうか!!)私の心は風船のように大きく膨らんで、もちろんふたつ返事で承諾した。
かくして1997年7月7日、ちょうど七夕の日にUncle Georgeと共にHālauを設立することとなった。

「名前はどうしましょう?」と尋ねると「お前はKalākauaだからカラカウアのハラウという意味でHālau Hula O Kalākauaにしよう」とおっしゃった。(私がUncleと出会った当時Surf Shopを経営していてその名もKalakauaだった。だからUncleは私の事を“Kalākaua”と呼んでいた。今考えると“Kalākaua”という名だったから私を溺愛してくれたのかもしれない。〔このブログを読み続けると意味が分かりますよ。〕)
最初UncleはHālau Hula O Kalākauaと名付けたが、3ヵ月後に訪れた際“O”をつけていると何となく白人ぽいから“O”をとって“Hālau Hula Kalākaua”にしようということになった。

案の定、Hālauを立ちあげても、なかなか生徒は来なかった。Hālauを立ちあげる前から、私がHulaをやっている事を聞きつけて、4~5人私の回りにはいたが、(Poliもすでに私の元へ通い、毎週土曜日一緒にお稽古をしていたうちの一人だ。)生徒数が一年たってやっと20人を超えた。Uncleはどんなに少ない生徒でも自ら歌い指導して下さった。
LokelaniやHau'oliは何度も何度もUncle George Na'opeのLessonを受けた。それだけではなく、一緒にお酒を飲み、楽しい夜の時間を過ごした。Hau'oliの御主人PunaheleもUncleのお気に入りの一人だった。
その頃Hālauにいた生徒達は皆、Uncle George Na'opeから直接指導を受けることが出来た。今ふり返ってみても、なんと貴重な時間だったのだろう。

私達はUncleをとても身近な存在に思っていたが、ハワイでは超がつくほど有名人であった。
彼は生粋のハワイアンミュージシャンであり、マスタークムフラと呼ばれるHulaの最高指導者であり、ハワイではGolden Treasureという称号を持ち、2006年には全米芸術部門で活躍しているアーティスト達に贈られる最高位の賞である「National Herritage Fellowship of Award」を授与。
彼は単にMaster Kumu Hulaというだけでなく、数々のフラフェスティバルを立ち上げ、ハワイにフラの文化を復活させるという貢献をしました。
その中でも最も大きな功績は、何といっても1964年にハワイ島の津波で大きなダメージを受けたHiloの町を救い、復興させるべく役割を担ったメリーモナークフェスティバルを立ち上げた事。50年を経過した今、メリーモナークフェスティバルは彼の思惑以上に経済効果をハワイ島ヒロへもたらし、ハワイの伝統文化の最高峰となっています。このフェスティバルはハワイアンが主催するハラウしか参加できません。「フラはハワイアンの伝統文化であり、ハワイアンの文化はハワイアン自身で復活させなければならない」というUncle Geoageの考えによるものです。
メリーモナークを通して、この50年で実にハワイアンフラは復活したといえるでしょう。
メリーモナークフェスティバルと命名したのも、彼が大好きだった王様“Kalakaua王”を陽気な皇帝と称して名付けた背景にあります。カラカウア王はそれまで禁止されていたハワイ語やフラを復活させた王でした。カラカウア王によって復活を遂げたハワイアンの文化がまた、歴史の中で翻弄されハワイはアメリカに吸収されることになり、再びハワイ語やフラが失われようとしている時にUncle George Na'opeの斬新なアイデアでまたまた失われる危機を脱することになったのです。

Uncle George Na'ope師が「National Herritage Fellowship of Award」を授与したというニュースが私の元に届いた時に私の頭に浮かんだ言葉は“神は見ている、人も見ている”でした。私が彼の元に通いフラを学んでいる時、ハワイの彼より若いKumu Hula達、そしてミュージシャン達が日本でもてはやされるようになり、彼はしばし出番を失っている頃でしたので、私はたっぷりと時間をかけて教わる事が出来たのでした。そんな頃の師匠を彼よりも悔しい思いで見ていた私にとってこのニュースは最も嬉しいものでした。

7月7日、七夕、私にとってこの日はまたゼロに帰る日です。彼から習ったことをどのくらい教えることが出来るのだろうか?と考えながら、また一歩踏み出す日です。

今年も9月にハワイ島コナで行われるKupuna Hula Festivalに出場します。今年で10回目の出場です。(他のハワイでの大会出場は22回目になります。)招待がある限り出場するつもりです。なぜなら、このKupuna Hula FestivalもUncle George Na'ope師が立ちあげた大会だからです。(この大会は招待状さえ届けば、我々も出場出来る数少ない大会のひとつなのですから。)私はHawai'iでUncleの元で勉強している時、よくこの大会に連れていかれました。今想うと、私の将来が彼には見えていたのだなと思います。

一年に一度、織姫と彦星の出逢う日、今日は七夕。
私がOli姫でUncleはHilo星、夢で会えるといいな。


Ekko Ma'ema'ekapuaokahala Ota



 
“2014 Hawaiian Night Special Dinner Buffet”
 
開催日時:
7/26(土)・7/27(日)
○第1ステージ
 17:00~19:00
(ショースタート18:20)
○第2ステージ
 19:30~21:30
(ショースタート20:50)
(※入れ替え制)

場所:
 アイランドグリル那覇
 (那覇市銘苅3-8-5)

前売:
 大人¥3,300、
 小人¥1,650、
 3-6歳¥1,030
当日:
 大人¥3,500、
 小人¥1,800、
 3-6歳¥1,200

お問い合わせ:
 アイランドグリル那覇
 098-861-2171

席に限りがありますので、前売りチケットのご購入はお早めに♪

5.09.2014

初めてのハワイ遠征の旅! ⑨

沖縄発情報発信英字新聞 「JAPAN UPDATE」(Feb14-20, 2002)
1面トップに「沖縄のフラチームがハワイの大会で三位を受賞」というタイトルの記事と、当時のHālauにて撮影されたUncle George Na'ope師の写真が掲載されました。
同新聞の1面から続く記事。写真の下には、「ハラウ フラ カラカウアは the King David Kalakaua Invitational Hula Festivalへ初めて沖縄から出場したチームです。彼らは11月15日から17日までの大会で上位に入賞しました。」とあります。

5.02.2014

初めてのハワイ遠征の旅! ⑧

2001年11月、初のハワイ大会遠征の旅程をすべてこなしたHaumānaは、勝利の喜びとハワイ土産をスーツケースにつめて、一路沖縄へと飛び立っていった。
私とAlaka'iのPoliには、まだまだやるべき事があって、さらにもう一週間滞在することになっていた。
皆が発った次の日、Uncle、Poli、私の三人でKonaからHiloへ移動した。私のドライブでWaimeaを通る路を選んだ。
KonaからHiloへ行く道は大きく分けて2通りある。Volcanoes(火山、国立公園)かWaimeaを通っていくかである。
火山の茶色で荒々しい大地も良いが、やはり海も緑も美しい、Waimeaコースにした。


「夜は絶対にVolcanoesは通っちゃいけないよ」と何度もUncleに注意されたものだ。なんでも魔物が出るというのだ。

4.25.2014

初めてのハワイ遠征の旅! ⑦

これまでのあらすじ 
2001年11月初のハワイ大会遠征の旅。
私はこの旅を The 1st Challenge Tour と名付け、沖縄を出発する前に、残るHaumānaへこのような文を書きおくった。 
Hālau Hula Kalākaua の Haumāna へ 
10ヵ月間お稽古をしてきました大会チームがいよいよハワイへ向かって出発する日がやってまいりました。
11月13~20日の間、大会のための遠征に出かけて参ります。
Hālauはお休みになり御迷惑をおかけしますが、その間、しっかりと自主トレーニングをしていて下さい。大会に出場しますチームの健闘と道中の安全を祈っていただきたいと思います。
来年は皆様が参加するかもしれないですね。
11月最終の週から、またお稽古が再開されます。
12月に入りますと、また来年の大会に向けてのクラスがスタートします。初心者でもOKです。もっと早く踊れるようになりたいと思っている方や、もっと体を動かしたいと思っている方には最適です。このクラスの中から選抜で来年の大会チームを編成していく予定です。どうぞチャレンジしてください。
それでは、いってまいります。

EKKO Ma'ema'ekapuaokahala OTA 
かくして11月13日(火)~11月20日(火)の日程で我々の旅は始まった。
初のハワイ大会にて3カテゴリーに出場、そしてどれも3位に入賞、総合で2位を受賞。
初のHo'okupu Ceremony。
初のHalemaumau参り。
すべてが初めてのことだらけであった。

11月18日(日)
皆にとってハワイ最後の日であった。
朝日の昇らないうちにKilaueaに向かって出発した我々はHalemaumauに住むPeleへ、お礼の意味を込めてHulaを奉納した。
焼けるような大地(実際にTakako Mamaがその辺の石に煙草をおしつけると火がついたのにはびっくり!!)の上を素足で踊る皆も大変だったと思うが、Ho'opa'a(チャンター)する私は大地にそのまま座ってIpu hekeを叩くので、より大地に近く、その硫黄のようなにおいが鼻をつき、何度もむせそうになりながら全身でそのあつさを感じていた。
だがPoliの“Kilauea”そしてWahineの“Aia la O Pele”が終る頃には、そのにおいもあつさもすっかり忘れるほど集中していた。
Peleが見守ってくれたのだと思いたい。
Hulaが終ると皆大会で使用したLeiやLei po'o、Kupe'eをHalemaumauの火口に投げ入れた。
それぞれ感謝の思いを託して。そして最後に私のOliでKumu DebbieがGinのビンのふたをあけ、同じく火口に注いだ。
初めてのHalemaumau参りでPeleにごあいさつ出来た私の心は嬉しさでいっぱいだった。
“Nice to meet you Pele!”

4.11.2014

初めてのハワイ遠征の旅! ⑤

これまでのあらすじ 
第21回 King David Kalakaua Invitational Hula Festivalがカメハメハ王ゆかりの地 King Kamehameha Hotelで行われた。沖縄から初めてハワイの大会へ参加した我々はなんと3部門とも3位に入賞、総合で2位。4つのトロフィーを獲得。涙、次にハグ、最後に喊声の嵐が静かなKonaの夜にまった。
11月16日(金)
すがすがしい朝。
前方には濃紺の静かなKonaの海。後方にはKonaの町を抱くかのようなHualalai(山の名前)。

昨日までの緊張の糸がほどけて、やっとハワイが見えてきた。
今日からは“楽しむぞ~”。

我々の出場する部門は昨日の一日ですべて終了。あとの2日は大会を楽しむのみ。
夕方のMiss Na Kamalei O KonaとKaikamahine Hula Kahiko Competitionが始まるまで、皆自由行動とした。皆は三三五五Konaの町へ散っていたが、私とAlaka'i(Poli)は“Halemaumau参り”を依頼するべく、Kona Isleに住むKumu Debbieのお宅へと車を走らせた。
国立公園であるHalemaumauでPeleにHulaを奉納するためだった。そのためには事前に管理事務所で許可をとらねばならないのだった。大会に入賞した旨を告げれば許可はすぐおりるはずだった。Kumu Debbieは私の依頼をこころよく引き受けて下さり、管理事務所にTelして下さった。
後日連絡があるということだった。
“さぁ、Peleの大好きなGin(ジン酒)を買わなきゃ。”

Kilaueaには何度も訪れているが、HalemaumauでPeleへの奉納をするのは初めてで、考えただけでもワクワクしてきた。

夕方、ステージ裏をのぞいたら、可愛いKaikamahine達(Keikiの女の子達)が衣装に身を包み、きれいなLeiをつけ、にこやかに待機していた。
ステージでは写真を撮ってはいけないので、今がチャンスと了解を得てシャッターを押す。
皆、どのチームも可愛かったのだが、あえて選んでみた。

一番可愛いNa Kamalei O Kona(ソロ)に出場する女の子(首にかかっているのはHala=アダンの実で出来たLei)。デンファーレのレイはきっと御両親かお友達からいただいたのでしょう。ステージに上る時にはそれをはずすはずです。バラの花もいただいたのネ!(ファンは多いはず、そのキュートさでは!!) Ki(ティーリーフ)のパウの上にLauhala(アダンの繊維)のパウを着けて、何を踊るのかしら?

4.04.2014

初めてのハワイ遠征の旅! ④

これまでのあらすじ

2001年11月、Halau Hula Kalakauaにとって初のハワイ大会遠征の旅。11月13日にハワイ島コナに到着。そしていよいよ大会の日(15日)をむかえた。メリーモナークでMiss Aloha Hula(ソロ)を6人も誕生させた名門ハラウHalau Ka Ua Kani LehuaとそこのKumu, Johnny Lum Hoと一緒に緊張の面持ちでステージ裏で出番を待つ私とちがって、のんびりムードのリラックスした表情のHaumana達。Kumu Johnnyと彼のTeamにAloha Kissする時も、元気に明るく“Aloha!!”とくったくがなかった。実は皆、Johnny Lum Hoの事を全く知らなかったのである。何しろHula Le'aが出版されたばかりで(本場のハワイでさえ、写真がきれいでしっかりとした装丁のHulaの専門誌がなかったので、2000年にHula Le'aが出版された事はハワイのフラの人たちをおおいに驚かせたし、日本にフラブームを起こした火つけ役になったといっても過言はない。)私のHaumana達はまだまだフラ事情にうとかったのである。後で私がKumu Johnnyと彼のハラウの事を話すと「あ~、一緒に写真を撮っておけば良かった」とくやしがっていた。
さて大会はKamehameha HotelのTennis Court Stageでpm6:30に開始していた。ハワイといえども11月の夕方はどっぷりと日が暮れ、照明のあかりがたよりであった。 5番目でLokomaika'i WahineのKahiko(古典)、15番目KupunaのAuana(現代)、16番目でLokomaika'i WahineのAuana(現代)というスケジュールだった。
まずLokomaika'i WahineのKahikoは“Aia la O Pele”。衣装はPeleの火のようなオレンジ色とLava(溶岩)の黒の混じり合ったような生地を探して作った。LeiはLei po'o(頭のレイ)、Lei 'a'i(首のレイ)、Kupe'e(手首、足首のレイ)ともLiko Lehua(レフアのつぼみ)とLehua(赤いレフアと黄色のレフア)を使った。私のLeiはTakako Mamaが作ってくれた。ハワイのKamani(実が沖縄の4倍も大きい)を使って、光沢と虫に食べられないようニスで仕上げてくれたので、13年たった今でも重宝している。無我夢中でChant(Oli)し、Ho'opa'aを終えた後、皆を控え室につれ戻し、Auanaの準備にかかった。 
Kupunaはすでに化粧をし、髪を結いあげ待機していたので、あとはKoko(髪かざり)とLeiをかけてあげるだけ。彼女達の踊りは“Kamalani O Keaukaha”、Uncle Georgeの大好きなLena Machadoの作品。Uncleのふりつけは美しく、そのかわり練習は大変だった。ハワイ島はHiloのUncleの育ったKeaukaha地区の歌。歌の中に出てくるCarnationとMaileが今回のLeiの材料となった。Fact SheetにCarnationとMaileのLeiを使うと書く時にも、ハワイへ長距離電話をし、Lei Makerに作ってもらえる事を確認したにもかかわらず、皆より一週間前に着いて念のためLei Makerの「○○の店」を訪れると、「エコ、どこ探してもCarnationがないのよ」と平気でおっしゃる。日本人にはあり得ない話がハワイと沖縄にはあるのである。(笑)南の島には“ナンクルナイサー”(どうにかなるさー)があたり前。沖縄で育った私でさえあきれかえる、ひっくりかえる、アマガエル…(あっ、また脱線!!)。「普通ないならないですぐに連絡してくるのがあたり前じゃない」と言いたいのをがまんして「Honoluluに電話して、それでもなければ本国に電話してさがしてちょうだい!!」と頼んだ。結局の所、本国からきたCarnationを使ったため、輸送費も含め予算の3倍料金のLeiとなった。そんな事情はつゆ知らず、Kupuna達はその美しいLeiに身を包みご満悦!ハワイ島の色、赤で衣装を作り、その上にグリーンのMaileと白とうすいピンクのCarnationがはえて、とてもきれいだった。
続いて、Kahikoの衣装から着がえ、化粧し、髪をお団子にしたWahine達のそのお団子のまわりにKahikoで使ったLei po'oを巻きつけ、同じくKahikoで使ったKupe'eを右の手首だけに巻きつけ完成!!Wahineはぜいたくが出来なかったので、節約した結果、Leiを使い回すことを考えた。“Na Kuahiwi Elina”の5色のPalaka(ハワイアンチェック)に同色のスカートが可愛かった。
(これまでのあらすじはここまで)
大会終了。

3.21.2014

初めてのハワイ遠征の旅! ②

先週号(前回のブログ記事)のあらすじ 
2001年ハワイから“21st Annual King David Kalakaua Invitational Hula Festival”の招待状が届き、11月13日沖縄を出発。羽田→ホノルル→ハワイ島のコナ空港へ到着。ステイ先のKamehameha Hotelに荷を置き、すぐにKona Isleのバックヤードで海を見ながらの練習、というところまででした。
ブログの中では招待状が届いてすぐにハワイに飛んでいるのですが、実際はそう簡単にはいかなくて、大会に出場するためには、やらねばならないことが山のようにありました。
まずFact Sheet作り。大会のテーマにそって何を踊るかを決め、その曲目のリサーチ(作者のバックグラウンド、いつ頃書かれたのか、どういう意味が込められているのか)をし、ハワイ語で書かれた歌を英訳し、私の考えも述べ、衣装、ミュージシャン、レイの詳細を書き、期限内に(ハワイなので郵便事情を逆算しなければならない)提出することから始まる。
この大会ではWahine部門とKupuna部門の二つにエントリーした。Kupuna部門はAuana(現代)だけで良いのだが、Wahine部門は必ずAuanaとKahiko(古典)が必須。だから、この大会だけで(2部門のエントリーだけで)入退場の曲も含め7曲を選んだ。
書類作りがすむとすぐに踊りを教えはじめなければならなかった。
同時にハワイにTelして、懇意にしているLei MakerのLaniさんにレイを作ってもらえるように頼み、ミュージシャンを探してくれるよう、その大会でKokua(助ける意)して下さったKumu Debbie Ryderに頼んだ。
衣装は私のAlaka'iでスーパーマルチタレントのPoliがすべて作った。私がFact Sheetに文字で書き込んだものを実際に衣装にするという凄腕のPoli!! しかも歌って踊れて水泳はインストラクターの資格まで持っている、こんなスーパーAlaka'i(アラカイ)ってそうイルカイ?イヤ、ソウソウ イナイカイ、アラ ソウカイ!(なんちゃって ハハハ!)
(と、おふざけはこのくらいにして、) 

私はこの大会までの間に2回ハワイに通った。
Bishopへ行ってリサーチしたり、本屋へ行って資料になりそうな本を集めたり、Kumu Debbieにお稽古つけてもらったり(Uncle Georgeは世界中を飛び回り、忙しくしていた)、Lei Makerに会ったり、ミュージシャンと打ち合わせしたり(歌はPoliがうたうので、ウクレレ、ギター、ベースを依頼した)、朝から晩まで動き回った。
'Oahu島ではHotel住いだが、ハワイ島では家があった。(あっ、勘違いしないでネ)私の家ではなく、私の大恩人Takako Mamaの家だ。私はこの家があったからこそUncle GeorgeからHulaを習えて今に至るのであった。しかもTakako Mamaの沖縄の実家でUncle Georgeと出会う(それまでTakako Mamaと私は会ったこともなかった)、まさにTakako Mamaなくしては今の私はない。(彼女の話はすごくふしぎな事が多いので、いつか必ずまとめて書いてみようと思っている。)
サポーターのTakako Mamaもいるので、着々と準備は進んでいったところで、アメリカで9.11の悲劇が起きた。しばらくこのニュースでアメリカが騒然としているので、大会ができるのか不安だったことを想い出した。

さて11月14日、前日沖縄からハワイへ到着、息もつかさず練習をさせて、う~んと疲れさせて寝かせたから、Haumanaの皆は時差ボケもなく元気。
Kumu Debbieが近くの海に禊に連れていってくれた。
(残念。誰もカメラを持っていってなく、写真が1枚もな~い。)
Kupunaは波がこわいといって、なかなか海に入ってこないから、私がBody Surfingを見せたら“おもしろそう”っていって次々に入ってきたから、Body Surfingを教えてあげたら、楽しいからって今度は海から上がってこようとしない。

ロコの人にとれたての'Opihi(アワビの一種)をもらって皆でほおばる。美味しい!“'Ono 'ono”とめちゃ食い。新鮮な貝を海で食べるのって最高!'Opihiおいしいよ!!
夕方(pm6:00)からKamehameha HotelのIslander roomで“Ho'olaule'a”(前夜祭)が始まった。
Uncle Georgeも海外から帰ってきた。皆ハワイでUncleに会って大喜び。(この大会の前にUncleは2度も沖縄に来て、皆にお稽古をつけてくれた。)

(写真右下の日時は、カメラの設定ミスですので、無視してくださいね。)

前列左よりKamehameha HotelのHeiauの主Mikahala、Uncle、Poli、Bobby Girl。

3.07.2014

Halau News & Report

Aloha!
今週号は話題盛り沢山!

まず、2月25日はUncle George Na'ope師のお誕生日。
皆よりUncleにプレゼントがありました。
カズミャーはデンファーレのレイ、コウミママはスウィートピーのレイ、Kua'aoはTiのレイ、アチャミはUncleの大好きなお酒をとビール、Haliakealohaは素敵なお花を活けてくれました。
Maile classはUncleの顔写真のプリントされた黒のTシャツでお稽古をし、皆でUncle Chant"Lanakilakeikiahiali'i" を歌って祝いました。

きっと天国でお酒を片手にごきげんだったことでしょう。
何も言わなくってもOhanaの皆はちゃんとUncleのこと覚えていてくれますよ。
そんな優しい皆に心からありがとうって言いたいです。
Uncleのこと、いつまでも忘れないでいましょうね。
今このHalauでやっている事すべてUncleが教えてくれたこと!!


Hau'oli la  hanau e  ke  kumu  Lanakilakeikiahiali'i Na'ope !!


そして、2月9日(日)の「外国人による日本語弁論大会」の模様を客席からミサトさんが撮って送ってくださった写真が届きましたので、ご紹介しましょう。