Join me on Facebook

1.30.2015

E Komo Mai E Ke Kumu Kapi'olani Ha'o !

Kumu Kapi'olani Ha'oのShowがいよいよやってくる!!

2015年1月20日(火)
Hālau Kia'i A O HulaのKaliko(今回のイベントの沖縄との連絡係)が一足先に沖縄入りし、今回のイベントのミーティングのためHālauを訪れてくれた。
12月の末より何度かハワイからお電話をいただき、お会いした事はなかったが、電話の声から察するに(低音の英語で話される)50代以上の方だと思いきや、お会いしてみると以外にお若く、
びっくりした。
彼女はまず我々が協力的にチケットの販売をしてくれた事に対して感謝の言葉をのべた。
そして出演者達が明日(21日)夜遅く沖縄入りする事、22日(木)は我々のHālauを借りて練習及びリハーサルをしたいとの事(これは事前に電話にて要請があったので、私はお稽古をお休みにして、後程お休みにした時間を埋めあわせる事をHaumānaに了承してもらっていた。木・金・土にあるクラス分を補うので来週から当分大変だぁ~。)、それと我々に一曲(最終日に)踊って欲しいとの事だった。急な要請だったが、快く承諾する事にした。(キャ~頭の中で出演者と曲の選択を始めている私でした。)



HālauがHawaiiになっちゃった!!

2015年1月22日(木)
昨日Kalikoからいただいた電話では“朝の早くから練習をしたいとKumu Kapi'olaniが言っている”との事で、プラザがオープンする9時を指定した。
私が9時にHālauに着くとHāla'iとHāliaの緑の妖精達が入り口前で“庭に咲いていた”といってKiや赤の沈丁花を活けこんでいた。


Hāla'iは入り口用の花を、HāliaはKuahu用の花を見事に活けてくれた。



Hālau内はLeiを作る花の香りが充満していて、もうすでに有志のOhana達が集り、Leiを作る前の仕分け作業に入っていた。


我々はハワイのチームへイベントのある3日間毎日新鮮なLeiを贈ろうと計画し、Lei MakerタカコさんをリーダーにLeiを造るのに協力する人達の時間配分(それぞれが手の空いている時間に
来て手伝うため)まで入念に準備されていた。


皆からの差し入れ、Hāla'iは私のたってのお願いを聞いてくれサーターアンダギーを山のように作って、ハワイアンフレーバーコーヒーまで持ってきてくれた。タカコさんはお得意の“ハワイアンバターもち”を、そして私も“げんまい”(これは飲む物、今はやりのライスミルクを黒糖で混ぜ合せ、おしょうがを入れた物)を作ってきた。Kapuameleの家族からはエレナが代表してミニクロワッサンとおいなりさんが届いた。


10時を回っても彼等は現れない。やはりハワイアンタイムだ。私も皆とLei作りに参加しながら彼らを待つ間、おしゃべりタイムを楽しんだ。
Am10:45、入り口に吊るしているLei'ohu Ryderからいただいたチャイム(ドアベル)が音を立てて鳴った。“Aloha!”続いて元気な声が響き、我々はLeiを作る手を休め、全員立ち上がり “Lanakilakeikiahiali'i”のchantで彼等を出迎えた。
最初に入ってきたKumu Kapi'olani Ha'oがびっくりしたような顔で我々を見、スマイルし、一緒にchantしてくれた。
chantが終ってハグをし、アロハキスをし、ハワイのチームと沖縄のチームの心がひとつになったようだった。我々の歓迎のchantにハワイのチームの中には涙を流している人もいた。


1.23.2015

Hālau News (6本立て!!!!!!)

小咄「3つの坂」

小咄をひとつ。
え~人生には3つの坂があるといわれています。
ひとつめは登り坂。これはイイですね。どんどん上にむかっていきますから、只今上昇中なんてのは、イイですね。
ふたつめは下り坂、これはいけません。どんどん下がっていっちゃう、おまけに加速もつきますから、これはいけません。
そして、みっつめが“まさか”という坂。これは突然やってくるので、ふせぎようがありません。

その“まさか”が起こった話。
初稽古を終え、帰り仕度をしている時、寒いからと靴下をはいてた私、フローリングの床で思いっきりすべり脇腹と右手を下に転倒してしまったのだ。おっちょこちょいの私、いつも小走りに走って転ぶのはハーラウでは有名な事。またしてもやってしまったのだった。でも今回のは痛くてがまんが出来なくってPoliに救急病院につれていってもらった。
夜11時を過ぎている救急病院の待合室は暗くシーンとしていて不気味だった。4~5組いる人達はいずれも点滴につながれて横たわっている。テレビの音以外には話をする人もいない。血圧、体重、レントゲンをとって「骨折はしていないと思うけど、明日も痛ければ整形外科に行くように」との医者の話にホッと安心。薬局で痛み止めをもらい、家につれ帰ってもらったのが午前1時を過ぎていた。
次の日も、右手が動かないので、病院に行く事にした。
待ち合い室で4時間、待たされ、再度レントゲンをとってもらって、骨には異常なしの診断が出たのがさらに1時間後。病院にはほぼ5時間以上いたことになる。おかげで18年目にして、とうとうハーラウを欠席してしまった。
初日の出来事だから“皆を代表して厄払いをした”と思う事にした。
“まさか”の出来事でした。
(皆もハーラウで靴下をはいて走らないように注意してネ~)



かわい~い!!

ミキさんが東京みやげに可愛いラスク(お菓子)を持ってきてくれた。
RUSCOと書いてあるフランスパンのバケットを入れるサイズのバッグの中に、これまた色とりどりのラスクが入っていた。
超かわいく、おしゃれだったので、写真を撮らせてもらった。
なんでもサマンサタバサらしい。おしゃれ!!




お気に入りのカレンダー

この15年、私の親友はCYNTHIA HART'Sのビィクトリアン調のカレンダーを送ってきてくれる。
とってもロマンティックな物で気に入っている。


1.16.2015

月は呼ぶ / 春の七草 / Kapi'olani Ha'oのShowがやってくる

月は呼ぶ
2015年1月6日(火)
午前3時58分。なぜか目覚めてしまった。何だろう。
もしやと思って外に出てみれば、またしてもコウコウと輝くお月様に呼ばれたのでした。


もしや私はかぐや姫?あるいは狼?どっちだろう。
冷い明けようとしている朝の中で又してもMoon Watching! 
私が月を見ているのではなく、お月様が私を見ている気がする。
頭の中に残るこの歌、知っている人いる?(いつ、どこで、だれに習ったかは覚えていず…)
翁、嫗に別れを告げて、今は出てゆくかぐや姫月の世界にまいります。
いずれにしろ、今日からHālauはお稽古初め。
皆の笑顔に会える日、楽しみ!!



春の七草

2015年1月7日(水)
君がため 春の野に出でて 若菜つむ  わが衣でに 雪は降りつつ

1月7日は七草粥を食べる日。
あなたの事を思い、まだ雪の降る野で若菜を摘んで、二人で七草粥をいただきましょう。
ワァ~いいなぁ。(と勝手にシチュエーションを考えてみた)

七草粥は無病息災を願い、お正月料理でつかれた胃を休ませる意味もあるらしい。

最近はスーパーで春の七草セットが売られるようになった。
私の入手したのは大分県産のもの。
こう由来が書いてあった。
古い中国の習慣が日本に伝わり、醍醐天皇の延喜11年から正月7日に7種の若菜を調進することが公式化され、「枕草子」にも「七日の菜を六日に入がもて騒ぐ」の記事があるように、7日の朝七草粥を炊いて、無病息災を祈るならわしができました。
フムフム、スーパーでもお勉強出来るのだと感心!!

私の七草の覚え方はこう。(順番をこうすると覚えやすい)

すずな、すずしろ、せり、なずな
ごぎょう、はこべら、ほとけのざ

さぁ~どれがどの草なのだろうか?
わかる?私もちょっとしかわかんない。
(左下のミニ大根から時計回りに)
①すずしろ(大根) ②はこべら ③ごぎょう ④ほとけのざ ⑤なずな ⑥すずな(かぶ) ⑦せり
私がわかったのが、すずしろ、すずなとせりでした。
さぁ~、七草粥を作って食べましょう。



Kapi'olani Ha'oのShowがやってくる

Hālau Ke Kia'i A O HulaのKapi'olani Ha'oがメリーモナークに出場したKaneダンサーをひきつれ沖縄にやってくる。
それも今月の23日(金)~25日(日)まで、北谷のライブハウス“カラハーイ”で(小さなスペースなので)間近でみられるのだ~。ワクワク。




<Kapi'olani Ha'oとは?>
Uncle George Na'opeに17年間師事し、ウニキを受けKumu Hulaとなるが、ハーラウを始めたのは1992年。(もう23年もHālauを率いている)Uncleから学んだ後も著名なクムフラに師事し、学び続け、現在もクムフラのためのレッスンを受け続けているという勉強家。しかも会社勤めの本業をずっと続けながら、フラを教えているという努力家。スタジオを持たず、レッスンは近所の小学校の体育館や公園、時には親戚の庭先で行うという。そんな環境から素晴らしいことを学べるのだと考えている彼女。「自然の美しさを愛でたり、愛する人への思いを表現するフラなら、こんなふうに自然の中で踊る方がいい」と語る。レッスンも男女年令とわず一緒に教えるオハナスタイルだという。
(※「Hula Le'a」参照)
さて、そのKapi'olani Ha'oのHālauのパフォーマンスが見れるのだ。
私はもうTicketの予約を入れました。とっても楽しみ!
Uncle George Na'opeの教えたというKumu HulaのKapi'olani Ha'oの舞台が待ち遠しい。
p.s. 私は2度ほど、Uncle Georgeにつれられて彼女のダンサーの踊り(もう20年以上前だけれど)を見た事があるけど、それはもう素晴らしいの一言です。
チャンスがある時に見るべきショーですよ。



Ekko Ma'ema'ekapuaokahala Ota

1.09.2015

年末年始を振り返って

3代目登場!!

18年目のHālauに、ついに3代目が登場!! M家のプリンス ニコラウスだ。
おばあちゃまとなるKapuamele(本人はプリンセスだと主張する)が最初にOhanaとなったのが13年前の事。それから3年後に長女のレイナ(今回のHō'ikeで、嫁入り先の名古屋から、わざわざかけつけて裏方をしきってくれた。スーパーヒーロー?レイナ姫だ!!)その次の年に次女のユリナ、そしてユリナの3ヵ月後に三女のエレナがKalākauaのOhanaとなった。
現在もKapuameleはKa Papa Pikake、エレナがKa Papa Maileに在籍しているが、嬉しい事にアメリカから帰ってきたユリナがKa Papa Awapuhiへ復活する事になった。
おまけにプリンス ニコラウスは只今Ka Papa Ilimaに入門するべく、毎週金曜日のお稽古に遊びに来るようになった。
いよいよ3代目のOhanaがステージに立つ日もそう遠くはないのである。感動だね!
プリンス ニコラウスのおじいちゃまNiho王は男手の必要な時に即、登場してくれる頼もしき存在で、Hālauへの尽力者の一人である。
M家の益々の発展はイコールHālauの発展にもつながる事、皆であたたかく見守ろうではありませんか。
M家の発展に!! (Okole Ma Luna!!)



およばれ!!

2014年12月29日
Poliと共にクリスマス カンパニーの主催する“Dinner Party”に出かけた。
我々の番組“Hawai'i No E Ka 'Oi”へリスナープレゼントを提供して下さった仲社長のお宅。
お客様は我々以外に6人。異業種の方ばかりで、Poliと私は借りてきたネコ状態だったと思う。
もっと社会にとけこまなくては、もっと大人にならなければと反省。
綺麗にクリスマスディスプレーされたお部屋で、たくさんの御馳走に感謝!!


1.02.2015

Hau'oli Makahiki Hou!!

明けましておめでとうございます。
今年こそは自然災害もなくおだやかな年でありますように。
人が人として生きられる平和な社会でありますように。
このおだやかな新年に頭に浮かんだのが“100”(百)という言葉。
“なんだろう”と思い、考えてみた。
まず玄関に飾ってある屏風、これにはお寺の境内で遊ぶ百人の子供達が描かれている。幼い頃は観音堂の隣に住んでいたので、この屏風に描かれている子供達のように毎日、毎日境内で遊んでいた事を想い出した。
屏風。まるで私のHālauのOhana達を見ている気がする。
皆で楽しく遊んでいる様子。このお寺はHālauのことかも…。
そしてもう一つ、お正月になると必ず百人一首をして遊んでいた事を想い出し、屏風同様、代々伝わる百人一首を出してみた。それは年月を物語るようにすごくアンティックな物になっていた。学校に行かない前から“久方のひかりのどけき春の日に……”なんて口ずさんでいたのを想い出した。
百人一首。左は新しく買った物。右は代々伝わってきた物。
今は新しいもので一人遊びをしている。
今年の私のキーワードは“百”になりそう。



Invutation from Kupuna Hula Festival 2015
今年もGet!!

2014年12月22日(月)
ヤッタ~!! 郵便受けの蓋を開けたら、待望のKupuna Hula Festivalからの茶色の封筒が目に入った。ルンルンで封を切る。“よし来年もハワイに行ける!!”そう、InvitationをGetしたのだ!!
いつもクリスマス頃に届くので、いつくるか、いつくるかって首を長くして待っていたら、とうとう“ろくろ首”になったのでした。違う違う、話を戻して、このInvitationが届くまでは、正直落ち着かない。でもこれが届くと、いよいよ私の最初の大変な仕事が始まるのです。テーマに応じた曲の登録がハワイ時間の1月1日から始まるので、ウカウカしてはいられないのだ。
昨年までは27チーム出場出来たが、今年は20チームしか出場出来ない。
同じ曲は使えないので、登録の際はテーマにそった曲の候補を最低10曲は考えてから電話をする。どのチームもいっせいに電話をするから、なかなかかからない場合が多く、かかったとしても候補に挙げた全曲が他のチームにとられている場合は、また曲探しに翻弄される事になる。
時差の関係もあるので、深夜(お正月の最中だというのに)受話器に一人淋しく対面しているのである。来年は特に7チーム削られることになるから、唯一、一年に一度のVacation、どこにも行けない事になってしまった。(すべての旅行をキャンセルした。トホホホ~。)

でも我がKupunaは素晴らしいよ。
皆が続けて出場してきたからこそ出場権を獲得出来ているのよ。
皆の今までの努力を花咲かせるように、私ももっと努力していかねば!! 
多分、私の年頭のキーワード“百”はジャッジペーパー百点の意味じゃないかな?
だったらいいね~。皆、Imua!!


良い年の幕開けだ!!
Hau'oli Makahiki Hou!!



2014年最後の週(クリスマスの週を振り返って)