Kumu Kapi'olani Ha'oのShowがいよいよやってくる!!
2015年1月20日(火)
Hālau Kia'i A O HulaのKaliko(今回のイベントの沖縄との連絡係)が一足先に沖縄入りし、今回のイベントのミーティングのためHālauを訪れてくれた。
12月の末より何度かハワイからお電話をいただき、お会いした事はなかったが、電話の声から察するに(低音の英語で話される)50代以上の方だと思いきや、お会いしてみると以外にお若く、
びっくりした。
彼女はまず我々が協力的にチケットの販売をしてくれた事に対して感謝の言葉をのべた。
そして出演者達が明日(21日)夜遅く沖縄入りする事、22日(木)は我々のHālauを借りて練習及びリハーサルをしたいとの事(これは事前に電話にて要請があったので、私はお稽古をお休みにして、後程お休みにした時間を埋めあわせる事をHaumānaに了承してもらっていた。木・金・土にあるクラス分を補うので来週から当分大変だぁ~。)、それと我々に一曲(最終日に)踊って欲しいとの事だった。急な要請だったが、快く承諾する事にした。(キャ~頭の中で出演者と曲の選択を始めている私でした。)
HālauがHawaiiになっちゃった!!
2015年1月22日(木)
昨日Kalikoからいただいた電話では“朝の早くから練習をしたいとKumu Kapi'olaniが言っている”との事で、プラザがオープンする9時を指定した。
私が9時にHālauに着くとHāla'iとHāliaの緑の妖精達が入り口前で“庭に咲いていた”といってKiや赤の沈丁花を活けこんでいた。
Hāla'iは入り口用の花を、HāliaはKuahu用の花を見事に活けてくれた。
Hālau内はLeiを作る花の香りが充満していて、もうすでに有志のOhana達が集り、Leiを作る前の仕分け作業に入っていた。
我々はハワイのチームへイベントのある3日間毎日新鮮なLeiを贈ろうと計画し、Lei MakerタカコさんをリーダーにLeiを造るのに協力する人達の時間配分(それぞれが手の空いている時間に
来て手伝うため)まで入念に準備されていた。
皆からの差し入れ、Hāla'iは私のたってのお願いを聞いてくれサーターアンダギーを山のように作って、ハワイアンフレーバーコーヒーまで持ってきてくれた。タカコさんはお得意の“ハワイアンバターもち”を、そして私も“げんまい”(これは飲む物、今はやりのライスミルクを黒糖で混ぜ合せ、おしょうがを入れた物)を作ってきた。Kapuameleの家族からはエレナが代表してミニクロワッサンとおいなりさんが届いた。
10時を回っても彼等は現れない。やはりハワイアンタイムだ。私も皆とLei作りに参加しながら彼らを待つ間、おしゃべりタイムを楽しんだ。
Am10:45、入り口に吊るしているLei'ohu Ryderからいただいたチャイム(ドアベル)が音を立てて鳴った。“Aloha!”続いて元気な声が響き、我々はLeiを作る手を休め、全員立ち上がり “Lanakilakeikiahiali'i”のchantで彼等を出迎えた。
最初に入ってきたKumu Kapi'olani Ha'oがびっくりしたような顔で我々を見、スマイルし、一緒にchantしてくれた。
chantが終ってハグをし、アロハキスをし、ハワイのチームと沖縄のチームの心がひとつになったようだった。我々の歓迎のchantにハワイのチームの中には涙を流している人もいた。
Kumu Kapi'olani Ha'oは感謝の言葉を我々にのべたあと、すぐにお稽古を始めた。
ストレッチをしながらの発声練習、Basic stepの練習の際にはIpu HekeとNose Fluteが用いられていた。素敵だった。
我々のOhanaはLeiを作り続けながらも聞き耳をたてていて、皆ロバの耳になっていた。
少しも休む事なく、次々と古典の演目を踊り続けていく。
私のHālauでもその大半はやっている演目で、楽しく見る事が出来た。
Kaneの踊りは勇壮で、“そうだこれもUncleから教わったがまだ教えていない”というのを幾つか思い出す良い機会だった。
Musicianの中にはNani Na'opeがいた。Uncleのすぐ下の妹アイリーンの娘さんだという。Hālauのいたる所にかかっているUncle Georgeの写真をスマっていた。
2時間にわたるお稽古の後、私はハワイアンチームを全員“Welcome Lunch”に招待した。プラザ1FのShakey'sだ。
私はKumu Kapi'olani Ha'oと食事をしながら会話を楽しんだ。昔Uncleにつれられて何度かHiloでKapi'olani Ha'oのチームのKane Dancerの踊りを見た事や、先輩KumuのEtua Lopez、Ray Fonseca、Iwalani Kalima、そしてもちろんUncle Georgeの話に花が咲いた。Naniも参加して大盛り上がりだった。
Pm2:30~4:30
北谷のカラハーイ(今回のイベントの会場)に移動してリハーサルを行う。
私は最後の日の出演ということで、のんびりリハーサルを見学していたら、Kumu Kapi'olaniがOpening chantに参加してくれというので、入退場の場所や立ち位置の確認を行った。
“soloで1曲踊ってくれ”と頼まれたが、正直まだ右手が痛く自由に動かせないので、丁寧にお断りした。(1月6日に負傷して以来、まだ右手が動かせないでいる)
Pm6:00
Hālauでは、私のOhanaがせっせとLeiを作り続けていた。
その傍ら、私は仮眠をとらせてもらった。彼等はまたHālauに戻ってきてお稽古をするので、今しか休む時間はなかった。(おやちゅみなちゃ~い。)E moe, moe…グ~。
Pm8:00
今回のイベントに踊ってもらえるOlapa(ダンサー)が集ってきたので、Kumuに見せる前に練習をした。
Pm8:30
ハワイアンチームがHālauへ戻ってきてお稽古が始まった。
私のチームが踊るとKumu Kapi'olaniはたいそう喜んでくれた。
私は皆の練習を見せてもらったお返しにと“Pā Ka Makani”をコウミとアスカに踊ってもらった。
それを見て、またまたKumu Kapi'olaniは“そうそう、私も踊ったものよ”と手ばなしでコウミとアスカをほめてくれた。
私は明日はチケットを買ってお客様で行くはずだったのに、chantをopeningですることになったので、楽屋入りが4時半になってしまった!!
キャ~早く寝なくっちゃ~!!
初日!!
2015年1月23日(金)
今日は観客席で客としてのんびり見るはずだったのに朝10時にKumu Kapi'olani Ha'oから電話がかかってきた。内容はこうだ。
“Ekko、手が痛いはずだけど、どうしても1曲ソロで踊って欲しいの。だから今来てリハーサルしてちょうだい!!”私はあわてて電話を返し“Kumu、今すぐには出られないので(実際別の用件で外出していて、すぐには準備出来そうもなかったから)4時半までには参りますし、踊るのは“I Ali'i Nō 'Oe”だからNaniも弾けるし、リハーサルしなくっても大丈夫です。もっともUncle GeorgeのBirthdayではあなたも踊っていたから一緒に踊って下さいネ。そうすれば観客には私の手の痛さを気づかれないですむでしょうから”と言ったら納得して下さった。
出演者一同のPule(お祈り)に参加してステージは始まった。
観客は6時の会場で席に着き、お食事をいただく。ショーが始まったのは7時を過ぎてから、MCの紹介の後Kumu Kapi'olani Ha'oのchant、続いて私、その後Kapi'olani Ha'oからKumu HulaをもらったKumu達がかわるがわるchantをしてKahikoが始まった。
私はKumu Kapi'olani Ha'oが着付けをしてくれたKihei姿のままKahikoの部が終るまでステージに立たされた。Kapi'olani Ha'oが私の肩をがっしりとつかみはなさないのだ。
2部のAuanaの部でステージで踊った。
ラストはUncle Georgeの“Lanakilakeikiahiali'i”chantを出演者全員で歌い終了。
私のOhanaも観客席のあちこちに見うけられた。
皆口々に“Kumuも出るんだったら、そう言ってくれれば、もっと見に来てくれる人いっぱいいたかもよ”と言っていたけど“私も出演させられると思っていなかったんだもの。(ホ~ント急の事だったのよ!!)”と笑って応えるしかなかった。ホ~ント私もびっくり!!
The Last Day
2015年1月25日(日)
今日は12時半開場で、我々のチームが1曲踊る日なので、会場に9時半入りして我々だけのリハーサルを行なった。皆にとっては初めての小さなステージなので、最小限のフォーメーションで踊ってもらうことにした。
Kumuに差しあげるカードにそれぞれメッセージを書いてもらっているうち、ハワイアンチームも到着。ステージのセットが始まった。
我々はあてがわれた控え室に待機していたが、お食事(観客の)が終った頃、後ろで立って1部のKahikoを見学しようという事になった。私は初日はずっとステージの上かバックステージにいて、ショーを見ていないのだった。
Kalā'auも迫力あったし、Umaumaもおもしろかった。“Maika'i”も“Ula Noweo”も“Noluna”も“A koulau Au”も自分達の踊りと比べてみれるのが楽しかった。
2部は楽器('Uli'uliとPu-ili)を使った曲の後、我々のチームが踊ることになっていたので、インターミッションの後は楽屋へ戻って待機。
我々のチームが出演することもHālauのOhanaには話していなかったので(これも急に決まったことだったから)観客席にいるOhana達は皆びっくりしていた。
今回私がpick-upしたOlapaはKua'ao、Keola、Kila、Koumi、Asukaの5人で、Uncle Georgeの大好きだった“Ku'u Ipo Pua Rose”を踊ってもらい、Poliと私とで唄った。
無事終了したので私はまた観客席へ戻り、最前列に1席空いた席を見つけショーを楽しんでいたが、またもやKumu Kapi'olani Ha'oが私を呼び、Poliを呼び、彼等のチームと共に踊るはめになってしまった。その後もPoliは“Tewe Tewe”でKaneダンサーの踊りに加わる事になってステージにあがった。(2012年にPoliはこのTewe TeweでWorld Invitational Hula Festivalで優勝した以来、踊っていなかった。)3年のブランクがあってのTewe Teweだったが、Poliの踊るTewe Teweと彼らの踊りは全く同じ踊り(もっとも同じUncle Georgeの踊りだからネ)なので、踊っているうちに思い出したらしいPoliは彼等のつけたユニークな動きに一緒に加わって観客を大笑いさせていた。
最後はもちろんUncle Georgeをたたえる“Lanakilakeikiahiali'i”chant。
後ろには、にこやかに微笑むUncleの映像があった。
Showが終り、外に出て皆と記念撮影をした。
よく晴れた日で、気持ちが良かった。
Kumu Kapi'olani Ha'oへ沖縄のお土産をつめた紙バッグとカード、そしてKiのLei(これは帰りのお守り)を20本差しあげてさよならをした。
Mahalo E Ke Kumu. E Malama Pono. A Hui Hou!!
Kumuも私へたくさんの感謝をしてくれ、Hālauの皆へ“3日間のLeiをありがとうと伝えてネ”と言われた。
可愛い'Uli'uliのキーチェーンを手作りし売って¥24,000もの金額を花代としてDonationして下さったカオリさん、素晴らしいLeiの指導をして下さったタカコさん、Hālauの花を活けて下さったHāla'i、Hālia、Lei Makingを手伝って下さったヒサエ、ハツミ、Hau'oli、マコ、ミキ、Uアケミ、Mokihana、Puamae'ole、エレナ、タミエ、そして急な事だったのにステージで踊ってくれたKua'ao、Keola、Kila、Koumi、Asuka、そしてPoliに感謝したいと思います。(ハツミさん、楽屋への苺の差し入れありがとう。おいしかったです)そしてHālauのOhanaが100枚近くのチケットを買って見に来てくださった事にも深く感謝致します。
私はHālau Hula KalākauaのOhanaが誇りです。
皆、本当にありがとう!!
Mahalo E Nā Kalākaua!!
私はUncle Georgeが、今回のようにKumu Kapi'olani Ha'oと私とを結びつけたのだと思います。
この話をしたらKapi'olani Ha'oも同じ事を考えていたとおっしゃってました。
Uncle、これからも私に未知の冒険をさせてネ!
Eō Lanakilakeikiahiali'i !!
Ekko Ma'ema'ekapuaokahala Ota