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7.25.2014

Barbie エピソード ⑥ (2004年Hō'ikeでの出来事)

戦いすんで日が暮れて…。
前日はHō'ike、そして今朝は10:00からWork shop、その後軽いランチをとって、Lei'ohu、Maydeen、Kumu DebbieをHotelへ送り、“6時にはpick up(その間3時間位しかなかったが)しますので、Have a good nap please”と言って、私もシエスタをするために急いで家に帰った。
Bedに入って今朝習った“Na Lei O Kiakaha”を頭の中で復習するうち爆睡、気がつけば5時をちょっと過ぎていた。急いでシャワーし、家を飛び出しHotelで三人を迎え、会場の日産ホールへ向かった。
車中、あまり静かなのでバックミラーで三人を見ると、連日の疲れですっかり眠り込んでいた。
それもそう、ハワイから沖縄に着くなり連日の強行軍ですもの。
眠りこけている三人に心の中で“お疲れ様、そしてありがとう”と言った。

日産のビルの玄関には美しいハワイアンドレスを着て待ちわびるお出迎え隊がずらりと並んでいた。
私は“皆、出迎えてくれているわよ”と言って三人を起こした。
車の窓から出迎え隊を見て「EKKO、どうやってHaumānaをしつけているの?毎回素晴らしすぎる」と三人が言うから、「いいえ、私がしつけているのではなく、彼等がすべて率先してやるのよ。彼等が私にいろいろな事を教えてくれるの」と答えると、「あなたのHaumānaをハワイに連れて帰りたい!!」とLei'ohuが言うと、Kumu Debbieは「私が連れて帰る」、Meydeenは「あなたのOhana大好き!!」と呼び、皆で大笑いをしながら車から降りた。

Work shopの時とは打って変わって、綺麗にお化粧し、美しい生花のLeiやKokoを身につけ、
素敵なHawaiian Dressで出迎えてくれたOhana。

7.18.2014

マレフィセントで17周年を祝って / Barbie エピソード ⑤ (2004年Hō'ikeでの出来事)

“マレフィセントで17周年を祝って”

2014年7月7日(月)

FM21のラジオ番組“Hawai'i No E Ka 'Oi”の放送終了後“Hālau Hula Kalākaua”の17周年記念を祝ってPoliと映画に行くことにした。
もちろん今話題の“マレフィセント”である。
大きなPop-cornを持って映画館内に入ると偶然にもHula Hawai'iの店長さんのかおりさん発見。同席して楽しんだ。

左の写真は、オーロラ姫になりきって眠る私をPoliがスマっているところをかおりさんが激写して送ってくれました。
そして右の写真が、Poliスマフォト。
映画の後は、台風8号対策の為、急いで家に帰った。
(なんとか無事に台風も過ぎて良かったね。)


2014年7月14日(月)

今日の“Hawai'i No E Ka 'Oi”のゲストは、先週偶然にも映画館でお会いしたHula Hawai'iの店長かおりさんだった。
毎週のごとくオープニング曲の流れる中をスタジオ入りした私に、きっとかおりさんはびっくりされていたと思うけど、局のスタッフは“やっと来たか、それにしても神わざだなぁ”と感心していたと思う。(違うかな?)
そうそう、今Hula Hawai'iはSummer Saleですって!! 行かなきゃ。
番組終了後、われわれがスタジオを出ると同時に浦添市長が入ってらした。久しぶりの再会はハグの嵐。(アメリカの大学、そしてハワイにも留学経験のある若い市長は、ためらわずにハグして下さる!!)前回お会いした時よりもお元気そうな御様子で嬉しかった。
ついでに記念写真をパチリ!!


松本市長、しっかりShaka sign出してるし!!
若くってハンサムで語学も堪能な新時代の市長!! がんばって!! 応援してま~す。



“Barbie エピソード  (2004年Hō'ikeでの出来事)”

2004年12月5日(日)

第7回目のHō'ikeが無事滞りなく終了した次の日の朝、私は10時から始まるWork shopのために、Lei'ohu、Maydeen、Kumu Debbieのお迎えで彼等の宿泊するHotelに向かった。
最初にKumu Debbieの部屋をノックしたが応答なし。疲れきって眠っているのだろう。次にLei'ohuとMaydeenの部屋をノックした。やはり応答はなかった。
仕方なくロビーに降りて時計を見ると、まだ午前8時30分だった。“30分もあればWork shopの会場には着くからまだ大丈夫。”
もう一度、Lei'ohuの部屋をノックすると、すぐにLei'ohuが顔を出して「EKKO、ちょっと入って」と言われた。出かける準備はまだしていないようだった。ぐしゃぐしゃの髪にパジャマ姿のままだったし、Maydeenも起きてはいるもののまだBedの中だった。
Lei'ohuが言った。「昨日の夜は大変だったのよ。あなたのHaumānaの御先祖様が次々にあらわれて「私の孫をよろしく」とお願いしてきて眠る事が出来なかったの。で、延々とそれが続いて明け方になった頃、ふっと歌が浮かんできたから、それを書きとめ終わった時に睡魔がおそってきて、多分1時間位ウトウトしたかな?その時あなたがノックして目が覚めたと思うけど、なぜか体が動かなくって…。ごめんなさいね。まぁ、そういうわけで、今日のWork shopは今朝出来上がったあなた達の歌にするわ。」

まだ私の頭も正常に動いてはいず、Lei'ohuの言っている事は正直理解出来なかったが、三人を乗せてWork shopの会場に着くまでの間、Lei'ohuは初めて来た沖縄なのに神のいる場所を次々と当てた。車中から「ねぇ~EKKO、この辺には水の神様がいるでしょう」という具合。確かに彼女の指差したあたりには水の神がまつられている。でも町中でビルがたてこみ、それらしい物は見えていないはずなのに!! 不思議で仕方なかった。(やはりLei'ohuはHawai'i版ユタなのであった。)

Work shopで予約していた会場には、Hō'ikeの翌日だというのに、疲れた顔も見せずHaumānaが全員集合してくれていた。
全員が一列に並んでLei'ohu、Maydeen、Kumu Debbieを出迎えてくれた。

一人一人を抱きしめてハグしてくれるLei'ohu

7.11.2014

Barbie エピソード ④ (2004年Hō'ikeでの出来事)

※「2004年Hō'ikeでの出来事」のこれまでのブログ記事は、コチラ↓

第2部はLei'ohu Ryderのコンサート。

我々はLei'ohu Ryderの作詞・作曲した歌に振りつけられたHulaを数多く持っている。
だからLei'ohuをHō'ikeにゲストとして招待しても踊りには困らなかった。
彼女が歌う曲に合わせてOhanaが次々と出てきて踊ることが出来るのである。
彼女はそれをとても喜んでくれた。
そういうわけでMaui島を訪問した時に彼女がShowをしているHotelで、いきなりゲストダンサーとして踊らされてしまうこともあった。

彼女の声はたくましく、透き通っている癒しの声だ。
歌の内容も人間愛に満ちたもの、そして自然を愛し、土地を讃え、祖先を偲び、愛がいっぱいつまっている優しいものだ。

その日会場にいらしたお客様も皆さん満足された様子で彼女の歌に聞き入っていた。
ハワイ語が理解できなくても彼女の歌は心に届くのだ。“不思議にリラックス出来て気持ちよかった”とおっしゃって下さる方が多かった。

いよいよLei'ohu Ryderの登場。UkuleleはMaydeen Iao。

7.09.2014

Hālau Hula Kalākaua 17周年 (誕生秘話)

2014.7.7(月)七夕

今日は私達 ハラウ フラ カラカウア の設立17周年の記念日です。
不思議なことに今年はラジオFM21で私とPoliが担当している番組“Hawai'i No E Ka 'Oi”の11周年も3月3日(月)という放送日にあたり、今日も7月7日(月)で番組内でハラウの17周年記念を祝うことが出来ました。さらに今年のHō'ikeは10月26日(日)で、Uncle George Na'ope師の5年忌にあたります。今年はなぜかすべてがぴたっとあてはまる年なのです。
さて話を元に戻して、1997年7月、私の師匠George Na'ope氏が沖縄に来訪し、門下生(唯一ウチナーンチュ)であった私に“沖縄に伝統のハワイアンフラを普及させるべくHālauを立ちあげよう”とおっしゃった。私は生意気にも「Uncle、沖縄には独特の文化、琉舞(琉球舞踊)というのがあるので、だれもハワイのHulaを習いに来ないし、私も仕事を持っているので人様に教える暇はないし、教える場所もありません。それに今、私は師匠から教えてもらっているだけで、その資格はありません」と答えた。すると彼はこう言った。「一週間にたった一時間だけ、このオフィスの片すみ(彼は私のオフィスを見回し、空いている部分を指さして)でいいから、僕が君に教えた通りに教えればよい。教えることによって君は復習するから、尚良い。僕が教えたHulaをすべて教えなさい。これからは君がハワイに来るのではなく、僕が沖縄に来て、君とこのHālauを指導するから」

願ってもない条件だ。私がHālauを開いたら、Uncleが沖縄に教えに来て下さるのだ。(キャ~!こんな幸せなことがあるだろうか!!)私の心は風船のように大きく膨らんで、もちろんふたつ返事で承諾した。
かくして1997年7月7日、ちょうど七夕の日にUncle Georgeと共にHālauを設立することとなった。

「名前はどうしましょう?」と尋ねると「お前はKalākauaだからカラカウアのハラウという意味でHālau Hula O Kalākauaにしよう」とおっしゃった。(私がUncleと出会った当時Surf Shopを経営していてその名もKalakauaだった。だからUncleは私の事を“Kalākaua”と呼んでいた。今考えると“Kalākaua”という名だったから私を溺愛してくれたのかもしれない。〔このブログを読み続けると意味が分かりますよ。〕)
最初UncleはHālau Hula O Kalākauaと名付けたが、3ヵ月後に訪れた際“O”をつけていると何となく白人ぽいから“O”をとって“Hālau Hula Kalākaua”にしようということになった。

案の定、Hālauを立ちあげても、なかなか生徒は来なかった。Hālauを立ちあげる前から、私がHulaをやっている事を聞きつけて、4~5人私の回りにはいたが、(Poliもすでに私の元へ通い、毎週土曜日一緒にお稽古をしていたうちの一人だ。)生徒数が一年たってやっと20人を超えた。Uncleはどんなに少ない生徒でも自ら歌い指導して下さった。
LokelaniやHau'oliは何度も何度もUncle George Na'opeのLessonを受けた。それだけではなく、一緒にお酒を飲み、楽しい夜の時間を過ごした。Hau'oliの御主人PunaheleもUncleのお気に入りの一人だった。
その頃Hālauにいた生徒達は皆、Uncle George Na'opeから直接指導を受けることが出来た。今ふり返ってみても、なんと貴重な時間だったのだろう。

私達はUncleをとても身近な存在に思っていたが、ハワイでは超がつくほど有名人であった。
彼は生粋のハワイアンミュージシャンであり、マスタークムフラと呼ばれるHulaの最高指導者であり、ハワイではGolden Treasureという称号を持ち、2006年には全米芸術部門で活躍しているアーティスト達に贈られる最高位の賞である「National Herritage Fellowship of Award」を授与。
彼は単にMaster Kumu Hulaというだけでなく、数々のフラフェスティバルを立ち上げ、ハワイにフラの文化を復活させるという貢献をしました。
その中でも最も大きな功績は、何といっても1964年にハワイ島の津波で大きなダメージを受けたHiloの町を救い、復興させるべく役割を担ったメリーモナークフェスティバルを立ち上げた事。50年を経過した今、メリーモナークフェスティバルは彼の思惑以上に経済効果をハワイ島ヒロへもたらし、ハワイの伝統文化の最高峰となっています。このフェスティバルはハワイアンが主催するハラウしか参加できません。「フラはハワイアンの伝統文化であり、ハワイアンの文化はハワイアン自身で復活させなければならない」というUncle Geoageの考えによるものです。
メリーモナークを通して、この50年で実にハワイアンフラは復活したといえるでしょう。
メリーモナークフェスティバルと命名したのも、彼が大好きだった王様“Kalakaua王”を陽気な皇帝と称して名付けた背景にあります。カラカウア王はそれまで禁止されていたハワイ語やフラを復活させた王でした。カラカウア王によって復活を遂げたハワイアンの文化がまた、歴史の中で翻弄されハワイはアメリカに吸収されることになり、再びハワイ語やフラが失われようとしている時にUncle George Na'opeの斬新なアイデアでまたまた失われる危機を脱することになったのです。

Uncle George Na'ope師が「National Herritage Fellowship of Award」を授与したというニュースが私の元に届いた時に私の頭に浮かんだ言葉は“神は見ている、人も見ている”でした。私が彼の元に通いフラを学んでいる時、ハワイの彼より若いKumu Hula達、そしてミュージシャン達が日本でもてはやされるようになり、彼はしばし出番を失っている頃でしたので、私はたっぷりと時間をかけて教わる事が出来たのでした。そんな頃の師匠を彼よりも悔しい思いで見ていた私にとってこのニュースは最も嬉しいものでした。

7月7日、七夕、私にとってこの日はまたゼロに帰る日です。彼から習ったことをどのくらい教えることが出来るのだろうか?と考えながら、また一歩踏み出す日です。

今年も9月にハワイ島コナで行われるKupuna Hula Festivalに出場します。今年で10回目の出場です。(他のハワイでの大会出場は22回目になります。)招待がある限り出場するつもりです。なぜなら、このKupuna Hula FestivalもUncle George Na'ope師が立ちあげた大会だからです。(この大会は招待状さえ届けば、我々も出場出来る数少ない大会のひとつなのですから。)私はHawai'iでUncleの元で勉強している時、よくこの大会に連れていかれました。今想うと、私の将来が彼には見えていたのだなと思います。

一年に一度、織姫と彦星の出逢う日、今日は七夕。
私がOli姫でUncleはHilo星、夢で会えるといいな。


Ekko Ma'ema'ekapuaokahala Ota



 
“2014 Hawaiian Night Special Dinner Buffet”
 
開催日時:
7/26(土)・7/27(日)
○第1ステージ
 17:00~19:00
(ショースタート18:20)
○第2ステージ
 19:30~21:30
(ショースタート20:50)
(※入れ替え制)

場所:
 アイランドグリル那覇
 (那覇市銘苅3-8-5)

前売:
 大人¥3,300、
 小人¥1,650、
 3-6歳¥1,030
当日:
 大人¥3,500、
 小人¥1,800、
 3-6歳¥1,200

お問い合わせ:
 アイランドグリル那覇
 098-861-2171

席に限りがありますので、前売りチケットのご購入はお早めに♪

7.04.2014

映写会 (2013年Hō'ike) / Barbie エピソード ③ (2004年Hō'ikeでの出来事)

2014.6.28(土)

Pm7:30よりHālauにて2013年Hō'ikeの映写会を行った。
昨年のホイケのDVDを大型スクリーンで皆で見るのだ。
7:30きっかり、映写技師Punaheleの進行で楽しい映写会のスタートだ。


まるっきりお客様目線で見る事が出来たので、照明の移り変わりや美しさ、ドライアイスの効果、舞台上のキルトの映え具合等、堪能出来た。
Kahiliやキルト、Heiauや植物の配置等、すべてOhanaが行うから素晴らしい。しかもOhanaは自主的に役割分担を決め、それぞれの部所で何度も何度も入念にミーティングをして当日を迎えるのだ。音響照明以外はすべてOhanaがこなしている。アナウンス、進行ももちろんの事、Hō'ikeそのものをOhanaが全力投球で行うから、毎年満員御礼の札を出せるのです。
皆、本当に素晴らしいよ。皆の努力とチームワークの良さであの素晴らしい舞台が出来上っているのですから。
昨年の映像を見て、今年のHō'ikeももっとお客様に喜んでもらえるような内容にしないと!!とモチベーションもあがる楽しい夜でした。
3時間という長~い上映時間にもかかわらず、最後のHawai'i Alohaで盛り上がり、“Imua”で今年もやるぞと結束を強めた夜でした。


そして映写会の夜、今度は民枝さんからSurprise!!
今Hālauの入り口には素敵な絵が看板代わりに置かれているが、それを描いてイーゼルごとプレゼントして下さったのが、Ka Papa Pikakeの民枝さんです。
その民枝さんが、今度はもっと大きな絵をプレゼントして下さった。モデルは私で、大好きなTinker-Bellも飛んでいて、後ろのやしの木にはStitchが隠れている。間違えた、Poliが隠れている(笑)。
すご~い素敵な作品で、またまたイーゼルごとプレゼントしてもらっちゃった!!
民枝さん、ありがとうございます。感謝で胸がいっぱいになっちゃった!!
民枝さんも物作りの妖精です。Hālauにはたくさんの物作りの妖精が飛びまわっています。
Hālauの入り口がまた素敵になりました。




“Barbie エピソード ③ (2004年Hō'ikeでの出来事)”

大変なハプニングで始まったHō'ikeの朝。
リハーサルがすむ頃には、皆すっかりその事を忘れたかのように、Hō'ikeモードになってくれた。それは皆の私に対する大きな愛の思いやりだった。

会場入り口には大勢のお客様が並んだが、すでに入場券は売り切れで
当日券が発行されずに入場できないお客様も少なくなかったようだ。

清めのPūが鳴り響き、いよいよHō'ike開始!!