2014.7.7(月)七夕
今日は私達 ハラウ フラ カラカウア の設立17周年の記念日です。
不思議なことに今年はラジオFM21で私とPoliが担当している番組“Hawai'i No E Ka 'Oi”の11周年も3月3日(月)という放送日にあたり、今日も7月7日(月)で番組内でハラウの17周年記念を祝うことが出来ました。さらに今年のHō'ikeは10月26日(日)で、Uncle George Na'ope師の5年忌にあたります。今年はなぜかすべてがぴたっとあてはまる年なのです。
さて話を元に戻して、1997年7月、私の師匠George Na'ope氏が沖縄に来訪し、門下生(唯一ウチナーンチュ)であった私に“沖縄に伝統のハワイアンフラを普及させるべくHālauを立ちあげよう”とおっしゃった。私は生意気にも「Uncle、沖縄には独特の文化、琉舞(琉球舞踊)というのがあるので、だれもハワイのHulaを習いに来ないし、私も仕事を持っているので人様に教える暇はないし、教える場所もありません。それに今、私は師匠から教えてもらっているだけで、その資格はありません」と答えた。すると彼はこう言った。「一週間にたった一時間だけ、このオフィスの片すみ(彼は私のオフィスを見回し、空いている部分を指さして)でいいから、僕が君に教えた通りに教えればよい。教えることによって君は復習するから、尚良い。僕が教えたHulaをすべて教えなさい。これからは君がハワイに来るのではなく、僕が沖縄に来て、君とこのHālauを指導するから」
願ってもない条件だ。私がHālauを開いたら、Uncleが沖縄に教えに来て下さるのだ。(キャ~!こんな幸せなことがあるだろうか!!)私の心は風船のように大きく膨らんで、もちろんふたつ返事で承諾した。
かくして1997年7月7日、ちょうど七夕の日にUncle Georgeと共にHālauを設立することとなった。
「名前はどうしましょう?」と尋ねると「お前はKalākauaだからカラカウアのハラウという意味でHālau Hula O Kalākauaにしよう」とおっしゃった。(私がUncleと出会った当時Surf Shopを経営していてその名もKalakauaだった。だからUncleは私の事を“Kalākaua”と呼んでいた。今考えると“Kalākaua”という名だったから私を溺愛してくれたのかもしれない。〔このブログを読み続けると意味が分かりますよ。〕)
最初UncleはHālau Hula O Kalākauaと名付けたが、3ヵ月後に訪れた際“O”をつけていると何となく白人ぽいから“O”をとって“Hālau Hula Kalākaua”にしようということになった。
案の定、Hālauを立ちあげても、なかなか生徒は来なかった。Hālauを立ちあげる前から、私がHulaをやっている事を聞きつけて、4~5人私の回りにはいたが、(Poliもすでに私の元へ通い、毎週土曜日一緒にお稽古をしていたうちの一人だ。)生徒数が一年たってやっと20人を超えた。Uncleはどんなに少ない生徒でも自ら歌い指導して下さった。
LokelaniやHau'oliは何度も何度もUncle George Na'opeのLessonを受けた。それだけではなく、一緒にお酒を飲み、楽しい夜の時間を過ごした。Hau'oliの御主人PunaheleもUncleのお気に入りの一人だった。
その頃Hālauにいた生徒達は皆、Uncle George Na'opeから直接指導を受けることが出来た。今ふり返ってみても、なんと貴重な時間だったのだろう。
私達はUncleをとても身近な存在に思っていたが、ハワイでは超がつくほど有名人であった。
彼は生粋のハワイアンミュージシャンであり、マスタークムフラと呼ばれるHulaの最高指導者であり、ハワイではGolden Treasureという称号を持ち、2006年には全米芸術部門で活躍しているアーティスト達に贈られる最高位の賞である「National Herritage Fellowship of Award」を授与。
彼は単にMaster Kumu Hulaというだけでなく、数々のフラフェスティバルを立ち上げ、ハワイにフラの文化を復活させるという貢献をしました。
その中でも最も大きな功績は、何といっても1964年にハワイ島の津波で大きなダメージを受けたHiloの町を救い、復興させるべく役割を担ったメリーモナークフェスティバルを立ち上げた事。50年を経過した今、メリーモナークフェスティバルは彼の思惑以上に経済効果をハワイ島ヒロへもたらし、ハワイの伝統文化の最高峰となっています。このフェスティバルはハワイアンが主催するハラウしか参加できません。「フラはハワイアンの伝統文化であり、ハワイアンの文化はハワイアン自身で復活させなければならない」というUncle Geoageの考えによるものです。
メリーモナークを通して、この50年で実にハワイアンフラは復活したといえるでしょう。
メリーモナークフェスティバルと命名したのも、彼が大好きだった王様“Kalakaua王”を陽気な皇帝と称して名付けた背景にあります。カラカウア王はそれまで禁止されていたハワイ語やフラを復活させた王でした。カラカウア王によって復活を遂げたハワイアンの文化がまた、歴史の中で翻弄されハワイはアメリカに吸収されることになり、再びハワイ語やフラが失われようとしている時にUncle George Na'opeの斬新なアイデアでまたまた失われる危機を脱することになったのです。
Uncle George Na'ope師が「National Herritage Fellowship of Award」を授与したというニュースが私の元に届いた時に私の頭に浮かんだ言葉は“神は見ている、人も見ている”でした。私が彼の元に通いフラを学んでいる時、ハワイの彼より若いKumu Hula達、そしてミュージシャン達が日本でもてはやされるようになり、彼はしばし出番を失っている頃でしたので、私はたっぷりと時間をかけて教わる事が出来たのでした。そんな頃の師匠を彼よりも悔しい思いで見ていた私にとってこのニュースは最も嬉しいものでした。
7月7日、七夕、私にとってこの日はまたゼロに帰る日です。彼から習ったことをどのくらい教えることが出来るのだろうか?と考えながら、また一歩踏み出す日です。
今年も9月にハワイ島コナで行われるKupuna Hula Festivalに出場します。今年で10回目の出場です。(他のハワイでの大会出場は22回目になります。)招待がある限り出場するつもりです。なぜなら、このKupuna Hula FestivalもUncle George Na'ope師が立ちあげた大会だからです。(この大会は招待状さえ届けば、我々も出場出来る数少ない大会のひとつなのですから。)私はHawai'iでUncleの元で勉強している時、よくこの大会に連れていかれました。今想うと、私の将来が彼には見えていたのだなと思います。
一年に一度、織姫と彦星の出逢う日、今日は七夕。
私がOli姫でUncleはHilo星、夢で会えるといいな。
Ekko Ma'ema'ekapuaokahala Ota
“2014 Hawaiian Night Special Dinner Buffet”
開催日時:
7/26(土)・7/27(日)
○第1ステージ
17:00~19:00
(ショースタート18:20)
○第2ステージ
19:30~21:30
(ショースタート20:50)
(※入れ替え制)
場所:
アイランドグリル那覇
(那覇市銘苅3-8-5)
前売:
大人¥3,300、
小人¥1,650、
3-6歳¥1,030
当日:
大人¥3,500、
小人¥1,800、
3-6歳¥1,200
お問い合わせ:
アイランドグリル那覇
098-861-2171
席に限りがありますので、前売りチケットのご購入はお早めに♪