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4.25.2014

初めてのハワイ遠征の旅! ⑦

これまでのあらすじ 
2001年11月初のハワイ大会遠征の旅。
私はこの旅を The 1st Challenge Tour と名付け、沖縄を出発する前に、残るHaumānaへこのような文を書きおくった。 
Hālau Hula Kalākaua の Haumāna へ 
10ヵ月間お稽古をしてきました大会チームがいよいよハワイへ向かって出発する日がやってまいりました。
11月13~20日の間、大会のための遠征に出かけて参ります。
Hālauはお休みになり御迷惑をおかけしますが、その間、しっかりと自主トレーニングをしていて下さい。大会に出場しますチームの健闘と道中の安全を祈っていただきたいと思います。
来年は皆様が参加するかもしれないですね。
11月最終の週から、またお稽古が再開されます。
12月に入りますと、また来年の大会に向けてのクラスがスタートします。初心者でもOKです。もっと早く踊れるようになりたいと思っている方や、もっと体を動かしたいと思っている方には最適です。このクラスの中から選抜で来年の大会チームを編成していく予定です。どうぞチャレンジしてください。
それでは、いってまいります。

EKKO Ma'ema'ekapuaokahala OTA 
かくして11月13日(火)~11月20日(火)の日程で我々の旅は始まった。
初のハワイ大会にて3カテゴリーに出場、そしてどれも3位に入賞、総合で2位を受賞。
初のHo'okupu Ceremony。
初のHalemaumau参り。
すべてが初めてのことだらけであった。

11月18日(日)
皆にとってハワイ最後の日であった。
朝日の昇らないうちにKilaueaに向かって出発した我々はHalemaumauに住むPeleへ、お礼の意味を込めてHulaを奉納した。
焼けるような大地(実際にTakako Mamaがその辺の石に煙草をおしつけると火がついたのにはびっくり!!)の上を素足で踊る皆も大変だったと思うが、Ho'opa'a(チャンター)する私は大地にそのまま座ってIpu hekeを叩くので、より大地に近く、その硫黄のようなにおいが鼻をつき、何度もむせそうになりながら全身でそのあつさを感じていた。
だがPoliの“Kilauea”そしてWahineの“Aia la O Pele”が終る頃には、そのにおいもあつさもすっかり忘れるほど集中していた。
Peleが見守ってくれたのだと思いたい。
Hulaが終ると皆大会で使用したLeiやLei po'o、Kupe'eをHalemaumauの火口に投げ入れた。
それぞれ感謝の思いを託して。そして最後に私のOliでKumu DebbieがGinのビンのふたをあけ、同じく火口に注いだ。
初めてのHalemaumau参りでPeleにごあいさつ出来た私の心は嬉しさでいっぱいだった。
“Nice to meet you Pele!”

4.19.2014

初めてのハワイ遠征の旅! ⑥

これまでのあらすじ 
初のハワイ大会遠征にて4つの賞を受賞。
大会最後の日の朝、Ahu'ena HeiauにてHo'okupu Ceremonyに参加。
受賞に感謝してHo'okupuとOliを奉納する。 
このAhu'ena Heiauは15世紀以前に建てられた名高いHeiau。
1795年にハワイ諸島を統一して以来、Kamehameha大王はオアフ島をはじめ各地で暮らしていたが、1812年にハワイ島カイルアコナに終の棲家を定めた。(現 King Kamehameha Hotel 敷地)そして、このAhu'ena Heiauを再建し、1819年に亡くなるまで、戦いと無縁の平和な7年間を過ごしたということです。
Ahu'ena Heiauの建つ海側一帯をKamakahonuと呼びます。
ハワイ8島を統一した偉大なKamehameha大王も人生の最後は(私が禊をしたり、カヌーに乗って遊ぶ)こののどかなKamakahonuの海をながめて穏やかに過ごしたのでしょう。彼はハワイ島で生まれているので、Hiloの町とKohalaにそれぞれ銅像があります。最も有名なのはオアフ島イオラニパレスの斜め前の建物(DVD“Hawai'i Five O”ではFive Oの本部という設定だ。このDVD、空撮でハワイの山や自然が見れるのが良い!! オススメ!!)の前に建つ銅像でしょう。
さて、折角 Kamehameha大王によって再建されたこのAhu'ena Heiau。大王が死去すると、たてまえ息子のLiholihoがKamehameha2世として就任するのですが、実際に後ろで実権を握っていたのが、大王の多くの妻のうちの一人で一番愛されていたという Ka'ahumanu、彼女によってハワイ古来のKapu(タブー)制度は廃止され、原始宗教(ハワイ古来の宗教)の廃止、それによってハワイ中のHeiau、そしてTiki(偶像)を破壊するおふれを発令。一番真っ先に壊されたのが、このAhu'ena Heiauでした。時が過ぎ、1970年代に入り、Bishop博物館の協力のもと、現在の姿に再現されるのです。 
ハワイの大会に出場するということは、単にHulaを競うだけでなく、Hulaに関するゆかりの地に立って、その歴史を知って、はじめて見えてくる事が多くあることを実感できるから素晴らしいのです。唄の中に出てくる景色や風や雨や歴史を知らなければ表現できないことに気づかされるのです。 
Ahu'ena Heiauに立ち思うことは、何らかの意図をもって再建したはずのこのHeiauを一番のお気に入りの妻によって破壊されたことを、天国のKamehameha大王はどんな気持ちで見ていたのだろうと……。 

11月17日(土)
Konaの海の夕暮れ。
(※写真右下の日時は、カメラの設定ミスですので、無視してくださいね。)




これから私達だけの大会の打ち上げパーティ兼祝賀会がOutrigger-Keauhou Beach Resort(ハワイ王室が所有していた場所で史跡もある)(Uncle George Na'opeが長年このHotelでShowをしていたこともあり、私にとっても想い出のいっぱいあるHotel。特にバーテンダーやミュージシャンは仲良しの人ばかり)の海沿いのBar(海ガメも見かけることがある)で始まろうとしていた。

4.11.2014

初めてのハワイ遠征の旅! ⑤

これまでのあらすじ 
第21回 King David Kalakaua Invitational Hula Festivalがカメハメハ王ゆかりの地 King Kamehameha Hotelで行われた。沖縄から初めてハワイの大会へ参加した我々はなんと3部門とも3位に入賞、総合で2位。4つのトロフィーを獲得。涙、次にハグ、最後に喊声の嵐が静かなKonaの夜にまった。
11月16日(金)
すがすがしい朝。
前方には濃紺の静かなKonaの海。後方にはKonaの町を抱くかのようなHualalai(山の名前)。

昨日までの緊張の糸がほどけて、やっとハワイが見えてきた。
今日からは“楽しむぞ~”。

我々の出場する部門は昨日の一日ですべて終了。あとの2日は大会を楽しむのみ。
夕方のMiss Na Kamalei O KonaとKaikamahine Hula Kahiko Competitionが始まるまで、皆自由行動とした。皆は三三五五Konaの町へ散っていたが、私とAlaka'i(Poli)は“Halemaumau参り”を依頼するべく、Kona Isleに住むKumu Debbieのお宅へと車を走らせた。
国立公園であるHalemaumauでPeleにHulaを奉納するためだった。そのためには事前に管理事務所で許可をとらねばならないのだった。大会に入賞した旨を告げれば許可はすぐおりるはずだった。Kumu Debbieは私の依頼をこころよく引き受けて下さり、管理事務所にTelして下さった。
後日連絡があるということだった。
“さぁ、Peleの大好きなGin(ジン酒)を買わなきゃ。”

Kilaueaには何度も訪れているが、HalemaumauでPeleへの奉納をするのは初めてで、考えただけでもワクワクしてきた。

夕方、ステージ裏をのぞいたら、可愛いKaikamahine達(Keikiの女の子達)が衣装に身を包み、きれいなLeiをつけ、にこやかに待機していた。
ステージでは写真を撮ってはいけないので、今がチャンスと了解を得てシャッターを押す。
皆、どのチームも可愛かったのだが、あえて選んでみた。

一番可愛いNa Kamalei O Kona(ソロ)に出場する女の子(首にかかっているのはHala=アダンの実で出来たLei)。デンファーレのレイはきっと御両親かお友達からいただいたのでしょう。ステージに上る時にはそれをはずすはずです。バラの花もいただいたのネ!(ファンは多いはず、そのキュートさでは!!) Ki(ティーリーフ)のパウの上にLauhala(アダンの繊維)のパウを着けて、何を踊るのかしら?

4.04.2014

初めてのハワイ遠征の旅! ④

これまでのあらすじ

2001年11月、Halau Hula Kalakauaにとって初のハワイ大会遠征の旅。11月13日にハワイ島コナに到着。そしていよいよ大会の日(15日)をむかえた。メリーモナークでMiss Aloha Hula(ソロ)を6人も誕生させた名門ハラウHalau Ka Ua Kani LehuaとそこのKumu, Johnny Lum Hoと一緒に緊張の面持ちでステージ裏で出番を待つ私とちがって、のんびりムードのリラックスした表情のHaumana達。Kumu Johnnyと彼のTeamにAloha Kissする時も、元気に明るく“Aloha!!”とくったくがなかった。実は皆、Johnny Lum Hoの事を全く知らなかったのである。何しろHula Le'aが出版されたばかりで(本場のハワイでさえ、写真がきれいでしっかりとした装丁のHulaの専門誌がなかったので、2000年にHula Le'aが出版された事はハワイのフラの人たちをおおいに驚かせたし、日本にフラブームを起こした火つけ役になったといっても過言はない。)私のHaumana達はまだまだフラ事情にうとかったのである。後で私がKumu Johnnyと彼のハラウの事を話すと「あ~、一緒に写真を撮っておけば良かった」とくやしがっていた。
さて大会はKamehameha HotelのTennis Court Stageでpm6:30に開始していた。ハワイといえども11月の夕方はどっぷりと日が暮れ、照明のあかりがたよりであった。 5番目でLokomaika'i WahineのKahiko(古典)、15番目KupunaのAuana(現代)、16番目でLokomaika'i WahineのAuana(現代)というスケジュールだった。
まずLokomaika'i WahineのKahikoは“Aia la O Pele”。衣装はPeleの火のようなオレンジ色とLava(溶岩)の黒の混じり合ったような生地を探して作った。LeiはLei po'o(頭のレイ)、Lei 'a'i(首のレイ)、Kupe'e(手首、足首のレイ)ともLiko Lehua(レフアのつぼみ)とLehua(赤いレフアと黄色のレフア)を使った。私のLeiはTakako Mamaが作ってくれた。ハワイのKamani(実が沖縄の4倍も大きい)を使って、光沢と虫に食べられないようニスで仕上げてくれたので、13年たった今でも重宝している。無我夢中でChant(Oli)し、Ho'opa'aを終えた後、皆を控え室につれ戻し、Auanaの準備にかかった。 
Kupunaはすでに化粧をし、髪を結いあげ待機していたので、あとはKoko(髪かざり)とLeiをかけてあげるだけ。彼女達の踊りは“Kamalani O Keaukaha”、Uncle Georgeの大好きなLena Machadoの作品。Uncleのふりつけは美しく、そのかわり練習は大変だった。ハワイ島はHiloのUncleの育ったKeaukaha地区の歌。歌の中に出てくるCarnationとMaileが今回のLeiの材料となった。Fact SheetにCarnationとMaileのLeiを使うと書く時にも、ハワイへ長距離電話をし、Lei Makerに作ってもらえる事を確認したにもかかわらず、皆より一週間前に着いて念のためLei Makerの「○○の店」を訪れると、「エコ、どこ探してもCarnationがないのよ」と平気でおっしゃる。日本人にはあり得ない話がハワイと沖縄にはあるのである。(笑)南の島には“ナンクルナイサー”(どうにかなるさー)があたり前。沖縄で育った私でさえあきれかえる、ひっくりかえる、アマガエル…(あっ、また脱線!!)。「普通ないならないですぐに連絡してくるのがあたり前じゃない」と言いたいのをがまんして「Honoluluに電話して、それでもなければ本国に電話してさがしてちょうだい!!」と頼んだ。結局の所、本国からきたCarnationを使ったため、輸送費も含め予算の3倍料金のLeiとなった。そんな事情はつゆ知らず、Kupuna達はその美しいLeiに身を包みご満悦!ハワイ島の色、赤で衣装を作り、その上にグリーンのMaileと白とうすいピンクのCarnationがはえて、とてもきれいだった。
続いて、Kahikoの衣装から着がえ、化粧し、髪をお団子にしたWahine達のそのお団子のまわりにKahikoで使ったLei po'oを巻きつけ、同じくKahikoで使ったKupe'eを右の手首だけに巻きつけ完成!!Wahineはぜいたくが出来なかったので、節約した結果、Leiを使い回すことを考えた。“Na Kuahiwi Elina”の5色のPalaka(ハワイアンチェック)に同色のスカートが可愛かった。
(これまでのあらすじはここまで)
大会終了。