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12.26.2014

Mele Kalikimaka!!


Mea Hou ①
ママ達からのプレゼント

HālauではKeikiクラスに通う子供達は必ず保護者同伴でやってきて、お稽古の間もずっと見てもらう事になっている。だから親達も自然にチャントを覚え、ルールやマナーを覚え、レイメイキングを学び、子供達がお稽古をしている間に何かしら手芸を楽しんでいる。最近ではすっかりプロ顔負けのすっごい作品を作るようになっている。

あすかママのカオリさんがリボンレイとリボンのリースを作って下さった。

12.19.2014

Hau'oli la Hanau E Poli ! / Paepaeさん達に感謝する日


Mea Hou ①
Hau'oli la Hanau E Poli !
2014年12月11日(木)
Poliは幸せ者だ。
彼のお誕生日は2日後の13日だというのに木朝のクラスから早々とプレゼント(良い香りのする石鹸)をもらい、ヒロミさんからも密りんごをもらっていた。(もっとも私も便乗していただいてしまった!! ごちそうさまで~す!!)


夜のクラスでも、代表してナガトモさんがストロベリーケーキを焼いてきて下さって、皆でPoliを祝ってくれた。ホームメードのストロベリーケーキは甘酸っぱくっておいしかった!! 
ナガトモさんありがとう(Poliの代弁、でも便乗していただけて幸せだった!!)


12.12.2014

続・徒然草

Mea Hou ①
お菓子を運ぶ妖精!

Hālauの出入り口のカウンターの上には、ピンクのお菓子入れが置いてある。
おけいこの後の疲れた体には甘い物がきく。エネルギーがでるのだ。だから、だれでもそこからどうぞって置いてある。
皆が持ってきたお菓子の残りを入れておくのだが、Ka Papa Ilima(子供クラス)の後は見事に空になる。でも、すぐにお菓子が湧き出てくる。不思議だなぁと思っていたら、ちゃ~んと補充するお菓子を運ぶ妖精がいたのでした。その名もニシタズさん。
今日も可愛いクリスマスパッケージのGODIVAのおいしいチョコレートを皆に運んできてくれました。Mahalo!
ニシタズさん、あなたの可愛いお心づかいに感謝!!



Mea Hou ②
ミカのpēpēのお披露目!!

ミカチューが第2子を連れてHālauにやってきた。
皆にお菓子のお土産も持ってきてくれた!!
9月に産まれたばかりのリュウマ君はタキシードを着て、とびっきりのおめかしをして、全然泣かず、ぐずらず、だれにでも抱っこされるしっかり者だ!!
ちょうどKupunaとLokomaikaiの合同SPのクラスで、皆pēpēを見て眉尻下がりで満面の笑みをうかべている。(そうそうHulaの時にそんな顔をして欲しいものだ!!)可愛いpēpēの訪問で、Hālauは一気にホンワカムードになっちゃった。
pēpēのエネルギーはすごいなぁとあらためて実感!!
ミカノ子達は、お兄ちゃんがリュウノスケで弟がリュウマだからドラゴンブラザーズと呼ぶことにしよう。(と心に決めた)
ミカは独身の頃にHālauに入り、World Invitational Hula Festivalにも出場し、結婚、出産。大きなお腹でもHulaを続け、しかも今回出産準備期間中に教員試験も合格したとうれしい報告も受けた。年明けにもHulaを再開するという、がんばり屋さんのミカ、待っていますよ!
こうやってOhanaが次々と二世の顔を見せにやってくるのが、何よりの幸せです。

おめでとう ミカチュー、そして 初めまして リュウマ君!!
I am so happy!

12.05.2014

徒然草

徒然草 ①
念ずれば夢叶うの巻

2014年11月27日(木)
今日は Thanksgiving Day。なのに私はいまだにPumpkin Pieを焼いていない。
ところが朝の最初のクラスが終ってHo'oponoponoの円陣を作ったところで、ナ・ナ・ナント、アナタズさんが焼いてきたPumpkin Pieが登場!


「キャ~私の念力すご~い。食べたい、食べたいって思っていたのよ~」と大はしゃぎをしてしまった。
夢にまで見たPumpkin Pieにテンションはあがり、それを一口ずつかみしめながら、ほおばり、思いっきり味わった。
おいしかった!! 最高の感謝祭になった。
ナオミさんはくずもちを作ってきて下さったし、ケイコさんは神戸に行ってきたといってお菓子を皆に持ってきて下さり、次のクラスでもチハルさんがスコーンを焼いてきて下さった。


そう、Thanksgivingは食べ物に感謝する日、もう最高に幸せ。
感謝、感謝、皆で分かちあえる喜びの日。

Happy Thanksgiving Day!  
皆の作って下さった手作りのお菓子は、私の体で血となり肉となりそしてパワーになって、また皆に元気でHulaをお返し出来るはずで~す。ありがとう皆さん、そして神様、願いを叶えて下さってありがとう。  
念ずれば夢叶うなり……。

11.28.2014

Happy Thanksgiving Day!! ~ Hō'ikeをふり返って!②

2014年11月27日(木)
今頃ハワイに居るのなら、Roast Turkey(七面鳥)Cranberry Sauce(クランベリーをジェリー状にしたもの)Pumpkin Pie(かぼちゃのパイ)にありつけたのに!!
お肉嫌いの私でもTurkeyなら、ほんのちょっと食べられる。Cranberry Sauceは甘酸っぱくて大好き。Pumpkin Pieはごはん代わりに食べちゃう大好物。
今年はハワイに行かないから、自分でPumpkin Pieを作ろうと思ったけれど、なかなかお料理をする時間がみつけられそうもないので、すべてインスタントで作る事にしよう。(かぼちゃもマッシュせずに缶詰を使い、パイ生地もねりこまずに出来合いのものを、ミルクとスパイスを混ぜて焼くだけ!! 
せめてオーブンで焼きあげる時のあのこうばしい香りだけでも楽しみたい。)と気持ちだけが先にいって、なぜかいっこうにその気になれない。
それでも材料はちゃ~んと集めてあるってことを写真に撮っておこう。
諸々の事、日々に感謝をこめて……
Happy Thanksgiving Day!!

p.s. All things happen with perfect timing.(すべてが絶妙のタイミングでやってくる)ってことだから、pumpkin pieを焼く時間を待ってみよう。


Thanksgivingが終ったら、いよいよクリスマスシーズンに突入!! 
ってわけで、週末は玄関前にクリスマッシーな寄せ植えを置き(私が作ったのよ~エヘン!!)、ドアにリースをかけ、玄関をちょっとだけ飾ってみた。


ブリキのバケツに入ったクリスマスツリーは、おしゃれな友人が作ってくれたもの。お気に入りで、松ぼっくりもその友人が北海道からわざわざ送ってくれたもの。
ちょっとシックなイメージでしょう。



Hō'ikeをふり返って!②

Mea Hou ①
ホイケのセレモニー

毎年、ホイケの日の朝に皆でホイケが成功するようセレモニーを行う。
今年はステージの上で行った。紫軍団が全員で大きな輪になってそれは始った。


11.21.2014

Hō'ikeをふり返って!

Mea Hou ①
Cinema Kにて映写会!

2014年11月15日(土)秋晴れの土曜日、Pm2:00からとPm8:00からの2回上映で、先月行われたHō'ikeの映写会がCinema Kにて行われた。
当日のCinema KはPop-Cornの香りに包まれて、ほのぼの幸せムードがただよっていた。Pop-Cornが大好きな私のたってのお願いが通じて、貴子さんがPop-Corn専用の鍋持参で大量のPop-Cornを作って下さった。しかも塩、バター味以外にもチェダーチーズ味、ホワイトチーズ味と本物の映画館のそれよりもバリエーションに富んだ物だった。Pop-Corn片手に皆は映写会を楽しんでくれたようだった。演技がひとつ終るたび、拍手が湧きおこり、笑いがおこり、照明の変化に感嘆の声があがった。自分達の演技を確認することが出来る良い時間だった。
Pm8:00からの上映の際にはKua'aoがハワイアンフレーバーコーヒーを持ってきて、Ohana会へのドーネーション(1杯¥100、おかわり自由)目的で販売して下さった。甘~い香りのフレーバーコーヒーとPop-Cornは最高の相性だった。貴子さん、Kua'aoのKokuaに感謝!
Ohanaの皆、映写会の感想、Ho'oponoponoの時間に聞かせてネ!!
玉城ヒデ子さんの御長男が2回の上映の映写技師としていらして下さって、大変感謝致します。私もPoliも当日はハラウに14時間待機、長~い一日でした。



Mea Hou ②
Lei Making!

2014年10月25日(土)
ホイケリハーサルの日。
リハーサルはもちろんの事、皆は合間をみつけてはLei Makingにいそしんだ。
フラダンサーは自分の身につけるLeiやKokoを自分で作れなければならない。Lei Makingは必須!!



11.14.2014

続!話題 盛りだくさんな週!!

Mea Hou ①
秋、夜の月、朝の月!!

なんでも昨日(11月5日)はミラクルムーン(171年ぶり、後〔のち〕の13夜というらしい)だったらしい。
あまりにも多忙で、空を見上げる事もなく過ごし、くやしい思いをしたものだから、一日遅れの今日(11月6日)は夜のクラスに出かける際、スマホをONにしてカメラにセットして車に乗った。
どこに月があるのやら渋滞にどっぷりはまってしまって車はノロノロ、私の目は空を見上げキョロキョロ。大山あたりにさしかかった時、突如それはあらわれた。厚い雲の中からニュッとまばゆい大きな月があらわれた。まさに童謡の“盆のような月”だ。

(11月6日、18:23)
昨日はもっと大きかったんだろうな~と思いながら、走る車の中からシャッターを切ったが、肉眼で見るそれとは比べ物にならないほど小さく写っていた。でも夕方のラッシュアワーに巻き込まれていたのも苦にならないほど、美しい月を楽しんだ。
ところがその月に明け方起こされてしまった。有明の月だ。

(11月7日、5:44)
私のBed Roomは森(ネバーランドの森)に面して全面ガラス張りなので、よく月に起こされる事がある。有明の月は私に“ねぇ~見て!! 見てよ!! 昨夜私の事ほめてたでしょう。もう一度よく見て!! キレイって言ってよ!!”とばかりに私を起こしたのだった。
もうじき太陽が昇るというのに、いまだ意地をはっている可愛いお月様!!
“つきだよ”じゃなくって“すきだよ”!!


Mea Hou ②
トドのあつまりじゃなくってトドのつまり…

ホイケが終って2日目には普通のクラスが始まったカラカウア。なにしろ鍛えるのが好きな人ばかりが集まっている。ランナーズハイならぬダンサーズハイである。アイアンマンのPoliがMTクラスとSPクラスを担当しているから余計である。彼は3時間ぶっ通しで筋トレを続ける。それを続けて17年である。私はいいとこどりで彼が鍛えたHaumānaに筋力を利用したKahikoを教えるだけ。(私はいつもPoliに“もっと筋トレして”と言われている。ウフフフ)
さて、今日も皆Poliの指導に従ってトレーニングしている様子をパチリ!! 


11.07.2014

話題 盛りだくさんな週!!

Mea Hou ①
実りの秋! Hālauは今年も豊作!!

大きなカボチャならぬお腹を抱えたHaumānaが必ずいるのが秋のHālau。
なぜかHō'ike前後に妊婦さんが増えるのよねー。なぜかな~。


春菜(左写真)、真梨子(右写真・左)、麻実(右写真・右)はもうじき収穫の時期だね~。楽しみ!! 実り多いカラカウアからのレポートでした。


Mea Hou ②
お菓子をもらって一番喜んだのは??

今年のハロウィーンはKeiki(子供)クラス、Ka Papa Ilimaのある金曜日にあたった。
その日にクラスがあればもちろん仮装でお稽古して良いのです。
子供達ははりきってシンデレラ姫、スパイダーマン、ジャックスパロー等になりきってきたので、子供たちを引き連れてプラザハウス中を練り歩いてみた。
するとあちこちから“キャー可愛い!!”と言われ、たくさんお菓子をいただいてしまいました。ありがとう、プラザハウスの皆様!! 
さて、それぞれのパパやママからもいっぱぁ~いお菓子をもらって、皆帰る頃にはサンタさんのように大きな袋をしょっていましたよ。

10.31.2014

Ua Pau Ka Hō'ike

Happy Halloween!!


Trick or Treat!!


Ohanaの皆様へ

皆のすご~い活躍、チームプレーのもと、今年のHō'ike、そしてUncleの5年忌を無事終了することが出来ました。
Mahalo a nui loa e nā ohana!

10.24.2014

秋めいて沖縄!! 未来日記

台風が過ぎたとたん、沖縄にも秋がやってきた。
秋の七草:萩(はぎ) 葛(くず) 尾花(おばな) 女郎花(おみなえし)
     桔梗(ききょう) 撫子(なでしこ) 藤袴(ふじばかま)
七草は空で言えるけど、見たことのない草が3つある。
萩は両親の家の生垣に咲いていて、この花が咲くと秋を感じたもの。
尾花は薄(すすき)の事。これも裏の空地にびっしりと咲いて白い綿毛を飛ばしていた。
桔梗は(今はトルコ桔梗が花屋さんでよく見られるようになって、いろいろな色があるが)紫色の清楚な日本の花ってイメージ。
撫子は学校の花壇によく植えられていた。(最近の沖縄の学校ではプランターにベゴニアやインパチェス等が植えられているのが見られる)花にも流行があるようだ。
葛と女郎花、藤袴をまだ見た事がない。秋になるとこの3つの野草が気になってしまう。

ホイケ直前!! 熱気あふれるハラウ
2014年 10月24日(金)

今夜は浦添市サンパーク通り(泉公園にて)で行われるサンパーク祭りに出演します。
このお祭りとは20年近くのおつきあい。今年も楽しい演目をお届けするために総勢50名のOhanaが出演致します。無料です。
秋の夜長、涼しい風に誘われて、たくさんの方が遊びにいらして下さると嬉しいですね。
(我々もホイケ直前の体ならしのつもりで楽しみます。今夜の演目はホイケの演目と違いますので、ホイケを見にいらっしゃる方は2倍楽しめちゃいますよ!! 屋台も楽しみ!!)


2014年 10月25日(土)

今日は本番を明日に控えての会場リハーサル。
大道具チーム(Ohanaは率先して、司会、進行、弁当係等々、チームを作ってホイケの総てを行う。音響と照明の仕事はプロにまかせて、受付はアルバイトを頼み、それ以外はすべて出演者達が交互で行うのである。すごい事なのです。)は今朝からステージのセッティングを行い、花を飾りつけ、Heiau(神殿)の組み立てを行います。
かたわらでは各チームのミーティングが行われていて熱気ムンムン。
ホワイエ(会場入り口前)ではCoCo Emily(ココ エミリー、東京浅草にあるハワイアングッズ、ハワイアンドレスの店)がもう店をひろげています。(Ohanaは明日の本番では忙しすぎて買物どころではないので、今日わざわざ一日早く来沖してOhanaのために開店して下さいました。染谷社長のお心づかいに感謝致します。)
Musicianのセッティングが終った所でサウンドチェック、照明のチェックが行われます。音響、照明のスタッフの方達もプロ中のプロで仕事熱心な方達ですので、大船に乗ったつもりでずべておまかせ。すばらしい、美しい効果を出して下さるでしょう。

3時頃から続々とOhanaが集まってきて、それぞれの踊りの立ち位置、出方、はけ方を練習します。皆は“本番よりもリハーサルの方が緊張する。だって踊りを知っている先輩達が見ているから!!”と言います。その通り、カラカウアでは10年選手がいっぱいいて、今では15年以上のOhanaが10名もいるのですから。皆ハワイでの大会を経験しているから、目もこえているはず。

午後5時には出演者が全員集合。
進行係からの注意事項の説明の後、毎年恒例になっている“8年目のIPUの授与式”が行われます。
今年の授与者は7名。私の友人で、読谷では有名な陶芸家に依頼して作っていただいた陶器のIpuをプレゼントします。(Ipuの形8を横にすると∞〔インフィニティー=無限〕いつまでもフラを続けてねと私から8年目を終了したHaumānaへのささやかなプレゼント)

Pm6:00からは本番さながらのリハーサルが始まります。
衣装を着けて行い、照明の調整等も並行して行われます。
まずはKahiko、そしてAuana。
出演者は自分の出番以外は客席に座って見る事が出来ます。
今年のホイケは師匠ジョージ・ナオペの5年忌(10月26日、2009年没)にあたるので、彼のために踊る“Lei Lokelani”のため、遠方は埼玉から熊坂麻子さん(2009年 World Invitational Hula Festival 優勝チームの一員。フェイスブックでいつもコメント書いて下さる方)が駆けつけて下さり、今日のリハーサルで一緒に踊る人達と練習しています。(仕事の都合で沖縄を離れる事、2年。でもそんな事を全く感じさせず、皆と息がぴったり。それもそのはず、彼女は何度もWorld Invitational Hula Festivalに出場し続けたŌlapaだから!!)
Kahiko、Auanaとリハーサルはスムーズに進んでゆく。

キャ~いよいよ明日、待ちに待ったホイケの日だ。すっごく楽しい。皆もいい顔してる。あ~ゆっくりとおふろにつかって、今日はぐっすり眠ろう!!
そうだ、明日の朝一にやるべき私の仕事は“Awa作り”(毎年ホイケのセレモニーのために“Awa”を作る。)“Awa”は高価で16oz(約450g、コーヒー袋一つ位)で$150(¥15.000)するので、ホイケの時にしかふるまう事が出来ない。“Awa”はセレモニーに不可欠な物であるが、鎮静作用もあるので、ホイケの前に心を落ちつかせる効果も大きい。お湯を沸かし、網に入れた“Awa”をその中でひたすら乳しぼりのようにもむのです。出来た“Awa”をだれよりも最初に味見をするのは私の特権。“今日も良いホイケになりますように”って願いながら最初の一杯をいただくのです。
エ?どんな味かって?“ウフッ、それは内緒!! カラカウアに在籍するお友達に聞いて!!”

ブログを読んでいらっしゃるあなた!! もちろんカラカウアのホイケにいらっしゃいますよネ。お待ちしていますよ!!お父さんもお母さんもお友達も、皆で来て下さいネ。どんな年令(ただし小学生以上、7才以上)の方にも楽しんでいただけるホイケですよ~。ワクワク~。

Ekko Ma'ema'ekapuaokahala Ota




第17回Hō'ike のチケット発売中!!

The 17th Annual Hō'ike Hālau Hula Kalākaua

第17回 ハラウ フラ カラカウア ホイケ

2014年 10月 26日(日)
場所:かでな文化センター
入場料:3500円
開場:17:00
開演:18:00
お問い合わせ:
098-878-5654

プラザハウスの1Fインフォメーションにて、10月26日(日)にかでな文化センターで開催予定の第17回Hō'ikeのチケットを発売中です。

また、ハラウ フラ カラカウアの生徒からもチケットを購入できます。

10.18.2014

ハワイ大会遠征レポート 2014 ③

大会は終った。入賞こそしなかったが、観客ジャッジとよんだらよいのかハワイのファンから高価なPahuをいただいた事が何より嬉しかった。この報告を持って胸をはって沖縄に帰れる。

さて今日は我々の所望したKilaueaに行ける日だ。
11:40分にお迎えのバスが来た。大会チームもリラックスしている。(昨日までの緊張がほぐれていよいよ旅行モードでワクワクしてくる)
バスはKonaから真黒な溶岩ロード(右も左も溶岩だらけ)を抜け、緑のWaimeaでちょっと休憩。その後、長~く続くパーカーランチ(牧場)を延々と走り、やっとノスタルジックなHiloの町へ到着。
Kupuna Hula FestivalのスポンサーでもあるBig Island Candiesの工場へ。工場がガラス張りでクッキーに1枚1枚チョコレートをディップしているのが見えるようになっている。素敵なデコレーションの箱においしそうなクッキーが並べられていて、試食のクッキーと試飲のコーヒーで、しばし皆とユンタクタイム(=チャットタイム=おしゃべりタイム)。
それからバスは我々をMaunaloa(マウナロア=長い山)へと連れてゆく。KilaueaはMaunaloaの中にあるのだ。
たなびく雲が眼下に見え、いよいよKilauea到着。山の上は寒いので皆にジャケットが配られた。


まず、Halemaumau(キラウエアの火口、ペレの家)の見える位置に大会で使ったレイを並べ、Uncle(Uncleはお墓を作らなかった。Halemaumauに散骨したのだ。だからペレとともに眠っている)にChantを捧げた。皆でChantをしたから、きっと喜んでくれているでしょう。


10.10.2014

ハワイ大会遠征レポート 2014 ②

2014年 9月10日(水)

いよいよ今日からKupuna Hula Festivalが開幕される。今日はSoloとHo'olaule'a(前夜祭)だけなので、ちょっぴりのんびりムード。
Am7:00、Keauhouの海で禊をする日。
運転手の私が大活躍。(なにしろ海まで3往復で皆を連れて行き、禊をして、またホテルまで3往復で連れて帰らねばならない)Konaにいる時は私は皆の下僕となる。
Keauhouの朝の海は、ちょっぴり冷たくって禊には最適。心がキュンと引き締まる。
沖縄の皆からもらったKiのLeiやKupe'eを海に投げ“また戻ってこれるよう”願う。
(KiのLeiやKupe'eは一切糸を使っていないので、海に投げても大丈夫。魚が食べても大丈夫!! 糸を使ったLeiは投げちゃだめ。魚の喉に糸がからまって死んでしまうから。糸を使ったLeiは山に返すの。そうすると、いつの日か糸も自然にかえるから)


私がピストン運行をしている間、Poliが4匹のHonu(亀)を見つけたという。私はすぐに気づいた。(この4匹のHonu、1匹はUncle George、2匹目はTakako Mama、3匹目はBobby Boy、四匹目はKumu Rae Fonceka)
Poliに“きっと良い事があるわよ!!”と言ったら、Poliも“そうだね”と答えた。
驚いた事にその良い事がまさかすぐに訪れるとは!! 

10.03.2014

ハワイ大会遠征レポート 2014 ①

2014年 9月8日(月)

台風接近により、出発が一日早まるかもしれないから、その心構えでいて下さいとJTBの神谷さん(ここ10年来、彼が私達の旅を快適にプランして下さる。感謝です)がおっしゃっていたが、幸いにも台風は沖縄をそれて、我々は無事予定通り沖縄を発つことが出来た。たくさんの見送りにかけつけてくれたOhanaと共に空港の喧騒の中で静かに“Imua La'ae”を唱え、いざ出発!!
我々の首にはKiのLei、そして手首にはKiのKupe'eが巻きつけられている。Ohanaの愛に守られているから大丈夫!! Ohanaのエールを背に浴びながら搭乗口に向う。
「行ってきま~す。あとをよろしく」一生懸命手を振っている皆にそういって、一礼のかわりにHula DancerらしくCharming Smile!! ウフッ。

9.26.2014

ただいま!!

今年のKupuna Hula Festivalのプログラムの表紙。
(遠征の旅の模様は、追って報告しますのでお楽しみに!)
2014年 9月16日(火)

いよいよハワイを発つ日の朝。クィーンカピオラニホテルのロビーに11時集合の予定。
今回は発つ時間が午後なので、ゆっくりとした朝を迎える事が出来、隣のABCストアーで買ってきたバニラマックコーヒーを飲みながら皆の来るのを待っていると、(十年来のオアフ島のOhana)ホテルのフロントの人達が交互にあいさつにきて“今度はいつ来るの?”“待っているわよ”“気をつけてネ”とハグをしてくれた。私もハグをかえしながら“また来年くるわよ”と元気にこたえた。

皆も集合し専用車に乗りこんだ。19人で乗るには大きすぎる大型バス。
バスは名残惜しそうな我々の気持ちを察してか、ワイキキビーチ、ホノルルZOO、ダイヤモンドヘッド、ワイキキシェルの回りをぐるっと見せるように走り、カパフル通りをくまなく見せてくれてハイウェイへと向かった。(あ~、Rainbowドライブインにも行けなかったし、レナーズのマラサダも食べなかった。でもマラサダはハワイ島でTexのマラサダを食べれたからいいや。しかもPoliのおかげで全員分をガイドさんがおごってくれた。このくわしい話はナイショ。)Bishop博物館にも、重そうな緑の実がたくさんなっているUluの木にもバイバイして、いよいよ空港到着。

9.19.2014

未来日記

2014年 9月19日(金)

現在9月2日(火)、今日書く事は未来の事。
9月8日(月)に沖縄を出発して、関空経由でホノルル空港に到着。すぐハワイアンエアーでコナ行きに乗り換え、同日(9月8日)の2時にはコナ空港へ到着。友人のMaydelynがWelcome Leiを持ってお出迎えしてくれる。そうしてハワイの旅の始まり、始まり。
でもって9月16日(火)にホノルルを発ち、9月17日(水)の夜遅くにやっと沖縄に着く。
私の留守中もHālauはお休みなし。(日本の休日、祭日もお稽古はある)皆、一生懸命練習に励んでいる。なにしろ、もうHō'ikeまでそう日数がないときている。


今年のHō'ikeはUncle George Na'ope師の5回忌にあたる。
わざわざこの日を選んだわけではないのにそうなった。
Uncleが仕組んだに違いないと思った時から、大幅にプログラムを変更して、Kalakaua王とUncleと我々の関係にテーマをしぼった。
75年間、閉ざされていたハワイの文化をKalakaua王が見事に復活させ、活性化させたが、ハワイ王国滅亡の危機にあって、またまたハワイの文化(言語、フラ等)は禁止された。
それを救ったのがUncle George Na'ope師だ。
津波でダメージをうけたHiloの町を復興させるためにおこしたMerrie Monarch Hula Festivalを開催することによって、Hiloの町にたくさんの観光客を呼び戻し、さらにHulaが世界中の人々に知れ渡るようになるほどの一大イベントになっている。Hulaを多くの人に紹介し、今や日本でもHulaを知らない人はいないくらいになっている。
そんな偉業を成し遂げたKalakaua王とUncle George Na'ope師(Hulaの伝統を継承するだけでなく、伝道師として世界中を回った)をたたえてプログラムを構成した今年のHō'ike。
是非、お越し下さい。

私はUncle George Na'ope師から教わったことを忠実にHaumānaへ継承していくことだけが仕事です。

彼の教えて下さった伝統のHulaを、たくさんの沖縄にいる方々に見てもらえるよう努力を続けることが生きがいです。
Ekko Ma'ema'ekapuaokahala Ota


9.12.2014

いざ出陣のとき!!

2014年 9月8日(月)

いよいよこの日がやってきた。
Kupuna Hula Festivalへ出場するために遠征の旅に出かける日だ。

先週8月30日(土)にプラザハウスでのHawaiian Show(Pm2:00~とPm4:00~に40分のShow)を終えた後、HālauではKupuna Hula Festivalへ出場するチームの壮行会が行われた。
Hui O Ohana(ハラウの生徒会)から出場者達へ金一封(ボランティアでいただいたお金やShow Teamからの寄付やらを貯めて皆のために使う)が贈られたり、皆から可愛いプレゼントがあったり。
そして出場者達は本番さながらに衣装を着て大会のステージで踊るHulaを初めて皆の前で披露した。踊りながらどんどんフォーメーションが変わっていくたび、見ているOhanaからは声援と拍手がおくられ、それに応えるかのように満面の笑みで踊り手達は楽しそうに踊り終えた。最後の仕掛けに見ている皆はそれぞれに違う反応をした。涙する者、大笑いする者。それでも全員がわれんばかりの拍手をしてくれた。さてジャッジはどう受け取るか。私はその事だけを考えていたが、私が思っていた以上に出場者達の練習の成果は出ていたように見受けられた。


プレゼントたくさん!

9.05.2014

“お忙し”の週末、8月最後の週

2014年 8月28日(木) “Pā'ū Ceremoney”
今朝はAm11:00からG.ミカさん、W.ナオミさん、H.ツヤカさんのPā'ū Ceremoneyがあった。
三人は私とPoliのLeiだけではなく、KuahuのLakaにもLeiを作って捧げていた。

Kuahuに捧げられたLei。グリーンのLeiはS.ミキエさんから。

たくさんのOhanaから祝福を受け涙ぐんでいる三人が初々しくって愛らしかった。

8.29.2014

Poliは“Kinolau O Laka”(ラカの化身)?

2014年 8月29日(金)

Poliは私の元に20年以上いる。
2000年にUncle George Na'ope師から私がKumu Palapala(Kumu Hulaの認定証)をいただいた時、Poliも師のHālauのUniki(卒業)の証(Kahiko部門とAuana部門の両方の証)をいただいた。そして師の指名で私のAlaka'i(一番弟子、Hālauのリーダー)という役目を与えられた。
正直な所、私には驚き(ショック)であった。何しろ、その頃は今よりもお互いそりがあわず、しょっちゅうケンカばかりしていた。もちろん口論のことで、いまだかつてお互いに叩きあったり殴りあったりした事はない。(だってこんなに可愛いTinker-Bellちゃんを叩ける殿方はいるわけない、ウフッ。でも時として私の足の指に魔法瓶を落とす“あれ”はわざと?)冗談はさておき、Uncle George師の決めた事にさからえる訳はないので、ずいぶん長い事、私なりに我慢をしてきた。
最近になってこの話をしてみると、Poliも“こんな我がままな人の補佐をするなんて出来っこない”と思っていたらしい。この頃やっとお互いが見えてきて、議論しあっても妥協点を見つけ、それらを解決することが出来るようになってきている。二人とも少しは成長したのかもしれない。(あるいはUncleが仲良くさせるように仕向けているのかもしれない)
二人の唯一の共通点は、ピーターパン症候群という病気持ち。かなりの重症だ。二人ともまったく子供のまんまである。Poliは8才、私は13才、この年令で精神がストップしているからやっかいなのだ。でも、大人にならない二人だから男と女、性別が違ってもうまくいっているのかもしれない。
Kumu HulaとAlaka'iという役割をそれぞれ与えられ、この14年間二人して築いてきたHālau。
Uncle George師はやはりKahuna(ユタのような人)で未来が見えていたのだ。
PoliがAlaka'iで私を支えてくれたからこそ、今Hālauは存続しているけど、そうでなかったら私はとっくに「ヤーメた~ときーめた」(コレ私のお得意!!)とHālauを放り投げていたに違いない。だって私は自分の会社を持っていて、20代でBMW(外車)を現金で買えるほどのビジネスウーマンだったので、Hulaは魅力はあったけれど、それを仕事にする気はさらさらなかったのである。Hālauを始めて、いろいろな出来事に直面する度“こんな事してないで本来の自分の仕事にうちこめば、もっと楽して楽しい事がいっぱい出来るのに”と、何度Uncle George師と出会ったことを恨んだことか!!(ごめんなさいUncle、今はそうは思っていないので許してね)でもそんな事を思う度、Poliは私を叱咤激励して、私がHālauをやめることを許さなかった。何回いや何十回とそんな事があった。でも、いよいよPoliは2007年に自分の仕事を捨て、Hulaの道に生きる事を決意したので、私もそれ以降Hulaで生きる覚悟をせざるをえなかった。
Poliと私の関係は、線路の2本のレールのように決して重なる事はないが同じ距離を保ち、同じ目的地に向かって平行に進んでいく。枕木はUncle Georgeだ。2本のレールの真中にあって、しっかりその両端のレールをつかみ、2本のレールが曲がることのないように固定してくれる。
今、私はUncleへの感謝でいっぱいだ。Hulaの道があったからこそ、たくさんのHaumānaと出会え、幸せな時を過ごさせてもらっている。
そしてPoliがいなければHālauは成り立たないと思っている。頑固で自己中(自己虫??)なPoliだけれどかけがえのない存在、そして悪友だ。(Poliに感謝!!)
そのPoli、今までHālauがハワイでの大会で獲得した12個の賞のうち、ソロで4個、コンバイン(Poliが入って男女の部)で3個、あと2個は彼が歌って取っている。Alaka'iとして立派に役目を果たしている。(Uncleの目は確かであった)

Uncle George Na'ope師が2006年に出版した雑誌「Humu Mo'olelo」から抜粋。
帽子につけたLeiが素晴らしい!
この写真でUncleが着ているアロハシャツは、生地を私が選び、Poliが縫製して、
二人でUncleのお誕生日にそれを持ってかけつけプレゼントしたもの。
記事中に“沖縄の生徒からのプレゼントの特別なカスタムメイドシャツ”と紹介されています。
長袖シャツが好きなアンクル。カフスボタンがおしゃれ!

8.22.2014

大雨!! それでもお客様満員の大盛況サマーフェスタ!!

2014年 8月17日(日)

朝6時起床! 昨日手に入れた高反発枕なるもので寝たせいか、びっくりするくらい熟睡。そして快適な目覚め。あなどるなかれ、たかが枕、されど枕。すごい!!
おっと今日はグランドキャッスルホテルでのショーのお仕事がある日だ。空は青天!! 最高!! 夕べのうちに準備した衣装や楽譜をバッグにつめこんで、朝のお楽しみcoffeeを持ってラナイ(ベランダ)へ出ると、あれ?雨がポツポツ降ってきた。「あ~これは禊の雨だ」と思っているうちにどんどん大降りになっていく。お風呂からあがっても雨はやむどころかいきおいを増して降り続く。先程まで、ところどころ青い空が見えていたのに、もうどこにも青い空は見あたらなくなってしまっていた。“あっいけない、9時半に集合だった!”急いで雨の中、車を走らせたが、ホテルに着いたのは集合時間を15分も過ぎていた。(ねっ、前にも書いたと思うけれど、私の家には時間泥棒という名の妖精がいて、私が雨を見ているうちに、私の時間を盗んでいくの。)
ホテルの入り口には、もうすでに皆(今日の出演者達)が私の到着を待って立っていた。そして“Alaha e ke Kumu”と口々にあいさつをしながら実にテキパキと私の車に満載している楽器や道具、機材を“あっ”という間に運びおろしてしまった。
ひとまずキャッスルのスタッフの方々へごあいさつをした後、ミュージシャンの機材のセッティング。
これはバンドマスターのJoeがテキパキとこなしてくれる。音響、照明もさることながら、私のウクレレまで調弦してくれる。(Joeはなぜか幼稚園の頃から我が家に出入りしていた。)彼はピアノ、ギター、ベース、ドラム、なんでもこなすマルチミュージシャンで実に心強い。
さてお次はリハーサル。ミュージシャンとダンサーとの調整があるので、第2部のAuanaから始めてKahiko。立ち位置や、どのタイミングでChantするかを決めて終了したのが11:15。開場は11:30なので、あわててステージから控え室へ移動。
控え室の私の化粧台にはクーラーバッグが置いてあって、その中にはKahiko用のKiで出来たしっかりとしたLei Haku(頭飾り)と、Auana用の白やピンクを基調とした中にグリーンや黄のバラを使った美しいLei LokeとおそろいのKoko(髪飾り)が入っていた。
毎回Showの度、小海のママ、貴子さんが作ってプレゼントして下さる。(感謝)


8.15.2014

やる事いっぱい!! でも心はひとあし先にHawai'iへ飛んで…

2014年 8月10日(日)

大変!! なんと来月の今日(9月10日)は、ハワイ島のコナに居てKupuna Hula Festivalに出場しているのです!!
10日がIndividual Competition(男女ともソロの部)そしてHo'olaule'a(前夜祭)、11日が我々の出場するGroup Competition(団体の部、Wahine、Kane、Mixedの部)そして結果発表、授賞式と続きます。
11日は大会の始まる前5:00にProcession of Hawai'i Island Royal Court(皇族達のお出ましです)があって、Kahili(毛槍の様なもの、王様が通られることを示すもの)を持つ従者を先頭に王様、お后様、皇族、チャンター、従者達の行進を見ることが出来ます。私とPoliは毎年Royal Courtに対してチャントをし、Ho'okupu(捧げ物)をしています。
さて、この大会はハワイ島のコナにある超リッチなホテル、Sheraton Keauhou Bay Resort & Spaの施設内にあるConvention Centerで開催されます。もちろん宿泊も同ホテルなので、大会の練習はプールサイドや芝生の上、どこででも練習出来ます。キラキラ光るKonaの海を前にして建ち、館内にはスパイラルプールあり、スパあり、ジャグジーあり、夜にはマンタが見られるように海をライトアップ、朝にはHualala'i(山)がくっきりと見える、とても素敵なホテルです。練習中に喉が渇いても、素敵におしゃれな容器(ガラスの大きな容器の下に蛇口がついている)にレモンやきゅうりの輪切りが氷の中に浮かんでいる、それを飲んでゴキゲン!!
キャ~。もう心だけHawai'iにとんでいっているみたい!!
さてさて、今年でこの大会への出場がなんと10回目。(ハワイへの大会遠征が22回目になります。)ということで、是非とも入賞したいなぁ~。
明日から大会チームを猛特訓しなきゃ。


私の宝物(Kupuna Hula Festivalの大会のパンフレット=プログラム)

1999年
これはUncle Geoage Na'opeにつれていってもらって何度目か覚えていないけど、
大会へ行く度、いろいろなKumu Hulaに私の事を紹介してくださったUncleに感謝しています。

8.08.2014

チム ドン ドン、Bonne ボン お盆です!

2014年 8月8日(金)

沖縄ではお盆のことをシチグヮチ(7月)という。
旧暦の7月13日のウンケー(精霊むかえ)から始まって、まさに今日です、そして15日のウークィ(精霊おくり)で終わるのですが、ウンケー(お迎えの日)は夕方、門前にローソク(昔は松明だったそうな)をともし、それまでに仏壇を清め、位牌を浄め、お供え物をし、提灯にあかりをともします。(私の覚えている限り)お供え物はモチ、アゲドウフ、三枚肉、コンブ、ごぼう、かまぼこ。そしてミンスクーといって水を入れた容器(洗面器状の大きなアルマイトの容器)にサトウキビを細く切ったり、野菜のこま切れを浮かべたものがあって、それは仏壇の下に置かれていた。なんと、餓鬼などの悪霊に与えるものなのだそうだ。
精霊について悪霊もついてくるらしい。何しろこの3日間あの世とこの世には行き来できる道が現れるので、悪いものもいっぱい来るらしい。でも、それを大きな心で悪霊の分(ちっとも美味しそうではないヨ。水っぽいサトウキビや野菜ではネ。でも、きっと悪い事したから悪霊になっちゃったんだから、少しは反省しなさい!!という事かな?)も準備しちゃうんだから、人間(生きている人)って心が大きいなと思ったものでした。
さて、精霊のためのお供え物には萩の小枝で作ったお箸を添えておきます。(御先祖様がご馳走をいただけるように。)あ~だから私の家には萩が植えられていたのだと記憶をたどる。そしてサトウキビを立てておくのです。これは御先祖様があの世に帰るための杖なのだそうです。
ウークィ(精霊おくり)は15日の夜遅く(早くすると「サッサと帰ってしまえ」といわれているようで御先祖様は気を悪くするといいます。だから名残惜しそうに出来るだけ遅い時間)仏壇にお線香をあげた後、紙銭(ウチカビ=グソーのお金=あの世のお金、御先祖様におこづかいをもたせるのです)を焼いて、お供え物の一部とお線香の残りを入れたものを戸外の角において、手を合わせて精霊達を送ります。エイサーはあの世からの霊の集団とみなされ、ウークィの済んだ家々をまわり、酒肴の供応を受けて(御祝儀というかチップというか)念仏踊りを踊ります。
ご先祖様もチムドンドンしながら、エイサーを踊りながら、さとうきびの杖をついて帰っていくのでしょうネ・

皆様、御家族、御親戚集まって、楽しいお盆を!! Bonne Nuit!!

Ekko Ma'ema'ekapuaokahala Ota



2014年 8月17日(日)

お盆が終わったら、キャッスル・サマーフェスタへ行こう!!
首里にあるホテル日航那覇グランドキャッスルの宴会場「首里の間」で行われます。
詳細はフライヤーー、または“キャッスル・サマーフェスタ特設ページ”を見てネ。

チケットを買うと特典は、

○和、中、洋食のシェフの人気メニューが食べ放題。

○当日のプール入場無料。

○お楽しみ抽選会でホテルの宿泊券やランチ、ディナー券等の商品が当たるかも。

○目玉はハラウ フラ カラカウアのショー(2部構成、1部は古典(Kahiko)約40分、2部は現代(Auana)約40分)

ご予約・お問合せは、
 098-886-5464

☆お早めに!! 楽しいShowをお約束!!




第17回 Hō'ike のチケット発売中!!

プラザハウスの1Fインフォメーションにて、10月26日(日)にかでな文化センターで開催予定の ハラウ フラ カラカウアのホイケのチケットを発売中です。

また、ハラウ フラ カラカウアの生徒からもチケットを購入できます。

どうぞ、お早めにお求めください。

8.01.2014

2014 Hawaiian Night Special Dinner Buffet

2014年 7月26日(土) 7月27日(日)

“Jimmy's Presents 
  Hawaiian Night Special Dinner Buffet”

夏真っ盛りの週末にあてて、このお仕事をいただいたのが3ヵ月前。(イベントのお仕事は事前3ヵ月前に契約をすることにしている。なぜならプログラムを組んで、ダンサーを選び、お稽古をつけ、ミュージシャンと曲の練習、それからダンサーとミュージシャンとの合同練習、仕上げに衣装、Lei、Kokoの選択、制作。日常のスケジュールをこなしながら、これらの事を平行してしなければならないので、最低3ヵ月は必要なのだ。)
現在は1年単位でオーディションでダンサーを選ぶ。もちろんHaumānaの中からである。
私のHālauでは普通のクラス以外に大会(ハワイでの競技会)に向けてのクラスが年令別にあって、最初は筋力、持久力(古典=Kahikoを踊り、現代=Auanaも難度の高い踊りを踊るには、それ相当の筋力が必要)をつけることから始めて、それから大会レベルの踊りを習う。その大会クラスから希望者をつのり、オーディションでダンサーを決める。オーディションに受かったダンサーは自分のクラス、大会クラス以外にもうひとつ、ショーのためのクラスでお稽古をしなければならない。でも、このクラスは一切お金はいただかないし、充分良いダンサーになったら、ギャラももらえるようになる。これは私の考案したHālauのためのscholarship(奨学金制度)。Hulaが好きで、もっと勉強したいという人のために大きく門戸を開いている。とはいってもお金を払って見てくださるお客様の前に出て踊るためには、日頃のお稽古とたくさんのステージ経験が必要。そして私がもっと重きをおいているのが、人間性。協力的でチームで動くことの出来る協調性を持つ人を探すようにしている。さもなくば良いShowは出来上がらない。

今年のメンバー“'Ōlapa”(ダンサー)も、仕事や学業をしながら週3回以上のお稽古にリハーサルを経て、このShowに参加している。
控え室ではモクモクとLeiやKokoを作ったり、互いの髪を結いあったり、化粧をしあったりとほのぼのムードだが、いったんShowが始まると、思いっきりの笑顔とパワーでお客様の心をつかんでしまった。4ステージの最初っからキラキラ輝きを見せてくれた。どうやら彼らは“Showほど楽しい商売はない”というのを肌で感じたに違いない。
私とPoliはコンビを組んで20年以上ステージに出続けてきた。いろんな依頼があった。
フランスと東京を結ぶという式典になぜか日本橋でKahikoを踊ったり、東京渋谷のShakey'sそしてセイロカガーデン、はたまた日本丸に乗って船の中でのShowやWork shop。
お稽古や準備や片付けは大変だけれど、なぜか楽しい。苦しいけれど楽しい。やめられないのです。
遠い昔、高校生の頃、今のBand(Ho'okahi)のメンバーの一人Joeとも、毎週末某ホテルのプールサイドの“ウィークエンドショー”で、Rock BandのVocalとしてバイトしていたことを思い出しちゃった。懐かしい!!

今回のジミーでの4ステージも“'Ōlapa”(ダンサー)チームの明るいKaheaとキラキラ笑顔、そして“Ho'okahi”(ミュージシャン)のダイナミックな演奏でお客様も大盛り上がり。

それでは、今回のジミーのShowのバックステージの模様の写真をご紹介いたしましょう。

リハーサル風景

7.25.2014

Barbie エピソード ⑥ (2004年Hō'ikeでの出来事)

戦いすんで日が暮れて…。
前日はHō'ike、そして今朝は10:00からWork shop、その後軽いランチをとって、Lei'ohu、Maydeen、Kumu DebbieをHotelへ送り、“6時にはpick up(その間3時間位しかなかったが)しますので、Have a good nap please”と言って、私もシエスタをするために急いで家に帰った。
Bedに入って今朝習った“Na Lei O Kiakaha”を頭の中で復習するうち爆睡、気がつけば5時をちょっと過ぎていた。急いでシャワーし、家を飛び出しHotelで三人を迎え、会場の日産ホールへ向かった。
車中、あまり静かなのでバックミラーで三人を見ると、連日の疲れですっかり眠り込んでいた。
それもそう、ハワイから沖縄に着くなり連日の強行軍ですもの。
眠りこけている三人に心の中で“お疲れ様、そしてありがとう”と言った。

日産のビルの玄関には美しいハワイアンドレスを着て待ちわびるお出迎え隊がずらりと並んでいた。
私は“皆、出迎えてくれているわよ”と言って三人を起こした。
車の窓から出迎え隊を見て「EKKO、どうやってHaumānaをしつけているの?毎回素晴らしすぎる」と三人が言うから、「いいえ、私がしつけているのではなく、彼等がすべて率先してやるのよ。彼等が私にいろいろな事を教えてくれるの」と答えると、「あなたのHaumānaをハワイに連れて帰りたい!!」とLei'ohuが言うと、Kumu Debbieは「私が連れて帰る」、Meydeenは「あなたのOhana大好き!!」と呼び、皆で大笑いをしながら車から降りた。

Work shopの時とは打って変わって、綺麗にお化粧し、美しい生花のLeiやKokoを身につけ、
素敵なHawaiian Dressで出迎えてくれたOhana。

7.18.2014

マレフィセントで17周年を祝って / Barbie エピソード ⑤ (2004年Hō'ikeでの出来事)

“マレフィセントで17周年を祝って”

2014年7月7日(月)

FM21のラジオ番組“Hawai'i No E Ka 'Oi”の放送終了後“Hālau Hula Kalākaua”の17周年記念を祝ってPoliと映画に行くことにした。
もちろん今話題の“マレフィセント”である。
大きなPop-cornを持って映画館内に入ると偶然にもHula Hawai'iの店長さんのかおりさん発見。同席して楽しんだ。

左の写真は、オーロラ姫になりきって眠る私をPoliがスマっているところをかおりさんが激写して送ってくれました。
そして右の写真が、Poliスマフォト。
映画の後は、台風8号対策の為、急いで家に帰った。
(なんとか無事に台風も過ぎて良かったね。)


2014年7月14日(月)

今日の“Hawai'i No E Ka 'Oi”のゲストは、先週偶然にも映画館でお会いしたHula Hawai'iの店長かおりさんだった。
毎週のごとくオープニング曲の流れる中をスタジオ入りした私に、きっとかおりさんはびっくりされていたと思うけど、局のスタッフは“やっと来たか、それにしても神わざだなぁ”と感心していたと思う。(違うかな?)
そうそう、今Hula Hawai'iはSummer Saleですって!! 行かなきゃ。
番組終了後、われわれがスタジオを出ると同時に浦添市長が入ってらした。久しぶりの再会はハグの嵐。(アメリカの大学、そしてハワイにも留学経験のある若い市長は、ためらわずにハグして下さる!!)前回お会いした時よりもお元気そうな御様子で嬉しかった。
ついでに記念写真をパチリ!!


松本市長、しっかりShaka sign出してるし!!
若くってハンサムで語学も堪能な新時代の市長!! がんばって!! 応援してま~す。



“Barbie エピソード  (2004年Hō'ikeでの出来事)”

2004年12月5日(日)

第7回目のHō'ikeが無事滞りなく終了した次の日の朝、私は10時から始まるWork shopのために、Lei'ohu、Maydeen、Kumu Debbieのお迎えで彼等の宿泊するHotelに向かった。
最初にKumu Debbieの部屋をノックしたが応答なし。疲れきって眠っているのだろう。次にLei'ohuとMaydeenの部屋をノックした。やはり応答はなかった。
仕方なくロビーに降りて時計を見ると、まだ午前8時30分だった。“30分もあればWork shopの会場には着くからまだ大丈夫。”
もう一度、Lei'ohuの部屋をノックすると、すぐにLei'ohuが顔を出して「EKKO、ちょっと入って」と言われた。出かける準備はまだしていないようだった。ぐしゃぐしゃの髪にパジャマ姿のままだったし、Maydeenも起きてはいるもののまだBedの中だった。
Lei'ohuが言った。「昨日の夜は大変だったのよ。あなたのHaumānaの御先祖様が次々にあらわれて「私の孫をよろしく」とお願いしてきて眠る事が出来なかったの。で、延々とそれが続いて明け方になった頃、ふっと歌が浮かんできたから、それを書きとめ終わった時に睡魔がおそってきて、多分1時間位ウトウトしたかな?その時あなたがノックして目が覚めたと思うけど、なぜか体が動かなくって…。ごめんなさいね。まぁ、そういうわけで、今日のWork shopは今朝出来上がったあなた達の歌にするわ。」

まだ私の頭も正常に動いてはいず、Lei'ohuの言っている事は正直理解出来なかったが、三人を乗せてWork shopの会場に着くまでの間、Lei'ohuは初めて来た沖縄なのに神のいる場所を次々と当てた。車中から「ねぇ~EKKO、この辺には水の神様がいるでしょう」という具合。確かに彼女の指差したあたりには水の神がまつられている。でも町中でビルがたてこみ、それらしい物は見えていないはずなのに!! 不思議で仕方なかった。(やはりLei'ohuはHawai'i版ユタなのであった。)

Work shopで予約していた会場には、Hō'ikeの翌日だというのに、疲れた顔も見せずHaumānaが全員集合してくれていた。
全員が一列に並んでLei'ohu、Maydeen、Kumu Debbieを出迎えてくれた。

一人一人を抱きしめてハグしてくれるLei'ohu

7.11.2014

Barbie エピソード ④ (2004年Hō'ikeでの出来事)

※「2004年Hō'ikeでの出来事」のこれまでのブログ記事は、コチラ↓

第2部はLei'ohu Ryderのコンサート。

我々はLei'ohu Ryderの作詞・作曲した歌に振りつけられたHulaを数多く持っている。
だからLei'ohuをHō'ikeにゲストとして招待しても踊りには困らなかった。
彼女が歌う曲に合わせてOhanaが次々と出てきて踊ることが出来るのである。
彼女はそれをとても喜んでくれた。
そういうわけでMaui島を訪問した時に彼女がShowをしているHotelで、いきなりゲストダンサーとして踊らされてしまうこともあった。

彼女の声はたくましく、透き通っている癒しの声だ。
歌の内容も人間愛に満ちたもの、そして自然を愛し、土地を讃え、祖先を偲び、愛がいっぱいつまっている優しいものだ。

その日会場にいらしたお客様も皆さん満足された様子で彼女の歌に聞き入っていた。
ハワイ語が理解できなくても彼女の歌は心に届くのだ。“不思議にリラックス出来て気持ちよかった”とおっしゃって下さる方が多かった。

いよいよLei'ohu Ryderの登場。UkuleleはMaydeen Iao。

7.09.2014

Hālau Hula Kalākaua 17周年 (誕生秘話)

2014.7.7(月)七夕

今日は私達 ハラウ フラ カラカウア の設立17周年の記念日です。
不思議なことに今年はラジオFM21で私とPoliが担当している番組“Hawai'i No E Ka 'Oi”の11周年も3月3日(月)という放送日にあたり、今日も7月7日(月)で番組内でハラウの17周年記念を祝うことが出来ました。さらに今年のHō'ikeは10月26日(日)で、Uncle George Na'ope師の5年忌にあたります。今年はなぜかすべてがぴたっとあてはまる年なのです。
さて話を元に戻して、1997年7月、私の師匠George Na'ope氏が沖縄に来訪し、門下生(唯一ウチナーンチュ)であった私に“沖縄に伝統のハワイアンフラを普及させるべくHālauを立ちあげよう”とおっしゃった。私は生意気にも「Uncle、沖縄には独特の文化、琉舞(琉球舞踊)というのがあるので、だれもハワイのHulaを習いに来ないし、私も仕事を持っているので人様に教える暇はないし、教える場所もありません。それに今、私は師匠から教えてもらっているだけで、その資格はありません」と答えた。すると彼はこう言った。「一週間にたった一時間だけ、このオフィスの片すみ(彼は私のオフィスを見回し、空いている部分を指さして)でいいから、僕が君に教えた通りに教えればよい。教えることによって君は復習するから、尚良い。僕が教えたHulaをすべて教えなさい。これからは君がハワイに来るのではなく、僕が沖縄に来て、君とこのHālauを指導するから」

願ってもない条件だ。私がHālauを開いたら、Uncleが沖縄に教えに来て下さるのだ。(キャ~!こんな幸せなことがあるだろうか!!)私の心は風船のように大きく膨らんで、もちろんふたつ返事で承諾した。
かくして1997年7月7日、ちょうど七夕の日にUncle Georgeと共にHālauを設立することとなった。

「名前はどうしましょう?」と尋ねると「お前はKalākauaだからカラカウアのハラウという意味でHālau Hula O Kalākauaにしよう」とおっしゃった。(私がUncleと出会った当時Surf Shopを経営していてその名もKalakauaだった。だからUncleは私の事を“Kalākaua”と呼んでいた。今考えると“Kalākaua”という名だったから私を溺愛してくれたのかもしれない。〔このブログを読み続けると意味が分かりますよ。〕)
最初UncleはHālau Hula O Kalākauaと名付けたが、3ヵ月後に訪れた際“O”をつけていると何となく白人ぽいから“O”をとって“Hālau Hula Kalākaua”にしようということになった。

案の定、Hālauを立ちあげても、なかなか生徒は来なかった。Hālauを立ちあげる前から、私がHulaをやっている事を聞きつけて、4~5人私の回りにはいたが、(Poliもすでに私の元へ通い、毎週土曜日一緒にお稽古をしていたうちの一人だ。)生徒数が一年たってやっと20人を超えた。Uncleはどんなに少ない生徒でも自ら歌い指導して下さった。
LokelaniやHau'oliは何度も何度もUncle George Na'opeのLessonを受けた。それだけではなく、一緒にお酒を飲み、楽しい夜の時間を過ごした。Hau'oliの御主人PunaheleもUncleのお気に入りの一人だった。
その頃Hālauにいた生徒達は皆、Uncle George Na'opeから直接指導を受けることが出来た。今ふり返ってみても、なんと貴重な時間だったのだろう。

私達はUncleをとても身近な存在に思っていたが、ハワイでは超がつくほど有名人であった。
彼は生粋のハワイアンミュージシャンであり、マスタークムフラと呼ばれるHulaの最高指導者であり、ハワイではGolden Treasureという称号を持ち、2006年には全米芸術部門で活躍しているアーティスト達に贈られる最高位の賞である「National Herritage Fellowship of Award」を授与。
彼は単にMaster Kumu Hulaというだけでなく、数々のフラフェスティバルを立ち上げ、ハワイにフラの文化を復活させるという貢献をしました。
その中でも最も大きな功績は、何といっても1964年にハワイ島の津波で大きなダメージを受けたHiloの町を救い、復興させるべく役割を担ったメリーモナークフェスティバルを立ち上げた事。50年を経過した今、メリーモナークフェスティバルは彼の思惑以上に経済効果をハワイ島ヒロへもたらし、ハワイの伝統文化の最高峰となっています。このフェスティバルはハワイアンが主催するハラウしか参加できません。「フラはハワイアンの伝統文化であり、ハワイアンの文化はハワイアン自身で復活させなければならない」というUncle Geoageの考えによるものです。
メリーモナークを通して、この50年で実にハワイアンフラは復活したといえるでしょう。
メリーモナークフェスティバルと命名したのも、彼が大好きだった王様“Kalakaua王”を陽気な皇帝と称して名付けた背景にあります。カラカウア王はそれまで禁止されていたハワイ語やフラを復活させた王でした。カラカウア王によって復活を遂げたハワイアンの文化がまた、歴史の中で翻弄されハワイはアメリカに吸収されることになり、再びハワイ語やフラが失われようとしている時にUncle George Na'opeの斬新なアイデアでまたまた失われる危機を脱することになったのです。

Uncle George Na'ope師が「National Herritage Fellowship of Award」を授与したというニュースが私の元に届いた時に私の頭に浮かんだ言葉は“神は見ている、人も見ている”でした。私が彼の元に通いフラを学んでいる時、ハワイの彼より若いKumu Hula達、そしてミュージシャン達が日本でもてはやされるようになり、彼はしばし出番を失っている頃でしたので、私はたっぷりと時間をかけて教わる事が出来たのでした。そんな頃の師匠を彼よりも悔しい思いで見ていた私にとってこのニュースは最も嬉しいものでした。

7月7日、七夕、私にとってこの日はまたゼロに帰る日です。彼から習ったことをどのくらい教えることが出来るのだろうか?と考えながら、また一歩踏み出す日です。

今年も9月にハワイ島コナで行われるKupuna Hula Festivalに出場します。今年で10回目の出場です。(他のハワイでの大会出場は22回目になります。)招待がある限り出場するつもりです。なぜなら、このKupuna Hula FestivalもUncle George Na'ope師が立ちあげた大会だからです。(この大会は招待状さえ届けば、我々も出場出来る数少ない大会のひとつなのですから。)私はHawai'iでUncleの元で勉強している時、よくこの大会に連れていかれました。今想うと、私の将来が彼には見えていたのだなと思います。

一年に一度、織姫と彦星の出逢う日、今日は七夕。
私がOli姫でUncleはHilo星、夢で会えるといいな。


Ekko Ma'ema'ekapuaokahala Ota



 
“2014 Hawaiian Night Special Dinner Buffet”
 
開催日時:
7/26(土)・7/27(日)
○第1ステージ
 17:00~19:00
(ショースタート18:20)
○第2ステージ
 19:30~21:30
(ショースタート20:50)
(※入れ替え制)

場所:
 アイランドグリル那覇
 (那覇市銘苅3-8-5)

前売:
 大人¥3,300、
 小人¥1,650、
 3-6歳¥1,030
当日:
 大人¥3,500、
 小人¥1,800、
 3-6歳¥1,200

お問い合わせ:
 アイランドグリル那覇
 098-861-2171

席に限りがありますので、前売りチケットのご購入はお早めに♪