【 Aloha Kākou!ー ③ 】
Pō‘alima, ‘Ekahi, ‘Okakopa
今日から10月、残暑のきびしい沖縄にも夕方になると少〜しだけ、秋めいた風が吹き始めました。
まだまだ先の見えない長〜いトンネルの中にいるような私達。それでもいつか出口の明るい光の日々を信じて、歩みを止める事なくつき進んで行きましょう。
生きましょう!!Imuaの心で!!
今週のブログも、‘Ohanaから‘Ohanaへの元気メッセージからスタートです。
●Aloha everybody、細く長くHulaをつづけましょー。
●ハラウで、またみんなと楽しくレッスン出来る日を待っていまーす!!
IMUA
●みんなが戻ってくるのを待ってますよ。また一緒に踊りましょう!!
●新人です。楽しみま〜す。
●はやくマスクなしで、みんなと踊りたいです♡
●アロハ〜♡ 私も今日久しぶりにフラに来ました。やっぱり気持ちいいです。
みんなで末長くフラを楽しみましょう。
●ハラウに帰ってきました。水をえた魚みたいに元気になりま〜す。
やはりフラは楽しいですネ♡
●また笑顔でみなさんでフラができる日を♡
【 Hau‘oli Lā Hānau ♡ 】
Ka Papa Maile + Koanuiでは、Keolaとシンちゃんのお誕生日祝いがサプライズで行なわれた。
お稽古の終った後、あかりも消して小っちゃなカップケーキにろうそくも、ともして!!
こんな時だからこそHula Sisters、Hula Brothersの思いやりに心うたれてしまう!!
お互いを思いあう気持ちが、Uncleの教えてくれた"Mālama Kekahi i Kekahi"だ。
ちいちゃなCakeもおもいっきりデコッていたよ!!
何とモトキの二人への祝いの品は、ラグビーボール位のトーガン(沖縄の野菜、シブイとも言う)。これには面喰らったKeolaとシンちゃん。
でもトーガンは高級品だし、明日の夕食の材料として使えるから大喜びしていたよ!!
やっぱりモトキの発想はおもしろいネ!!
Hau‘oli lā hānau e Keola me Shin-chan!!
そしてシンちゃんとサヤカさんは明日Hawai'iに向けて出発するので、KeolaからKiのLeiとKūpe'eが贈られた。 仕事のために行くので、来月まで会えない!!
気をつけていってらっしゃ〜い!!
”E mālama Pono!!”
●水夜7:30のクラス、二人だけ!!
クラリネットを吹いているという。
今度リオちゃんの演奏聞きたいな!!
わざわざお土産も持ってきたよ。おめでとうリオちゃん。そしてごちそう様。
素敵なT-Shirt!!
KalākauaのKuahuには、1年中いきいきとした植物がそなえられています。
花の妖精達(Hāla'ikealohaとHāliakealohaの並々ならぬ努力のおかげです。お二人の御尽力に感謝致します。)
‘Ohana達はこのKuahuの植物を見るだけで、どんなにいやされる事か!!
私もKuahuからエネルギーをもらってます。
●私は遠く離れた‘Ohanaから届く愛の贈り物へのお返しに、暇さえあればCakeを焼いてそれを送るようにしています。
大会にも行けない、Hōi'keも出来ないというナイナイづくしの今、普段出来ない事をしています。
今日はBanana Cranberry Walnuts Cakesを6個、 Butter Mochiを8個焼いて発送!!
感謝と希望と愛というスパイスをたっぷり入れて!!
受け取った‘Ohana達が喜んでくれるといいなぁ〜と願いも込めて!!
私の師匠Uncle George Na'opeは私を何度も、かの有名なMerrie Monarch Festivalに連れて行って下さった。
前夜祭、Mokuolaでのコンサート、Hiloの町で行なわれるそのFestivalのためのパレード等々。
Uncleのお供をしていけば有名なKumu Hula達ともMusician達とも直接会えるのだった。
今おもえば大変ありがたい事!!
そして1998年には‘Oahu島のニールブレイズデルセンターで開催された、King Kamehameha Hula Festivalにもつれて行ってもらい、1999年にはKupuna Hula Festival につれて行ってもらい、Judgeの方々にも紹介してもらった。
何しろUncleのお供でついていくと、普段会う事の出来ない著名な方々が気軽に声をかけて下さる。
するとUncleは、「私のHaumanaだよ」と必ず紹介してくれるのであった。
1999年のKupuna Hula Festivalのパンフレット 。
それは沖縄のコンベンション センターで行なわれるという事で、是非とも挑戦してみたいとHawai'iのUncleへ電話を入れた。
Uncleは「それならばKumu Etua LopesとMusicianのハービーを沖縄に送るから、がんばりなさい」と言われた。
私はHawai'iと沖縄を何度も往復して、Kumu Etuaと踊りを仕上げた。
衣装はすべてPoliが仕上げた。
LeiとKokoはKumu Etuaが全員分を作ってくれたのだった。
Poliがボーカルをとり、ハービー、アッシュ、ジョーというぜいたくな Musiciansが演奏をしてくれた。
が結果は入賞する事が出来なかった。
その旨をUncleに伝えると、翌年にはUncleがKumu Debbyを供って大会を見に来た。
親の欲目というのがあるが、師匠の欲目というのがあるのだろうか?
「お前が勝てない訳はないと、はるばるHawai'iからたしかめに来たのであった。
Uncleは私達と同じ布地で作ったAloha Shirtを着て、コンベンションセンターの観客席から我々のHulaを見て下さった。
2000年の大会パンフレット
この年も出場者全員の衣装とMusician全員分、そしてUncleのAlohaをPoliが縫ったのだった。
布地もオリジナルで作り、現在このデザインのPā'ūは昔からいる‘Ohana達が着ている貴重な物になりつつあるのです。
さてUncleの見ている前でも、入賞出来なくがっかりした私にUncleは、とっておきのプレゼントをくれたのでした。
私にKumu Palapala、そしてPoliに‘Unikiの証書をHawai'iより持ってきてあったのでした。
かくして私はHawai'iのCompetitionへ出場する権利が与えられ、2001年にHawai'i島Konaで行われたKing David Kalakaua Hula Festivalへ出場する事になりました。
その時のパンフレットがどこかのファイルにあるはずなのに、今回は探せず。
ただScore Sheet(採点表)があったので、それを見ていただきましょう。
初めてのHawai'i本場での大会で、3カテゴリー出場(Kupuna、Wahine Auana、Wahine Kahiko)でいずれも3位入賞で、総合で2位をいただきました。
それ以降Uncleは、私に日本での大会への出場を禁じました。
Ka hana a ka mākua,
(What parents do, children will do.)
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