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7.09.2021

Nu Hou Hālau

 【 Lā Ho‘omana‘o – ② 】

Uncleが最初に入院したQueen's Hospitalへ向かう道中、彼の病室を聞く事を忘れていた事に気づいた。
Queen'sへ向かう歩道を歩いている時、Uncleの声が聞こえた気がして歩道そばのくぼみの方を見てびっくりした。
車イスにUncleが腰かけ、それをUncleの妹のAunty Berryが押しているのだ。

私は大声で二人に声をかけ、そこへ駆けよった。
Uncleは入院して初めて“外の空気”を吸いに出たとこだった。
偶然だったのだろうか。それともUncleは、私の気配を感じてこうして出迎えてくれたのだろうか?
とにかくUncleは大喜びで、私の手を握ってはなそうとしないから、変な歩き方のまま彼の病室へと向かった。

このQueen's Hospitalは、1864年にQueen EmmaとKamehameha 4世 Alexander Liholihoがハワイアンの人口の減少を懸念して建てたもので、夫妻は病院設立や慈善事業に力を入れた。
最初の名前はQueen Emma Hospitalであった。
また夫妻はたった4才と3ヵ月の息子を病いで失くしており、その事も病院設立の大きなきっかけだったのかもしれない。
(何年か前のブログでEmmaのSummer Palaceの事を書いてあるので、読み返してみて下さい。Queen Emmaは悲しすぎる女王です。)

さて現在は建て替えられたこのQueen's Hospital。
すごく豪華なインテリアで、 一階入り口の受付カウンターはKoa Wood。
左手にはスターバックスのカフェテリアがあり、コーヒーの良い香りがただよい、調度品も素晴しいものばかりが置いてあり、病院というイメージからはほど遠いものでした。

Uncleの部屋は個室で壁には大きな写真(湾曲した階段の中央に、黒の美しいHolokuを着けた女性が手すりに左手を置き、ほほえんでいる写真で、"私の愛する"Menehune 《Uncle Georgeの事》へ、早くよくなって"と御自分の名前とメッセージが書かれていました)

“それはハワイ王室の末裔で、現在ヨーロッパに住んでいる”と、Uncleが教えてくれました。
私が目にしたおもしろい出来事は、朝の10時頃。
花屋が一列になって、花束や活け花を運んでくるのです。
だからUncleの部屋は、町の花屋に負けないくらいの花で埋もれていました。だいたいはKumu Hula達からのお花で、知事や市長からのお花もありました。
それが毎日続くので、気の良いUncleは看護士さん達にお花をプレゼントしていました。

Uncleの愛第子で私にとっての大先輩のKumu Iwalani Kalimaは、Uncleの側にずっと座わっている私を見かねて、外のHawaiian Gardenへ連れ出し、Hawaii固有の花々の説明をしてくれ、その中でもMaui島の花"Lokelani”を見せてくれたのがとても良い想い出です。
だって初めて目にしたから”!!

それは私が想像していたのとは大ちがいで、沖縄でよく見る野バラに似ているのにびっくりしたから!!
またKumu IwalaniはChina townで私においしい中華のディナーをおごちそうしてもくれました。
またある時、(WaikikiにHotelを取り、朝の8時から夕方の6時までUncleの側にいるのですが、移動はCity Busか、たまには時間をかけ夕方の町を散歩しながら帰っていました。)

“今日は歩いて帰ろう"と思って、あちこちに目をやりながら歩いていると、向かいからKumu Hula Olana aiがいらっしゃるではありませんか!!
Kumu Olanaもこちらに気づいて、”EKKO?”というのと"Kumu?”というのが同時で、二人笑ってしまいました。
私はKumu Olana aiにUncleへのお花のお礼を言いましたところ、"Uncleには早く良くなって欲しい"と伝えてねと言いながら、私への労いの言葉もかけて下さるやさしい方です。

さて2週間、Uncleと毎日側にいておしゃべりしか出来ない私なのですが、UncleのDoctorが"とても良い結果が出ているから、来週にもHiloの病院に転院出来ますよ"というのを聞いて、”あ〜良かったねUncle。それでは私は帰りの便の予約しますね!!”と言ったら、とたん不機嫌になったUncle。”帰るという言葉を口にするな!!”とムクれてしまうしだい。
Uncleはムクれるとまるで子供だった!!口をきかなくなるのだ。

そんな時は私は奥の手を使う。勝手に今Poliはこれを勉強していて・・・・。
あの大会でも幾つも賞を取り・・・・・歌はうまいし、私にドレスも作ってくれ・・・・・。
Poliの話になると段々と"フン、フン"とか"そうか!!”と合いづちをうち出す。 UncleはPoliが大好きだから、Poliの話題ですっかりにこやかになるのだった。

そうして3日後に沖縄に帰る手はずをととのえた私は、帰る前の日に思いきって"Uncle、私は明日Honoluluを発ちます。”と言ったら、またプーッて怒ってしまった。
それでも私はUncleの手を握って、チューブでつながれているほっぺたにKissをして、”Hiloの病院にはPoliも連れてお見舞いに行くからね"と言ったら、握った手を強く握り返してくれたが、決してサヨナラを言わなかった。
(仲程長治氏撮影のUncleのウクレレ)


私はその年のKupuna Hula Festivalが終った後、出場者達とMusicianとして歌ってくれたPoliを引きつれ、Hiloの病院に見舞いに行ったのだった。


皆を連れ病室に入ると天井から吊り下げられたテレビを見ているUncleに、"Uncle、皆を連れてきたよ!!アラ、テレビ見ていたのね!!”と言ったら、”テレビが俺を見ているんだよ"と言って皆を大笑いさせた。
Poliが来ただけで子供のようにはしゃぐUncleだった。

おいとまを告げるとUncleは、Poliに窓辺に置いてある大きな花弁のKieleを取るように頼み、その大きなKieleを私の髪にさしてくれるのだった。
(病をおして、こうやってステージに元気な様子をみせるUncle)


2008年2月、いつもならUncleの盛大なBirthday Partyに招かれるはずが、相変らず不調が続いているUncleのHiloの家に、Birthday GiftのHawaiian Quiltの Bed Coverを持って、Poliと二人で出かけた。
Haumāna全員がひと針を入れたもので、Uncleの健康を願って作ったものだった。
(2007年のホイケ会場で飾ったHawaiian Quilt 。)



この事も詳細にブログで書いたので割愛。
そうして2008年の11月に開催されたWorld Invitational Hula Festivalの大会パンフレットにも、この時の手記が掲載された。
この手記もトモコ教授が翻訳に携わって下さった。
感謝致します、トモコ教授!!



トモコ教授はこの後ハワイ大学へ客員教授として招かれるのだった。
これも偶然だったのか不思議な事だった。

2009年9月、Kupuna Hula Festivalへ出場するため、ハワイ島のKonaに到着。
出場者達をHotelへ連れて行った後、すぐにPoliと二人でレンタカーをHiloへと走らせた。
Hiloの高級住宅街の1軒の家に看護士2人を常駐させ、Uncleは静養していた。
今週はここまで、次回に続く。
to be continued.

 

【 Pule Ho‘onoa 】

この大変な状況を乗り切れるよう、Ka Papa PikakeがChantをする。
早く良い日が来ますように!!


 

【 おかえりシナちゃん 】

シナちゃんが元気にクラスに戻ってきたのを祝って、MaileとKoanuiのクラスからLeiがプレゼントされた。
"サァーまた一緒に練習しようネ!!"



KeolaがKuahuにもLeiを!!


皆で持ちよったおいしい食べ物で、ちっちゃなパーティーだ!!


【 おやつ Time 】

●カヨちゃんがジューシィーなレンブを持ってきた。
初めていただいた。ちょっとすっぱいけどジューシーでおいしかった!!



●ミチコさんも"お帰り”!!
チョコのおみやげもありがとう!!


●ミミユキさんは クッキィーを!! “ワァ〜イ!!”


●サヤカさんとシンちゃんは冷えたパインを!!



●嬉しそうな顔して、イクコさんとカヨちゃんが"おやつしよ"


●新城寺のお二人。今日は豆せんべいを"食べよう!!”


●Hālauのお菓子箱には、今日もせっせと"お菓子の妖精タズコドン"がお菓子を補充してくれるのでした。



【 いただき物には福がある 】

●アップルバナナはミチエさんから。歯ごたえのあるバナナです。


●パイナップルはPoliから。キーウィはKeolaから。幸せ!!


●じゃがイモとにんにくはLanakilaの御実家からのおすそわけ!!
とりわけ、にんにくがこれまるごと1個のにんにくなのが不思議!!


●釜あげしらすはKekaiから送られてきたのを、ママタカコさんが届けにきて下さった。
まだ大学生なのに、こうして気づかってくれて実に嬉しいのです。
Kekaiもあっという間に大学4年生だという。
ありがとうKekai!!お勉強もがんばってネ!!


●新城寺のサヤカさんから、お父様が趣味で作っていらっしゃるというお米をいただいた。
お手紙付きで包装も素敵で、趣味のイキを越している感ありでした。

 


●で、いただいた新米で"ミキ“あるいはゲンマイ”ともいう、を作ってみた。
①お米を洗って丸一日、水でふやかしておく。


②黒糖は平板のものを使う。



③黒糖がひたる位の水を入れ、溶けるまで煮る。


④ふやけた米を水ごとミキサーに入れ、米汁を作る。


⑤黒糖を溶かした中に米汁を少しずつ入れ、よ〜くかき混ぜる。
 それをどんどん続けながらかきまぜると、とろ〜りとしてきて
 "ミキ"あるいば"ゲンマイ"の出来上り!!
 冬は温いまま、夏は冷やすとおいしいよ!!サヤカさんのお父様ありがとう!!
(おしょうがをすって入れるのを忘れない事!!)


●ミヤコさんとPaulさんから、別々にThank You Noteが届いたよ!!
二人からのCardはとってもおしゃれ!!

素敵なThank you Noteに"Thank You too!!”

 

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Kama‘ilio ka waha,

 hana ka Lima.

(Let the mouth talk while the hands work. )
While talking, keep the hands busy.

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