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1.25.2019

Nū Hou Hālau

【9年前をふりかえって】

年末年始のお休みの間にやりたいことがいっぱいあったのだが、結局31日まで仕事に追われ、私のお休みは年明けの3日間だけとなった。その貴重な3日間、何をしたかというと26回に渡るハワイでの様々な大会の資料を整理することに費やすことにしたのだった。

ひとつひとつのファイルは厚く、本棚をめいっぱい占領しているので、今一度ファイルの中のいらない書類は破棄して、必要な書類だけを残すつもりで始めたが、やはりファイルに残しているだけあって、衣装デザインのメモやLeiの注文書、練習日程などの走り書きは捨てることが出来なかった。それらをみているだけで、その時の大会の一部始終を思い出すことが出来るのだった。

書類の山に埋もれて、ほとほとその作業に飽き疲れた頃、資料の中に1本映像資料を発見、PCで見てみることにした。それは2010年オアフ島はホノルルのWaikiki Shellで行なわれたWorld Invitational Hula Festival (E Hóì Mai I Ka Piko Hula)での映像資料だった。思わず身を乗り出し見入ってしまっていた。その前の年にKupuna Hula Festival でUncle Georgeの見守る中、堂々2位をWahine Kupunaが受賞し(9月)、次の月にはUncle Georgeが他界(10月)。私とPoliは11月のUncleの2日間に渡る葬儀に2日間出席した。次の日HiloからHonoluluに戻り、Worldでの大会に出場したのだった。(Uncle Georgeは最後の最後まで我々の事を考え、葬儀に出席出来るように図ってくれたのだった。ハワイと沖縄を行き来する事がないよう、World I.H.Fに出発する日にあわせるように葬儀の日程が組まれていたのだった。)

かくしてUncleを失った失意のどん底にいる私に、もうひとつ重くのしかかっていた事があった。それは"もし今年Wahineが賞を取れなければ、来年からはその権利を他のチームに移します。Poliはずっと勝っているので、出場出来ます"との大会委員長Paulie Keākealani Jennings (Paulie さんのハワイアンネームはUncle Georgeが贈ったそうです。)からの言葉だった。

ところが、Paulieさんの予想を反して、Wahineが ‘Auanaで優勝してしまったのです。かくして次の年2010年に15人のWahineと3人のKane、そして私の総勢19人で、Wahine ・Combine (男女混合)Soloの3つのカテゴリーに出場すべく、ホノルルに乗り込んだのでした。写真は2010年のW.I.H.F大会のパンフレットに掲載された前年(2009年の優勝者の写真)、左がPaulieさん。


この大会のパンフレットの表紙は、Paulieさん(大会委員長)の娘さん(アーティスト)が毎回素敵な絵を描いて下さっていた。2010年の絵はKe ‘Ano‘ano O ke ‘Anuenue(The seed of the Rainbow.)虹の種というタイトルだった。


パンフレットには、開催の2010年11月11日(木)から13日(土)までの日程ものっている。



2010年11月11日(木)

その日はまず3番目にWahine -‘Auana(現代フラ)、8番目Combieー Kahiko(古典フラ)、そして15番目にWahine-Soloの3つのカテゴリーをこなさなければならなかった。皆の着つけやLeiの準備で、控え室はさながら戦場のようだった事をおぼえている。






Wahineの水をイメージしたBuleのドレスがとても美しかった。総勢15人のWahineがステージにならぶと圧巻だった。
続いてCombineの6人(Wahine3人、Kane3人)。このCombineに出場した人の中で現在Hālauに残っているのは 、PoliとKuáaoのみ。そしてSoloへと続いた。





11月12日(金)

この日はWahine15人分の着付けに大変な時間を用したが、幸い、Wahine-KahikoのIカテゴリーをこなせば良いだけだった。







衣装はウコンで染め‘Ohe Kāpalaをほどこし、全員が自分の衣装を作ったのだった。毎週日よう日にHālauで染めたり、Ohe Kāpala したり、縫ったりした事が昨日の事のようだ。



11月13日(土)


Wahineに出場した人達には、昨日、一昨日で‘Auana, Kahikoを終えているので、"今日は観客席でゆっくりして応援してちょうだい"と言った。今日はCombine-‘Auana Award(授賞)の発表がある。
Combineの6人はPua-MeliaのLeiをつけ、動くたびにその芳香が舞った。PoliとKuáaoのコンビは、ものすごい笑顔で3組いるうち、カメラはこの二人にクギづけであった。司会者も二人を見てニコニコしているのが写っていた。二人の笑顔に映像を見ている私まで笑顔になってしまう!!





大会開催中、その日の終りには"Hawai'i Aloha"を皆で歌うのだが、この年もPoliが指名され毎日マイクをもたされ、皆をリードした。Poliの声は皆を圧倒するのだった。




さぁ〜いよいよAwardの時間となり、最初にWahineから、そしてKane、続いてSolo、"あ〜残念、ダメだった"と心の中でつぶやいた時だった。Combine ‘Auana "Hālau Hula Kalākaua Kumu Hula -EKKO OTA"と呼ばれたのだった。
Wahine達は"ギャ〜"とさけんで後、気をとりなおしHālauのChantを観客席で歌ってくれ、とても誇らしい気持ちにひたっていたら、Poliが"Kumu、何してるの。ステージに登らなきゃ"と引っぱられるようにしてステージに登った。


授与者からいただいた賞に感謝して、ハグし、しげしげとその賞を見つめた。Rose KapuIani Joshuaの賞でCombineの‘Auanaに贈られるもの。Combineの優勝者に贈られるもの。Poli、Kuaáoのチームの笑顔が勝因だと思った。



賞をいただきステージを降りようとしたら・・・



司会者が「EKKO帰らないで。もうひとつ賞があります」という、「え〜!!」そうCombineのチームはKahikoでも賞を取ったのです。しかもKahikoの‘Olelo Award(古典の言語とフラの賞)、二つの賞に大満足の私とAlakálのPoli。"ヤッタネ!!"


沖縄に帰ったら、新聞社も取材に来てくれていました。


大会の部厚い書類


2月には先輩のKumu Hula Punahele がKokua Kumu(手助けをして下さる先輩Kumuの事)として来沖。そこから11月までの長い道のりだったけど、大会は出場するたびそこから得られるものがあることと、何しろたくさんお稽古をするからKumu もHaumānaも上達していく。とてもいい事!!


1本の映像資料が、私にまた"喝"を入れてくれました。今年も大会出場を目指しているので、もう一度気を入れなおしがんばらねば!!さぁ〜本格始動!!


●ミナ13年目に突入!!今回の映像資料にミナもLanakilaもWahineで出場していましたよ。キヨカも神奈川に行ったマリコも、埼玉に行ったアサコさんも踊ってましたよ〜。皆でまた踊りたいネ!!


●エレナはKa Papa Awapuhiに戻って"Happy!!"


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                                ‘Anihinihi Ke Ola.

                                    Life is in a Precarious Position.
                                       (Life hangs by a thread.)
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