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10.23.2020

Nū Hou Hālau

 【E moe me ka maluhia, Uncle !!】

Pō'akahi, ‘Umikūmāiwa,  'Okakopa

来週の月曜日(10月26日)はUncleの11年忌になる。
Uncleが天上の人となってから、とてつもなく長い時間が過ぎたようにも感じ、ついこの間の事のようにも感じる。

1990年2月14日(バレンタインズデー)に沖縄での不思議な縁で出会い、彼に魅せられ門下生となり、年に何度もハワイへ通いプライベートレッスンを受け、Hulaの醍醐味を満喫。私がお稽古代を支払おうとすると、「お金はいらないからHulaを学んで、僕のHulaをね」と言って絶対にお金を受け取らなかった。
お稽古の時の4時間(朝の8時から12時まで)はとっても厳しいKumu Hulaだったが、私の車に乗せモールまで出向き、 ランチをする際はやさしいUncleだった。
ランチの時にHulaの話はタブーだった。ジョークを連発して笑いあった。

1997年7月7日(七夕)、突然7年ぶりに来沖したUncle、Hālauを設立しようと言う。
私が "Surf Shop Kalākaua"を経営しているのを知っていたUncleは、私の事を"Kalākaua"と呼んでいた。(TVドラマのHawai'i Five Oを見ている人は、まるでコノみたいと思うよね)
だからHālauの名は、”Hālau Hula Kalākaua"に決定!!

そしてHālau Colorは紫(これもUncleが好きな色なのと、高貴な皇室カラーということで決定!!)

<私は自分が楽しかったからHulaをUncleから学んだので、教える事には自信がなかったから先生になる気はなかった。>

私の気持ちとは裏腹に、Hālau Hula Kalākauaがスタートを切った。
この日以来、Uncleは来日する度(年に何度も)沖縄に立ち寄り、私の指導と生徒達のお稽古に精を出された。

2000年12月13日 、(第2回 King Kamehameha Hula Competition in Japan(沖縄のコンベンションセンターで開催された)の前夜。
昨年の第1回同大会の際、Uncleは私の初めての大会出場を心配されて、Kokua KumuにKumu Etua Lopes(Uncleの愛弟子)、そしてMusicianにハービーさん(UncleのBandのギターマン)を派遣して下さった。

Kumu Etuaは出場曲の作曲者であるAkoniにも会いに行き、曲や詞のリサーチから振り付け、さらに大会の際のLei、 Koko等を全てHawai'iから持ち込んだ花材でー人の手で作って下さり(とても美しいLeiとKokoだったのは言うまでもない。彼はLei Makerとしても有名なKumuなのである)、早目に沖縄入りし、皆のお稽古の総仕上げをしてくれた。

またPoliも出場者全員の衣装を手がけたうえ、ボーカリストとして素敵な声で会場を沸かせたにもかかわらず、受賞しなかったことが心外だとして、今回は自らやってきた。
昨日沖縄入りし、皆のお稽古を見てくれ、今夜は大会前日だというのに、Hālauの近くの居酒屋を予約しているから「集合!!」との事。
私は大会前日なので心の余裕もないままそこへ着くと、何ということか"Happy Birthday Poli!!”とのサプライズを計画しているお茶目なUncleが座っていた。
生徒達も、もうすでにお料理を口にしていて遅れた私は叱責を受けたが、すぐにUncleはニコニコと笑ってくれた。

サプライズはそれだけではなかった。
Uncleは何やら証書らしい物をお伴で来たKumu Debbyから受け取ると、Poliに"AuanaとKahiko、僕のHālauを卒業(Uniki)した証書だよ"と2枚さし出した。
続いては"EKKO、これは Kumu Palapala、Kumuになった証書だよ。これを持つ事によって来年からは、Hawai'iの大会へ出場出来る。日本の大会はこれが最後だからね"と言って、私へも一枚証書をさし出した。



正直の所この証書の価値 は、その時にはわかっていなかったと思う。

内心、次の日の大会の心配が先にあったし、Kumu Palapalaって何だろう?ぐらいの物だったと思う。


2000年12月14日(第2回 King Kamehameha Hula Competition in Japan:沖縄コンベンション・センターにて ) 

出場者全員とMusician全員、そしてUncleに私の衣装まですべてPoliが製作。
Vocalとしても活躍してくれたPoliに、改めて感謝!!
Uncleはこの後、大会会場の観客席へこの衣装のまま我々の出演を見守るべく移動したのだが、会場が騒然とした事を後から聞かされた。日本でも、もうすでに有名人だったから。



結果、またしても入賞しなかった。Uncleは私に言った。
"僕は君の事を誇りに思うよ。先生が生徒を作るのではなく、生徒が先生を作るんだよ。今日はとても勉強になったよ。Mahalo nō!!ただし、これからは日本で日本人と競争するのではなく、ハワイでハワイアンと戦うんだよ。だってHulaはハワイの文化だから。君はもうKumu Hulaだから、ハワイの大会に出場出来るよ!!”

入賞出来なかった事に対しておしかりを受けるものだとばかり思っていた私に、Uncleは希望の言葉をなげかけてくれた。
大会後、皆でBarに出かけ大さわぎをした。Uncleもとても嬉しそうだった。



 

2001 年11月(King David Kalākaua Hula Competition Hawai'i島Konaにある、King Kamehameha Hotelにて)

Kumu Hulaの認定を受けて一年もたたないうちに、ハワイから大会のInvitationが届く。
そこで3カテゴリー出場にて全種目3位で総合2位を受賞。Uncleが大喜びしたのは言うまでもない。
しかも国立公園のKīlaueaのHalema'uma'uのすぐそばで(現在は入れない)、Kahikoを踊らせてもらったのも受賞者の特権だった。
この大会で受賞した事から、すぐにKupuna Hula FestivalやWorld Invitational Hula Festivalからも、Invitationが届いた。



2006年
Uncleは米大統領より日本の無形文化財にあたる賞を受賞、Kumu Hulaとしては唯一人の受賞であった。
が実は、2004年あたりから体を悪くしていて病院に入院すると私はHawai'iまでとんで行き、Hotelに滞在して毎日Uncleの病院に通った。
‘Oahu島ではQueen's病院、Hawai’i島ではHiloの病院へお見舞いした。


2007年、Hokule'a号をお迎えするという大役を授かり、無事その任務を遂行。
その旨をハワイへ電話して伝えると、とても喜んでくれた。

6月24日 、朝1番にUncleから電話が入り「今、沖縄のホテルに泊まっていて、これからコンベンションセンターで仕事があるけどすぐに会いに来てくれ」との事。
行ってみるとそこでUncleはもうステージの上にいて、歌っていらした。大きな会場でのHulaのHōíkeのようだった。
その仕事が終るやいなやUncleは私の車に乗りこみ、「Hālauにつれて行ってくれ」と頼んだ。
私はその前にOhana達に電話連絡をしていたので、たくさんのOhanaがもうすでにUncleの来るのを待っていた。
Uncleは体調が悪いにもかかわらず子供達にやさしく語りかけ、Ukuleleを弾き踊ってもくれた。




Ohana達も大はしゃぎだった。
そしてこんなにたくさんのOhanaが集まってくれた事に、Uncleも満足そうだった。
皆の後ろにかかっている紫のハワイアンキルトは その時、皆で手がけでいたもの。
Uncleのために!!

1997年より2003年までは、年に最低でも4回。多い時は7回も来沖し、私を指導していたのに2004年以降、久しぶりの来沖。そして最後の来沖になった。

2008年3月、HālauのOhana全員がひと針(子供達は大人が手をそえて)は縫って作ったハワイアン キルトを病に伏しているUncleに届けるため、Hawai’i島のHiloのUncle宅へと私とPoliは向かった。
お見舞いにデラクルーズ兄弟もいらしていた。(左よりPili、マイケル、私、Poli、そしてデラクルーズ(弟))。
皆で作ったハワイアン キルトを大そう喜び、すぐにBed roomを紫に模様がえしようと、Poliや私にあれこれ指示をしたほどだった。体調が悪くても美に関しては敏感なのだった。


2009年9月Hawai'i島Kona、Kupuna Hula Festival前夜、Konaに着いてすぐ車を走らせHiloまでPoliと二人でUncleの見舞いに行き、夜遅くまたKonaまで引き返した。
Uncleはとてもやつれていたが、私達との再会を喜んでくれた。

そして大会当日、何と昨夜までチューブにつながれ寝ていらしたUncleが、車イスに乗ってナースを伴い会場にあらわれたのにはびっくりしてしまった。
私を応援に来たのだと言い、私とPoliに高貴なMaileのLeiをかけてくれた。"何ということ!!”
MasterにLeiをあげることはあっても、Master Kumu HulaのUncle GeorgeからLeiをもらっているよと回りの皆が言っているのが耳に入る。
"本当にありがとうUncle”(最後にハワイの人達に、私とPoliの事を印象づけたかったのだと思う)


そしてUncleの見守る中、見事2位を獲得!!
私は舞台裏で出場者達にこう言った。「多分、Uncleが私達を見て下さるのは最後だと思うから、今日は賞をとる事を考えないで、皆Uncleを見て。Uncleのために踊って!!UncleはJudge席の横に居るから」
皆の目から涙がこぼれた。
Uncle Georgeのために踊る皆の姿が、Judgeの心もゆり動したにちがいない!!
ともかくUncleを喜ばせることが出来た事に、私は満足だった。

 




2009年10月26日、Hawai'iからの電話。それは悲しいものだった。
Uncleが亡くなったのだ。
受話器を置いてすぐにハサミを捜し、バッサリと髪を切った。
師匠が亡くなったらHulaをやめると決めていたから。
そして切った髪をきれいな和紙にくるんだ。Uncleの棺に入れるつもりで。

しばらくして大変な事に気づいた。私にはもうひとつ大切な仕事があった。
11月にはWorld Invitational Hula Festivalへの出場があった事に!!
髪の毛はどうしよう!!
そしてお葬式はいつなのかであった!!

何という事であろう!!
10月26日に亡くなられたのに、葬式は11月6日と7日の両日にAfook Chinen Civic Auditoriumであるという事だった。
Worldの大会は11月12日〜14日までの3日間だが、11月8日(日)にKumu HulaのWork ShopがKamehameha Schoolで行われるので、私とPoliは11月5日(木)に出発する予定であったのだ。
Uncleは私の懐まで心配して、ハワイと沖縄を行ったり来たりしないよう考えてくれたのだと思う。
本当に今考えても不思議な事!!私とPoliは2日間ずっとそのスタジアムに居りびたった。
二人話すこともせず、ただそのセレモニーにたくさんのMusicianが交替でUncleのために歌うのを聞いたり、Hulaを見たりしていた。
ハワイの友人が私達を見て駆けより、「UncleとエコとPoliの大きな写真が、正面入り口に飾ってあるよ!!」と言ったので、(2日間とも裏口から入っていたので)正面玄関に行ってみるとUncleが次のお誕生日用にと自ら作ったパネルに、一番大きく私とUncle、Poliの三人の笑っている写真がはられていて、ちいさな写真がたくさんはられていたが紫のT–シャツの写真が断然多いので、よく見るとKalākauaのOhana達の写真であった。
たくさんの人を育てたはずなのに、こんなにも私達の事を思ってくれていたのだと気づき、涙がとまらないのであった。

Uncleの葬式の式次第




新聞、ブログ等、Uncleに関する記事










二日間のセレモニーが終わり、涙も枯れて’Oahu島へ向かった。
大会は無我夢中でがんばった。
結果、勝ったのだった。
Helen Desha Beamer賞といわれる'AuanaとKahikoの2種を総合した賞、優勝なのだ。
Kupuna Hula Festivalに続いての受賞で、Uncleが見守ってくれているのを痛感した。
大会委員長のPaulieさんと共に

がんばったWahine出場者達


Worldの大会が終わったらHulaをやめるつもりだったが、Kupuna Hula Festivalの前夜、Uncleを見舞った際私は Uncleに尋ねた。
「Uncle、私はこれからだれに師事していけばいいですか?」
するとUncleは「君はもう大丈夫。一人でやっていける」と答え、「僕のHulaをずっと続けてくれるよね」と言われたので「はい」とちいさく答えたのを思い出した。 

Uncleは私がHulaをやめないよう、この2つの大会を勝たせてくれたにちがいないと思い、Uncleの意志を尊重する事が恩返しだと思い直し、これまでに27回Hawai'iの大会へ遠征し、Hālauも24年を迎えた。
命のつきるまで私はUncle George Na’ope師匠のHulaを伝承し続けます。

だからUncle、安心して。 E moe, moe me ka maluhia!
(Uncleは私達の作ったハワイアンキルトに包まれて、棺に納められたそうです!!)

 

【 PoliのAloha Shirt 】 

大胆な柄、そして色合いだけど、よく似合っているネ!!
ブルーとグリーンを合わせるなんておもしろいよネ!!



【マーちゃん、遊びに来てくれたよ!!】

大きなお腹を抱えてマーちゃんが、Ka Papa Awapuhiに遊びに来てくれた。
お菓子もごちそう様!!12月出産予定との事!!楽しみ!!ありがとうマーちゃん!!


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Moe i ka moe kapu o Niolopua.

(Asleep in the sacred sleep of Niolopua )
Dead. Niolopua is the god of sleep.


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 ☆お知らせ☆
10月 24 日(土)、プラザハウス フラ ショーがあります。
プラザハウスの2F、オープンエアーのステージ。
1部 Pm 2:00〜
2部 Pm 3:30〜

内容の異なる生バンドのショー、両方お楽しみ下さい。

☆無料/出演:Hālau Hula Kalākaua
            協力:プラザハウス ショッピングセンター

(マスク着用を忘れずに)
御友人、御家族お誘いあわせの上、是非お越し下さい。

10.16.2020

Nū Hou Hālau

 【 Wā maika‘i!! 】

雑誌の表紙を飾るのは、Uncle George Na'ope師と彼のバンドメンバー。

左端のハービーさんは1999年、日本での第1回 King Kamehameha Hula Festival が沖縄で開催された際、Uncleの指示で Kumu Etua Lopes (Kokua - Kumu Hula = 私をサポートして下さるKumu Hula)と一緒にmusicianとして来沖。
我々のTeamの演奏を手伝って下さり、今でもKupuna Hula Festivalの会場でお会いする長年の友人だ。 

右端のバービーボーイは長年に渡って、我々のHālauのハワイ大会(World Invitational Hula Festival そして Kupuna Hula Festival)の際には、musicianとして活躍して下さって、沖縄にもお礼の意味でHō'ikeのゲストとして御招待した事があるが残念ながら、その2年後に病いで亡くなられてしまった。

バービーボーイの家はアンクルのすぐお隣りにあったので、私の練習を自分のポーチからながめながら、いつもひやかすのであった。
いつもニコニコしている生粋のハワイアンだった。
(写真は1996年10月号のDC Cardの雑誌)

 

その雑誌の中には「アンクル・ジョージが奏でるハワイアン」としての記事が掲載されていて、メリーモナーク・フェスティバルの創始者であり、ハワイの人間国宝にあたるゴールデン・トレジャーの称号を持つミュージシャンであり、マスタークムフラだと書かれている。
そしてアンクルのステージで唯一のダンサーが、”ウィラニ”である。(その頃15才)

 

私が沖縄でUncle George Na'opeに出会ったのは、彼が東京公演を行う際同行していたウィラニが祖母のお祝いがあるという事で、Uncleを伴い沖縄に立ち寄った際での奇跡的な出来事なのである。

ウィラニは未成年なので、Unceleのステージに出演する時には必ずママが同行する。
そのママがタカコさんといって沖縄出身だった。
私はそのタカコさんともそのお母さん(お祝いの御本人)とも面識はなかったが、”ハワイから有名なフラの先生が来るってよ!!”との事で知人(タカコさんを知る方)に連れられ、見ず知らずのお宅のお祝いの席へ行ってしまったのであった。

そこは勝連の昔ながらのお宅で、タタミの広間には多勢のお客様がいらしていた。
その中に一人だけイスに腰かけ、きれいな大きめのふちのついた白い帽子に花のLeiを巻き、ピンクのマタドールが着るようなジャケット(それには白いコードで飾りもついていて、まさにマタドールのようだった)に、ピンクのパンツの(失礼ながら)おじいちゃんがいらした。
真黒なお顔なので、"あ〜この方がハワイの方だ"とすぐに納得!!
おずおずと近づき、ごあいさつをしハワイのKonaからいらしたと聞いたので、「私の叔母はHiloにいます」と言うあたりから話が盛りあがってきた。
"Hulaは踊る?”と聞かれたので、親指と人さし指を小さくすきまをあけて"チョットだけ"と答えた。
私が幼少の頃より、日系ハワイアンの叔母ちゃん達からフラを(無理やり)習わされていたのだった。だからフラは好きではなかった。
それよりもサーフボードにWaxを塗るお兄ちゃん達にキョーミをもって、その後サーフィンの道に進んでいたのであった。

"チョットだけ"と答えた私に"何を踊る?”と言いながら、そのピンクのおじいちゃんは片わらにおいてあったウクレレをケースからとり出し、チンダミ(調弦)を始めた。
おじいちゃんはKonaから来たと聞いたので、Konaの曲をリクエストした。
その際にも"弾けるの?”と聞いてしまった!!(知らないという事は怖い事だ!!)

多勢の初めての人の前で踊ったにもかかわらず、ピンクじいちゃんの良い声とカッティングの良いUkuleleの音に聞きほれて踊っていたので、回りは一切見えてなかった。

踊り終ったら、今までイスに腰かけていたピンクじいちゃんがタタミの上に座りなおし、私の手を握って"今度ハワイに来たら、私の所に尋ねておいで。弟子にしてあげる"と言った。
私は"来月には行くよ。訪ねて行くネ!!”。
ピンクじいちゃんは言った、”きっとだよ。待っているからね!!”

その日はお祝いの主、タカコさんのお母様にお祝いの辞は述べたものの、なぜかタカコさんとウィラニには会ってないのだったが、これも不思議な話で、ピンクじいちゃんに会って二週間後、私は軍の中のレストランで友人のHelenにさそわれてランチをしていた。
そこへお会いしたことのない女の方が寄ってきて、「エコさんですよね。先日、勝連の母のお祝いにいらっしゃいましたよね?」とおっしゃる。
お話を聞いてみると、Uncle Georgeを連れてきたタカコさんの妹さんだとの事。 

それにしても偶然は重なるもので、そのお祝いの場ではお会い出来なかったタカコさんが、
"私と会えなくて残念がっていたとおっしゃる"ので、「私、明日からハワイ島へ行くのですよ」と言ったら、「じゃ、是非、姉に連絡して!!」と住所と電話番号を下さった。
もちろんそのタカコさんにお会いする事が出来たおかげで、私のUncle George Na'ope氏の門下生としての修業の道が開くのです。
タカコさんの家に下宿出来たおかげで、Uncleの下で勉強することが出来たのです。

☆勉強中の私にUncleは、数々のチャンスを与えて下さった。
この写真はKeauhonでの野外コンサートで、ソロを踊らせてもらった時のもの。
後ろにUncle、そしてナーパラパライのケハウタムレさん。
他にも有名なmusicianが出演していました。

 

その頃からUncleの生音で踊らせてもらって、今考えると大変ありがたい事!!(身の程しらずって言われそう!!)

私はこの日のためにKonaからHiloまで車をすっとばして、シグゼーンで衣装を買ってきたのでした。真中はホロクを着たウィラニ、そしてリンダ。それぞれソロで踊りました。

 

Uncle GeorgeとKumu Etua Lopes(アンクルのお弟子さんで、私の大先輩。99年にはKokua Kumuとして来沖。)
ハワイに私が滞在している時には、毎日お稽古に参加させていただきました。

 

ほろ酔いUncle!!

 

 1997年、沖縄にHālauを作ろうとUncle来沖。

 

最初に集ってくれた生徒達。
Uncleとタカコさん、ウィラニも来てくれた。(Poliの髪形おもしろいネ!!)

早速、アイスボックスを叩いて(Ipuheke、Pahu代わり)お稽古が始まる。
私とウィラニだけのお稽古。ハワイでのお稽古と同じく。


 

ウィラニはUncleの愛弟子だけあって、素晴しいダンサーでした。
風のようなしなやかさとやさしい手の動き、私にとっての素晴しいお手本でした。
今はラスベガスに住んでいてママになっているけど、又、いつか会いたいなぁ!!

この写真はハワイ島のKona。
Uncleが手に持っているのは、Kitty chanのおもちゃ電話。
日本語のお勉強用にとUncleにあげたら、もう喜んで「もし、もし」していました。お茶目なUncleです。
後ろのテーブルにKumu Iwaも見えますネ。

 

●これもKonaで、お稽古が終ったら、やさしいUncleになるのです。
大会後、皆も集ってきて!!”Uncle大好き!! honi!!”


●これはKonaで電動自転車に乗って大はしゃぎのUncle。
私やPoliよりずっと子供だネ。


これは大会会場で、私のためにIpuhekeを選んでくれているUncleです。

 大会会場でSoloで出場するLokelaniを激励するために、いらして下さったUncle。

沖縄で、Hālauの隣のBarで遊ぶUncle。(帽子に注目)




空港にUncleをお出迎え。
「これが目に入らぬか」、ミトコーモンの印ろうを差し出すUncle!!お茶目!!


Uncleの真似して帽子をかぶってみたら「ニアワネ〜」。
鼻の下まで伸びてます。

Happy Time!!

 

PoliのhoniにごきげんUncle!!

Uncleとの出会いは奇跡です。
そうしてUncleの下で勉強するために、タカコさんやウィラニの出現もまるでUncleに出会わせるためにあらわれたかのよう。
この奇跡は、その後の私の人生を大きく変える物でした。
to be continued!!

 

 

【 Ki Manawa 】

●ユキミさん(左)、ミチコさんのさし出すおやつに”ワ〜イ!!” 

 

●大トモさん、2カ月ぶりに復帰!!

 

●チハルさんも2カ月ぶり!!

 

●チカちゃん、ヤヨイさん 2ヶ月ぶり!!
カヨちゃんもお菓子持ってキタヨ!


 

●チカちゃん特製パワーフードだよ!! 

 

☆楽ロビ、リニューアルオープンしました!!



 

 

【 PoliのAloha Shirt 】

茶色でシックで肌ざわりがベルベットのような、高級感のあるAloha Shirt。
生地にはししゅうがほどこしてあるのです。(近くで見ないとわからないけど)
Hawai'iのデパートで買ったの知ってるよ。そうよね、一緒に買いに行ったものネ!!
(お金持ちPoliのお買物について行くと、Ice買ってもらえるから!!ウヒ、ウヒ!!)



 

☆お知らせ☆
10月 24 日(土)、プラザハウス フラ ショーがあります。
プラザハウスの2F、オープンエアーのステージ。
1部 Pm 2:00〜
2部 Pm 3:30〜

内容の異なる生バンドのショー、両方お楽しみ下さい。

☆無料/出演:Hālau Hula Kalākaua
            協力:プラザハウス ショッピングセンター

(マスク着用を忘れずに)
御友人、御家族お誘いあわせの上、是非お越し下さい。

 

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Hilo i ka ua kinakinai, 

Ka ua mao'ole.

(Hilo of the constant rain, where it never clears up.)
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