3月に咲くのにどうして May Flower?
御近所にMay Flowerが咲いた。毎年の疑問、どうして3月に咲くのにMay Flowerっていうんだろう?
Poliに質問してみたら、本当は寒い所に咲く花で、そこではきまって5月に咲くからMay Flower。沖縄は暑い所だから、この3月が寒いところの5月の温度と一緒かもねって答えてくれた。納得!!
スティッチにしては良い答えに脱帽!!
55th Anniversary of the Barbie Doll
2015年3月9日(月)
私はバービー人形とアメリカンドリームをたっぷりつめこんだドールハウスで育った。
引越しばっかりで、小さな時に遊んだバービーもドールハウスももう手元にはないが、やはりスワップミートやバザーでバービーを見ると、つい買ってしまう
というわけで、現在持っている私のバービーコレクション。
左側のバービーはHula Barbie、Pā'ūを着け、手足にはkupe'e、頭にLei Haku、カゴには'uli'uli、pu-iliも入っている。このBarbieは2001年のKing David Kalākauaにハワイに連れて行ったHaumanaからプレゼントされたもの。
それにしてもバービーも55才か!おめでとうバービー!
バービー人形もKupuna Hula Festivalに出場できる年令になったのだ。(Kupuna Hula Festivalの出場資格は55才から)
たくさんの愛が届く
私のOhanaは、皆さりげなく愛を届けてくれる。
N.タズコさんはクラスの始まる前にそっときて、皆のお菓子箱(ピンクのボール)に毎週お菓子をつぎ足してくれる。それも誰にも見つからないようにそうっと入ってきて、そうっとつぎ足して、そうっと出てゆき、自分のクラスの時間に改めて入ってくるのだ。(Hālauのあちこちに監視カメラがある事を知らないのだ。)まるでサンタクロースみたい!
でも私はN.タズコさんはお菓子の妖精と呼んでいる。
ありがとう、N.タズコさん!皆、クラスが終って帰る時にこのお菓子箱からお菓子をもらっていくのを楽しみにしてるから。
I.カオルさんは引っ越した新居のお隣に花屋さんがいて、お花をいただくということで、先日はカサブランカ、今回はご実家(カオルさんは八丈島の出身)から送られてきたという白・黄・赤(赤は初めて見た)のフリージャーを持ってきてくれた。
皆、花の前を通り過ぎた後に必ず花の香りに引き寄せられるかのように戻ってきて、花の香りを嗅ぐ。
フリージャーの香りは春の香り。皆を楽しませる。
ありがとう、I.カオルさん、あなたは花の妖精!!
セツコさんがクラスが終って帰り際にそっと可愛いピンクのふくさを置いていった。
何かな?と開けてみると、おひな様にいただく可愛いお菓子が入っていた。
セツコさんありがとう!
ハワイに留学しているハルカから巨大ティンカーベル人形が届いた。(ユミコとミホがハワイに遊びに行った際、ハルカから預かったといって持ってきてくれた。)
学生のハルカにお金を使わせて、申し訳なく思っているのだけれども、きっと店頭に並ぶティンカーベルを見て、“私”を想い出したと思ったら嬉しくなった。
ハルカありがとう。
アメリカにいるリエから小包が届いた。
開けてみるとBig Island Candiesのクッキー缶にHapuna Beach Prince Hotelのポストカードが添えられていて“Happy Birthday Kumu Ekko”と書いてあり、“このホテルのテンプラアイスクリームおすすめです”ともメモられていた。全くリエはテンプラアイスクリームが好きらしくって、あちこちで試食しているのだろう。(オアフで一緒に食事したときもテンプラアイスクリームを注文していたネ。)
それにしても、ビッグアイランドクッキーズにハプナビーチホテル?
“ハハァ~ン、バケーションでアレックスと二人してハワイ島に行き、ハプナビーチに泊まったのだ。そこで私を想い出し、バースデープレゼントを贈ってくれたのだ。”
遠くに行っても私の事を忘れないでいて、こうやってハワイの超おいしいクッキーを食べさせてくれるリエ、ありがとう!今度一緒にハプナのテンプラアイスクリーム食べよ~ね。
ハワイのバケーションから帰ってきたミヤコさんから雑誌が届いた。
それは'EheuといってJALのハワイ行きの路線内だけで配られている雑誌。
表紙には2007年に直接お会いした事のある“Hokule'a号の船長”ナイノアトンプソン氏があった。
我々とHokule'a号の関係を知るミヤコさんならではの素敵な贈り物だった。
“'Eheu”とは翼の意味。JALの機内誌“'Eheu”は知識に翼をという意味をこめ、ハワイ通のための現地発情報マガジンだ。
2011年Poliと私はWorld Invitational Hula Festivalに出場するべく、Haumānaより先にハワイへと出発した。(大会前に勉強会がカメハメハスクールで行なわれるので、毎回この大会に出場する度、Poliと私は皆より5日間ばかり早目に出発しなければならなかった。)
JALのハワイ行きの便に乗る際、非常ドアの席を指定した。(そこは足が充分に伸ばせて7~8時間のフライトが楽になる席だから。でも何かあった時には率先して、皆の誘導にあたらなければならない席なのだった。)
離陸のアナウンスの後、二人のフライトアテンダントが補助のイスを倒して、我々に一礼した後、我々に顔をつきあわせる形で座り、おもむろに“'Eheu”を手渡してくれた。
私もスマイルでそれを受け取り、パラパラとめくっていたら、いきなりPoliの写真が出てきて、興奮してPoliにそのページを見せていた。(そこには2010年にPoliがWorld Invitational Hula Festivalのステージで踊っている写真が大きく掲載され、内容もWorld Invitational Hula Festivalがとりあげられていた。2010もPoliは優勝していたから、とりあげられて当然だが、取材を受けた大会会長のパウリィージニングスがPoliをえらく気に入っていた。ただし会長は一切ジャッジ(審査)には関わっていないことを記述しておこう。パウリィさんはPoliに会うたび“私の養子にならないか”と言っていた。“可愛い、可愛い”と毎回声に出して言っていた。だから何人かいる受賞者の中からPoliの写真を使ったと私は思っている。)
二人でキャッキャッとそのページを見て笑いあっているので、目の前にいるフライトアテンダントの二人が興味を示してきたので、私は思い切って言った。「このページのこの写真、この人です」とPoliを指差しながら。
するとフライトアテンダントの二人、にわかに「キャ~すごい!! フラをなさるんですネ。私達もその大会応援に行きます。がんばって下さい」とPoliに言っていた。
そのフライト中、なぜだかフライトアテンダント達はPoliに特別サービスをしてたような気がする。(私のジェラシーだろうか?)
そして大会当日、ワイキキシェルのTicket売り場にはJALの制服を着たクルーがJALの旗を掲げ、JALのブースをひろげていたから、本当にあの二人のクルーも応援してくれてたかもね。
ミヤコさんの贈ってくれた一冊の雑誌で、またいろいろな事を思い出しました。ミヤコさん、ありがとう。
私はとても幸せ者。たくさんの愛に囲まれて。
Aloha mai no, aloha aku.
O ka huhū ka mea e ola 'ole ai.
(When love is given, love should be returned.
Anger is the thing that gives no life.)
Ekko Ma'ema'ekapuaokahala Ota