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3.16.2018

Nū Hou Hālau

【‘Aha kū kā】

2018年3月10日(土)

私にとってHālauは、Uncle Georgeから教わったHulaに関するいろいろな事を教える場所であると共に、学ぶ場所でもある。私のHaumānaは大変勉強熱心なので、Oliの解説をしていて様々な質問を投げかけられる。すぐに答えられる場合とそうでない場合には、「来週までに調べてきます」という返事をする。宿題である。その日のうちに家に帰るとすぐにハワイ語辞典や資料を引っぱり出して、質問された内容を調べるのである。
指摘された事柄は、再確認する事により「あ〜なるほど。良い質問だなぁ〜」と納得するものばかりで驚かされる。Uncleがよく言っていた「生徒が先生を作るから、良い生徒が集るHālauにしなさい」と。私のHaumānaから学べる事は山のようにある。人生の生き方、名言、苦言、花の名前からお料理まで。だから私はHālauに教えに行くのではなく、学びに行っているような気がする。しかもLesson feeまでいただいて……(笑)。

花の事といえば、前に桜を見に行った時、ピンクのぼんぼりのような花を見つけブログに“この花の名前教えて!”と書いたら、Kamomiが “ピンクボールっていうらしいよ” と答えてくれた。ねぇ〜このように皆が私にいろいろな事を教えてくれるのが、Hālauなのです。ありがとう、Kamomi!

●ピンクボール

さて今日は “学びの場所Hālau”で夜の7時30分から、1年に1度の “'Aha kū kā” があった。ひらたくいえば “学習会” 。今年の発表は大会に出場した方や応援に行かれた方の経験談がテーマだった。Hālauにはキックの協力でまたしても大型スクリーンが設置され、“もしかして映像も見れるのかも?” と期待が高まった。


●機材を心よく貸し出して設置までしてくれたキック。心から感謝致します。


Ohana達も、時間通りに総勢65名も集ってくれた。


最初にAlaka’iのPoliより、Hālauの “ルールについて” の話があった。Ohanaの皆が快適にHulaを学べる場所Hālauの基本ルールだ。


いよいよハワイでの大会出場者の発表が始まり、最初にKupuna Hula Festivalへ10回出場し、ソロにも出場したMokihanaの話から。



Mokihanaは会社を定年退職する2年前にHālauに通い始めて、18年になる。そのうち10回もハワイ島コナで開催されるKupuna Hula Festival に出場した数々の想い出のエピソードを語ってくれた。Uncle George の写真集の裏表紙には私達とUncleが写っている。その写真集やUncleが我々を指導している写真、ハワイの新聞に掲載された事、大会のパンフレット。様々な事柄をパネルにして持ってきてくれた。彼女の持っている赤いウクレレは、その年の優勝者から賞を取れなかった私達に贈られたもので、“本当はあなた達が賞を取るはずだった。すばらしいHulaをありがとう”と、メッセージまでついていた。Mokihanaは言った。「ただ大会に出ただけではなくハワイの人々と交流し、そしてHulaの歌に出てくる場所に行って、その空気を体感出来るという事は、とても素晴らしい事。是非皆様も挑戦してみて下さい」と。



●Mokihanaが製作したパネル。素晴らしい想い出!!



●Uncle George がイスに腰かけ、我々の練習を見て下さった。

 (King Kamehameha Hotel)



●Uncleの細かい指示が続く。



Uncleが元気な頃は、こうして大会直前まで一緒に細い指導をしてくれた事が何よりの想い出で、光栄な事だったと涙に声をつまらせて語っていた。素晴らしいお話をありがとう、Makihana!!


●Uncleの本。(私の左隣りにいるのがMakhana)


本の中(文章に注目!!ちゃーんとハラウの事が紹介されていますよ!)


続いてWorld Invitational Hula Festivalに4回出場したLanakilaの発表。さすがに今の若者らしく、P.Cを手に登場。大会へ出場する時には週に5〜6日を練習にさいたこと。10mもある布を染め、Ohe Kapala(柄を竹の棒にほって、それを布にスタンプする)をほどこし縫い、衣装を作った様子等をスライドで見せてくれ、実際の大会の映像を流してくれた。私も初めて見る映像で、なつかしくその時の事を想い出した。



●Kapuの事も話してくれた。実際私達はKahikoを踊る大会の一週間前から、このKapuを守った。(Kapuとはタブー、禁忌=すべきではないこと)。魚、 肉、砂糖を使ったもの。アルコール等をすべて断ち、ひたすらビーガンに徹した。皆も興味深そうに聞き入っていた。




●一人10mを用する布に小さな竹の棒でOhe Kapalaするのは気が遠くなる作業だったネ、Lanakila!!
Lanakilaは、W.I.H.F(ハワイ語では E Ho‘i Mai I Ka Piko Hula =フラを原点に戻そうという意味の大会だった)の最後の大会にも参加出来たLucky Girlだ。“Waikiki Shellの大会に出場出来た事は最高の想い出だ”と語ってくれたLanakila。素晴らしい発表をありがとう。

最後の発表はKua'aoだった。彼女のハワイアンネームは、今はSpiritual Leaderとして世界的に有名になったLei'ohu Ryderからいただいた。私はLei'ohuを4回沖縄に、そして我々のHō'ikeにゲストとしてお招きをした。そのお返しにとLei'ohuが “Maui Tour”を企画して下さり、我々は彼女の案内のもとMaui島の聖なる土地、土地を巡り歩く旅をした。その際、Lei'ohuがKua'aoという名を彼女に与えたのだった。(後ろ盾になる若い芽という意味)で、彼女にぴったりの名だ。控えめながらしっかりとした人、“Kua'ao”の発表だ。


Kua'aoはWorld Invitational Hula Festivalにも出場しているが、今回はKupuna Hula Festivalの応援に行った時の事をVideoを編集して皆に見せてくれた。映像は沖縄を出発する所から始って、可愛いKonaの空港、私の友人メドリンがLeiを持って出迎える様子、宿泊する美しいホテル、そのホテルのあちこちで練習する我が美しきKupuna達。そして大会直前の準備をする様子。ステージ上のKupuna達の本番の演技。そして大会後のKaua'i Tourの様子が映像を通じて感じることが出来た。最後にKua'aoは「大会は出場するもよし、応援に行くもよし、やはりハワイ現地を目の当りに感じる事がHulaをするうえでは大切だ」と話していた。
貴重な映像、とても楽しめました。ありがとう、Kua'ao!!

●Kua'aoが最後に出場した大会W.I.H.Fでは、Combine(男女カップル)の部で、Poliとペアになり優勝をしている。


Poliの右隣がKua'ao。(Lanakilaは後列右端にいるが、残念ながらその時はWahineの賞はとれなかった。)

今年の'Aha kū kāも素晴らしかったし、楽しい時間をすごせ、きっかり予定の9時30分にて終了!!皆ありがとう。
準備をして下さった、Paepaeの皆様にも感謝!!
最後は全員で Hawai'I Aloha!!



●Ohana達はとても感動した様子だった。今夜集ってくれたOhana達には “お守り” をプレゼント。これはUncle George から受けついだ慣習だ!!


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“E Malama Pono nā ohana!!”

O Ke aloha ke Kuleana o kāhi malihini.
(Love is the host in strange lands.)
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