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8.29.2014

Poliは“Kinolau O Laka”(ラカの化身)?

2014年 8月29日(金)

Poliは私の元に20年以上いる。
2000年にUncle George Na'ope師から私がKumu Palapala(Kumu Hulaの認定証)をいただいた時、Poliも師のHālauのUniki(卒業)の証(Kahiko部門とAuana部門の両方の証)をいただいた。そして師の指名で私のAlaka'i(一番弟子、Hālauのリーダー)という役目を与えられた。
正直な所、私には驚き(ショック)であった。何しろ、その頃は今よりもお互いそりがあわず、しょっちゅうケンカばかりしていた。もちろん口論のことで、いまだかつてお互いに叩きあったり殴りあったりした事はない。(だってこんなに可愛いTinker-Bellちゃんを叩ける殿方はいるわけない、ウフッ。でも時として私の足の指に魔法瓶を落とす“あれ”はわざと?)冗談はさておき、Uncle George師の決めた事にさからえる訳はないので、ずいぶん長い事、私なりに我慢をしてきた。
最近になってこの話をしてみると、Poliも“こんな我がままな人の補佐をするなんて出来っこない”と思っていたらしい。この頃やっとお互いが見えてきて、議論しあっても妥協点を見つけ、それらを解決することが出来るようになってきている。二人とも少しは成長したのかもしれない。(あるいはUncleが仲良くさせるように仕向けているのかもしれない)
二人の唯一の共通点は、ピーターパン症候群という病気持ち。かなりの重症だ。二人ともまったく子供のまんまである。Poliは8才、私は13才、この年令で精神がストップしているからやっかいなのだ。でも、大人にならない二人だから男と女、性別が違ってもうまくいっているのかもしれない。
Kumu HulaとAlaka'iという役割をそれぞれ与えられ、この14年間二人して築いてきたHālau。
Uncle George師はやはりKahuna(ユタのような人)で未来が見えていたのだ。
PoliがAlaka'iで私を支えてくれたからこそ、今Hālauは存続しているけど、そうでなかったら私はとっくに「ヤーメた~ときーめた」(コレ私のお得意!!)とHālauを放り投げていたに違いない。だって私は自分の会社を持っていて、20代でBMW(外車)を現金で買えるほどのビジネスウーマンだったので、Hulaは魅力はあったけれど、それを仕事にする気はさらさらなかったのである。Hālauを始めて、いろいろな出来事に直面する度“こんな事してないで本来の自分の仕事にうちこめば、もっと楽して楽しい事がいっぱい出来るのに”と、何度Uncle George師と出会ったことを恨んだことか!!(ごめんなさいUncle、今はそうは思っていないので許してね)でもそんな事を思う度、Poliは私を叱咤激励して、私がHālauをやめることを許さなかった。何回いや何十回とそんな事があった。でも、いよいよPoliは2007年に自分の仕事を捨て、Hulaの道に生きる事を決意したので、私もそれ以降Hulaで生きる覚悟をせざるをえなかった。
Poliと私の関係は、線路の2本のレールのように決して重なる事はないが同じ距離を保ち、同じ目的地に向かって平行に進んでいく。枕木はUncle Georgeだ。2本のレールの真中にあって、しっかりその両端のレールをつかみ、2本のレールが曲がることのないように固定してくれる。
今、私はUncleへの感謝でいっぱいだ。Hulaの道があったからこそ、たくさんのHaumānaと出会え、幸せな時を過ごさせてもらっている。
そしてPoliがいなければHālauは成り立たないと思っている。頑固で自己中(自己虫??)なPoliだけれどかけがえのない存在、そして悪友だ。(Poliに感謝!!)
そのPoli、今までHālauがハワイでの大会で獲得した12個の賞のうち、ソロで4個、コンバイン(Poliが入って男女の部)で3個、あと2個は彼が歌って取っている。Alaka'iとして立派に役目を果たしている。(Uncleの目は確かであった)

Uncle George Na'ope師が2006年に出版した雑誌「Humu Mo'olelo」から抜粋。
帽子につけたLeiが素晴らしい!
この写真でUncleが着ているアロハシャツは、生地を私が選び、Poliが縫製して、
二人でUncleのお誕生日にそれを持ってかけつけプレゼントしたもの。
記事中に“沖縄の生徒からのプレゼントの特別なカスタムメイドシャツ”と紹介されています。
長袖シャツが好きなアンクル。カフスボタンがおしゃれ!

8.22.2014

大雨!! それでもお客様満員の大盛況サマーフェスタ!!

2014年 8月17日(日)

朝6時起床! 昨日手に入れた高反発枕なるもので寝たせいか、びっくりするくらい熟睡。そして快適な目覚め。あなどるなかれ、たかが枕、されど枕。すごい!!
おっと今日はグランドキャッスルホテルでのショーのお仕事がある日だ。空は青天!! 最高!! 夕べのうちに準備した衣装や楽譜をバッグにつめこんで、朝のお楽しみcoffeeを持ってラナイ(ベランダ)へ出ると、あれ?雨がポツポツ降ってきた。「あ~これは禊の雨だ」と思っているうちにどんどん大降りになっていく。お風呂からあがっても雨はやむどころかいきおいを増して降り続く。先程まで、ところどころ青い空が見えていたのに、もうどこにも青い空は見あたらなくなってしまっていた。“あっいけない、9時半に集合だった!”急いで雨の中、車を走らせたが、ホテルに着いたのは集合時間を15分も過ぎていた。(ねっ、前にも書いたと思うけれど、私の家には時間泥棒という名の妖精がいて、私が雨を見ているうちに、私の時間を盗んでいくの。)
ホテルの入り口には、もうすでに皆(今日の出演者達)が私の到着を待って立っていた。そして“Alaha e ke Kumu”と口々にあいさつをしながら実にテキパキと私の車に満載している楽器や道具、機材を“あっ”という間に運びおろしてしまった。
ひとまずキャッスルのスタッフの方々へごあいさつをした後、ミュージシャンの機材のセッティング。
これはバンドマスターのJoeがテキパキとこなしてくれる。音響、照明もさることながら、私のウクレレまで調弦してくれる。(Joeはなぜか幼稚園の頃から我が家に出入りしていた。)彼はピアノ、ギター、ベース、ドラム、なんでもこなすマルチミュージシャンで実に心強い。
さてお次はリハーサル。ミュージシャンとダンサーとの調整があるので、第2部のAuanaから始めてKahiko。立ち位置や、どのタイミングでChantするかを決めて終了したのが11:15。開場は11:30なので、あわててステージから控え室へ移動。
控え室の私の化粧台にはクーラーバッグが置いてあって、その中にはKahiko用のKiで出来たしっかりとしたLei Haku(頭飾り)と、Auana用の白やピンクを基調とした中にグリーンや黄のバラを使った美しいLei LokeとおそろいのKoko(髪飾り)が入っていた。
毎回Showの度、小海のママ、貴子さんが作ってプレゼントして下さる。(感謝)


8.15.2014

やる事いっぱい!! でも心はひとあし先にHawai'iへ飛んで…

2014年 8月10日(日)

大変!! なんと来月の今日(9月10日)は、ハワイ島のコナに居てKupuna Hula Festivalに出場しているのです!!
10日がIndividual Competition(男女ともソロの部)そしてHo'olaule'a(前夜祭)、11日が我々の出場するGroup Competition(団体の部、Wahine、Kane、Mixedの部)そして結果発表、授賞式と続きます。
11日は大会の始まる前5:00にProcession of Hawai'i Island Royal Court(皇族達のお出ましです)があって、Kahili(毛槍の様なもの、王様が通られることを示すもの)を持つ従者を先頭に王様、お后様、皇族、チャンター、従者達の行進を見ることが出来ます。私とPoliは毎年Royal Courtに対してチャントをし、Ho'okupu(捧げ物)をしています。
さて、この大会はハワイ島のコナにある超リッチなホテル、Sheraton Keauhou Bay Resort & Spaの施設内にあるConvention Centerで開催されます。もちろん宿泊も同ホテルなので、大会の練習はプールサイドや芝生の上、どこででも練習出来ます。キラキラ光るKonaの海を前にして建ち、館内にはスパイラルプールあり、スパあり、ジャグジーあり、夜にはマンタが見られるように海をライトアップ、朝にはHualala'i(山)がくっきりと見える、とても素敵なホテルです。練習中に喉が渇いても、素敵におしゃれな容器(ガラスの大きな容器の下に蛇口がついている)にレモンやきゅうりの輪切りが氷の中に浮かんでいる、それを飲んでゴキゲン!!
キャ~。もう心だけHawai'iにとんでいっているみたい!!
さてさて、今年でこの大会への出場がなんと10回目。(ハワイへの大会遠征が22回目になります。)ということで、是非とも入賞したいなぁ~。
明日から大会チームを猛特訓しなきゃ。


私の宝物(Kupuna Hula Festivalの大会のパンフレット=プログラム)

1999年
これはUncle Geoage Na'opeにつれていってもらって何度目か覚えていないけど、
大会へ行く度、いろいろなKumu Hulaに私の事を紹介してくださったUncleに感謝しています。

8.08.2014

チム ドン ドン、Bonne ボン お盆です!

2014年 8月8日(金)

沖縄ではお盆のことをシチグヮチ(7月)という。
旧暦の7月13日のウンケー(精霊むかえ)から始まって、まさに今日です、そして15日のウークィ(精霊おくり)で終わるのですが、ウンケー(お迎えの日)は夕方、門前にローソク(昔は松明だったそうな)をともし、それまでに仏壇を清め、位牌を浄め、お供え物をし、提灯にあかりをともします。(私の覚えている限り)お供え物はモチ、アゲドウフ、三枚肉、コンブ、ごぼう、かまぼこ。そしてミンスクーといって水を入れた容器(洗面器状の大きなアルマイトの容器)にサトウキビを細く切ったり、野菜のこま切れを浮かべたものがあって、それは仏壇の下に置かれていた。なんと、餓鬼などの悪霊に与えるものなのだそうだ。
精霊について悪霊もついてくるらしい。何しろこの3日間あの世とこの世には行き来できる道が現れるので、悪いものもいっぱい来るらしい。でも、それを大きな心で悪霊の分(ちっとも美味しそうではないヨ。水っぽいサトウキビや野菜ではネ。でも、きっと悪い事したから悪霊になっちゃったんだから、少しは反省しなさい!!という事かな?)も準備しちゃうんだから、人間(生きている人)って心が大きいなと思ったものでした。
さて、精霊のためのお供え物には萩の小枝で作ったお箸を添えておきます。(御先祖様がご馳走をいただけるように。)あ~だから私の家には萩が植えられていたのだと記憶をたどる。そしてサトウキビを立てておくのです。これは御先祖様があの世に帰るための杖なのだそうです。
ウークィ(精霊おくり)は15日の夜遅く(早くすると「サッサと帰ってしまえ」といわれているようで御先祖様は気を悪くするといいます。だから名残惜しそうに出来るだけ遅い時間)仏壇にお線香をあげた後、紙銭(ウチカビ=グソーのお金=あの世のお金、御先祖様におこづかいをもたせるのです)を焼いて、お供え物の一部とお線香の残りを入れたものを戸外の角において、手を合わせて精霊達を送ります。エイサーはあの世からの霊の集団とみなされ、ウークィの済んだ家々をまわり、酒肴の供応を受けて(御祝儀というかチップというか)念仏踊りを踊ります。
ご先祖様もチムドンドンしながら、エイサーを踊りながら、さとうきびの杖をついて帰っていくのでしょうネ・

皆様、御家族、御親戚集まって、楽しいお盆を!! Bonne Nuit!!

Ekko Ma'ema'ekapuaokahala Ota



2014年 8月17日(日)

お盆が終わったら、キャッスル・サマーフェスタへ行こう!!
首里にあるホテル日航那覇グランドキャッスルの宴会場「首里の間」で行われます。
詳細はフライヤーー、または“キャッスル・サマーフェスタ特設ページ”を見てネ。

チケットを買うと特典は、

○和、中、洋食のシェフの人気メニューが食べ放題。

○当日のプール入場無料。

○お楽しみ抽選会でホテルの宿泊券やランチ、ディナー券等の商品が当たるかも。

○目玉はハラウ フラ カラカウアのショー(2部構成、1部は古典(Kahiko)約40分、2部は現代(Auana)約40分)

ご予約・お問合せは、
 098-886-5464

☆お早めに!! 楽しいShowをお約束!!




第17回 Hō'ike のチケット発売中!!

プラザハウスの1Fインフォメーションにて、10月26日(日)にかでな文化センターで開催予定の ハラウ フラ カラカウアのホイケのチケットを発売中です。

また、ハラウ フラ カラカウアの生徒からもチケットを購入できます。

どうぞ、お早めにお求めください。

8.01.2014

2014 Hawaiian Night Special Dinner Buffet

2014年 7月26日(土) 7月27日(日)

“Jimmy's Presents 
  Hawaiian Night Special Dinner Buffet”

夏真っ盛りの週末にあてて、このお仕事をいただいたのが3ヵ月前。(イベントのお仕事は事前3ヵ月前に契約をすることにしている。なぜならプログラムを組んで、ダンサーを選び、お稽古をつけ、ミュージシャンと曲の練習、それからダンサーとミュージシャンとの合同練習、仕上げに衣装、Lei、Kokoの選択、制作。日常のスケジュールをこなしながら、これらの事を平行してしなければならないので、最低3ヵ月は必要なのだ。)
現在は1年単位でオーディションでダンサーを選ぶ。もちろんHaumānaの中からである。
私のHālauでは普通のクラス以外に大会(ハワイでの競技会)に向けてのクラスが年令別にあって、最初は筋力、持久力(古典=Kahikoを踊り、現代=Auanaも難度の高い踊りを踊るには、それ相当の筋力が必要)をつけることから始めて、それから大会レベルの踊りを習う。その大会クラスから希望者をつのり、オーディションでダンサーを決める。オーディションに受かったダンサーは自分のクラス、大会クラス以外にもうひとつ、ショーのためのクラスでお稽古をしなければならない。でも、このクラスは一切お金はいただかないし、充分良いダンサーになったら、ギャラももらえるようになる。これは私の考案したHālauのためのscholarship(奨学金制度)。Hulaが好きで、もっと勉強したいという人のために大きく門戸を開いている。とはいってもお金を払って見てくださるお客様の前に出て踊るためには、日頃のお稽古とたくさんのステージ経験が必要。そして私がもっと重きをおいているのが、人間性。協力的でチームで動くことの出来る協調性を持つ人を探すようにしている。さもなくば良いShowは出来上がらない。

今年のメンバー“'Ōlapa”(ダンサー)も、仕事や学業をしながら週3回以上のお稽古にリハーサルを経て、このShowに参加している。
控え室ではモクモクとLeiやKokoを作ったり、互いの髪を結いあったり、化粧をしあったりとほのぼのムードだが、いったんShowが始まると、思いっきりの笑顔とパワーでお客様の心をつかんでしまった。4ステージの最初っからキラキラ輝きを見せてくれた。どうやら彼らは“Showほど楽しい商売はない”というのを肌で感じたに違いない。
私とPoliはコンビを組んで20年以上ステージに出続けてきた。いろんな依頼があった。
フランスと東京を結ぶという式典になぜか日本橋でKahikoを踊ったり、東京渋谷のShakey'sそしてセイロカガーデン、はたまた日本丸に乗って船の中でのShowやWork shop。
お稽古や準備や片付けは大変だけれど、なぜか楽しい。苦しいけれど楽しい。やめられないのです。
遠い昔、高校生の頃、今のBand(Ho'okahi)のメンバーの一人Joeとも、毎週末某ホテルのプールサイドの“ウィークエンドショー”で、Rock BandのVocalとしてバイトしていたことを思い出しちゃった。懐かしい!!

今回のジミーでの4ステージも“'Ōlapa”(ダンサー)チームの明るいKaheaとキラキラ笑顔、そして“Ho'okahi”(ミュージシャン)のダイナミックな演奏でお客様も大盛り上がり。

それでは、今回のジミーのShowのバックステージの模様の写真をご紹介いたしましょう。

リハーサル風景