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3.29.2014

初めてのハワイ遠征の旅! ③

先週号まで(前々回前回のブログ記事)のあらすじ 
初のハワイ大会“21st Annual King David Kalakaua Invitational Hula Festival”遠征の話。2001年11月13日ハワイ島Konaに到着。即、練習に次ぐ練習。翌11月14日、朝より禊。新鮮な'Opihiを食したり、Body Surfingしたり、やっとハワイに来た!!って感じ。夕方よりHo'olaule'a(前夜祭)。KumuエインズリーひきいるMusician達の素敵な演奏を楽しんだり、踊ったり、たくさ~んいるAunty達とおしゃべりしたり、最後はUncle Georgeの踊るKipukaiで大興奮のうちにフィナーレ。

2001年11月15日
いよいよ大会が始まろうとしていた。
大会会場はKamehameha HotelのTennis Court Stage。
大会スケジュールは下記の通り。

15日(木)  ・Kupuna Division     →我々が出場する部門
     ・Lokomaika'i Division    → 〃
     ・Awards(その日の授賞式)  → 〃
16日(金)  ・Miss Na Kamalei O Kona
      (6~13歳の女子ソロの部門。
      Kahikoのみ審査されるが、事前に面接があり、当人が踊るKahikoの意味や
      歴史の理解度やハワイアンマナー、レイや衣装についても質問される。
      Kumu Hulaがきちんと教えているかが問われるのである。)
     ・Kaikamahine Hula Kahiko
      (Keikimahineともいう)
      (6~13歳の子達の古典フラの部門)
17日(土)  ・Kaikamahine Hula Auana
      (6~13歳の子達の現代フラの部門)
     ・Awards(16・17日の授賞式)

この大会は3日間あるうちの2日間を、次を担う子供たちのためにさいている。
フラを子供たちに継承してほしいと願う大会主催側の熱い想いを強く感じた。

さて大会当日、私はMusicianに会場入りの時間の確認の電話を入れた後、Leiを受け取りに行き、控え室まで運んだ。まだ誰もいない控え室で一人考え事をしていた。実は皆がハワイに着いてから、大変な出来事がおきていた。Wahineの一人の衣装(Auanaのスカート)がカギ型に切られていたのだ。皆が到着したその日に、私は全員に衣装を着けさせ、点検していた。Kumu Debbieも同席し“日本の子はお尻が小さいからパットを入れたほうがいい”と言ったりして。もちろんKupunaも全員その場に居あわせた。それなのに次の日“衣装が切られた”と泣いてかけつけた子がいて、びっくり。でももっとびっくりすることに、その衣装の色とぴったり同じ色の補修用キットを持っている子??がいて、もっとびっくり。大会という大変な場なので、何も憶測せず、応援団の一人にきれいに縫ってもらって、事をあらだてないことにした。私は控え室で一人「どうぞこの旅の最後まで皆を守ってください」と祈った。

今回の大会では15Halauがエントリー。
日本からはKumu Etua Lopesひきいる東京のHalauと我々カラカウア。
あとの12HalauはすべてハワイのHalauだった。

pm 5:30開場
      6:00開演 セレモニー、ジャッジ紹介
      6:30大会開始
MCはハワイ島で有名なアナウンサーのHonolulu Skylark。
我々は18演目あるうちの5番目でKahiko(Wahine)、15番目Kupuna、そして16番目でLokomaika'i WahineのAuanaに出なければならなかったので、他のチームの踊りを見る余裕はなかった。
控え室で化粧、衣装を整え(もっともKahikoはノーメークが原則)、お迎えの方がくるまで待たなくてはならなかった。
さぁ、いよいよ大会の進行役が「Your turn」と言って迎えに来た。

キンチョー!(蚊取り線香持って来ればよかった!!笑)

3.21.2014

初めてのハワイ遠征の旅! ②

先週号(前回のブログ記事)のあらすじ 
2001年ハワイから“21st Annual King David Kalakaua Invitational Hula Festival”の招待状が届き、11月13日沖縄を出発。羽田→ホノルル→ハワイ島のコナ空港へ到着。ステイ先のKamehameha Hotelに荷を置き、すぐにKona Isleのバックヤードで海を見ながらの練習、というところまででした。
ブログの中では招待状が届いてすぐにハワイに飛んでいるのですが、実際はそう簡単にはいかなくて、大会に出場するためには、やらねばならないことが山のようにありました。
まずFact Sheet作り。大会のテーマにそって何を踊るかを決め、その曲目のリサーチ(作者のバックグラウンド、いつ頃書かれたのか、どういう意味が込められているのか)をし、ハワイ語で書かれた歌を英訳し、私の考えも述べ、衣装、ミュージシャン、レイの詳細を書き、期限内に(ハワイなので郵便事情を逆算しなければならない)提出することから始まる。
この大会ではWahine部門とKupuna部門の二つにエントリーした。Kupuna部門はAuana(現代)だけで良いのだが、Wahine部門は必ずAuanaとKahiko(古典)が必須。だから、この大会だけで(2部門のエントリーだけで)入退場の曲も含め7曲を選んだ。
書類作りがすむとすぐに踊りを教えはじめなければならなかった。
同時にハワイにTelして、懇意にしているLei MakerのLaniさんにレイを作ってもらえるように頼み、ミュージシャンを探してくれるよう、その大会でKokua(助ける意)して下さったKumu Debbie Ryderに頼んだ。
衣装は私のAlaka'iでスーパーマルチタレントのPoliがすべて作った。私がFact Sheetに文字で書き込んだものを実際に衣装にするという凄腕のPoli!! しかも歌って踊れて水泳はインストラクターの資格まで持っている、こんなスーパーAlaka'i(アラカイ)ってそうイルカイ?イヤ、ソウソウ イナイカイ、アラ ソウカイ!(なんちゃって ハハハ!)
(と、おふざけはこのくらいにして、) 

私はこの大会までの間に2回ハワイに通った。
Bishopへ行ってリサーチしたり、本屋へ行って資料になりそうな本を集めたり、Kumu Debbieにお稽古つけてもらったり(Uncle Georgeは世界中を飛び回り、忙しくしていた)、Lei Makerに会ったり、ミュージシャンと打ち合わせしたり(歌はPoliがうたうので、ウクレレ、ギター、ベースを依頼した)、朝から晩まで動き回った。
'Oahu島ではHotel住いだが、ハワイ島では家があった。(あっ、勘違いしないでネ)私の家ではなく、私の大恩人Takako Mamaの家だ。私はこの家があったからこそUncle GeorgeからHulaを習えて今に至るのであった。しかもTakako Mamaの沖縄の実家でUncle Georgeと出会う(それまでTakako Mamaと私は会ったこともなかった)、まさにTakako Mamaなくしては今の私はない。(彼女の話はすごくふしぎな事が多いので、いつか必ずまとめて書いてみようと思っている。)
サポーターのTakako Mamaもいるので、着々と準備は進んでいったところで、アメリカで9.11の悲劇が起きた。しばらくこのニュースでアメリカが騒然としているので、大会ができるのか不安だったことを想い出した。

さて11月14日、前日沖縄からハワイへ到着、息もつかさず練習をさせて、う~んと疲れさせて寝かせたから、Haumanaの皆は時差ボケもなく元気。
Kumu Debbieが近くの海に禊に連れていってくれた。
(残念。誰もカメラを持っていってなく、写真が1枚もな~い。)
Kupunaは波がこわいといって、なかなか海に入ってこないから、私がBody Surfingを見せたら“おもしろそう”っていって次々に入ってきたから、Body Surfingを教えてあげたら、楽しいからって今度は海から上がってこようとしない。

ロコの人にとれたての'Opihi(アワビの一種)をもらって皆でほおばる。美味しい!“'Ono 'ono”とめちゃ食い。新鮮な貝を海で食べるのって最高!'Opihiおいしいよ!!
夕方(pm6:00)からKamehameha HotelのIslander roomで“Ho'olaule'a”(前夜祭)が始まった。
Uncle Georgeも海外から帰ってきた。皆ハワイでUncleに会って大喜び。(この大会の前にUncleは2度も沖縄に来て、皆にお稽古をつけてくれた。)

(写真右下の日時は、カメラの設定ミスですので、無視してくださいね。)

前列左よりKamehameha HotelのHeiauの主Mikahala、Uncle、Poli、Bobby Girl。

3.14.2014

初めてのハワイ遠征の旅! ①

もう13年前のことになる。
2001年春(ちょうど今頃)ハワイからちょっと分厚い茶色の封筒が届いた。
21st Annual King David Kalakaua Invitational Hula Festivalからの招待状だった。




ハワイ島コナで行われるフラの大会(競技会)からの招待状だ!
ヤッター!とうとうハワイ大会への招待状Get!!
思わず小躍り3分♪♪♪
息を整えてハワイの師匠(Master Kumu Hula:George Na'ope師)にTelにて報告。
高いテンションでしゃべりまくる私の話をすべて聞いてから、
「良かったネ。だけどエントリーフォームの締め切りを守ること。
何を踊るか、どのカテゴリーにでるかが決まったら、また電話しなさい。
衣装やレイの事もよく考えてね。I love you Ekko.」
アンクル・ジョージの電話の最後のやさしいアイラブユーが大好きで、電話を握りしめ、しばし余韻を楽しむ。
お稽古の時の超きびしい声と、普段の声は全然別人!
(おっと本題に戻らなきゃ!)そういうわけで、初の大会に挑戦することになったのです。
Wahine(20代)部門で6人、Kupuna(40代以上)部門で7人、応援4人、アラカイのPoliで合計18名が11月13日に沖縄から羽田、そしてホノルル、そこからコナまで3機を乗り継いでいよいよハワイに到着!
私はというと、初めてのハワイの大会なので、レイの準備やミュージシャンとの打ち合わせで一週間前にハワイへ行き、皆をお迎えしました。

今回のブログは、2001年11月13日、皆がコナに到着した時からの出来事です!

3.07.2014

Halau News & Report

Aloha!
今週号は話題盛り沢山!

まず、2月25日はUncle George Na'ope師のお誕生日。
皆よりUncleにプレゼントがありました。
カズミャーはデンファーレのレイ、コウミママはスウィートピーのレイ、Kua'aoはTiのレイ、アチャミはUncleの大好きなお酒をとビール、Haliakealohaは素敵なお花を活けてくれました。
Maile classはUncleの顔写真のプリントされた黒のTシャツでお稽古をし、皆でUncle Chant"Lanakilakeikiahiali'i" を歌って祝いました。

きっと天国でお酒を片手にごきげんだったことでしょう。
何も言わなくってもOhanaの皆はちゃんとUncleのこと覚えていてくれますよ。
そんな優しい皆に心からありがとうって言いたいです。
Uncleのこと、いつまでも忘れないでいましょうね。
今このHalauでやっている事すべてUncleが教えてくれたこと!!


Hau'oli la  hanau e  ke  kumu  Lanakilakeikiahiali'i Na'ope !!


そして、2月9日(日)の「外国人による日本語弁論大会」の模様を客席からミサトさんが撮って送ってくださった写真が届きましたので、ご紹介しましょう。