先週号まで(前々回&前回のブログ記事)のあらすじ
初のハワイ大会“21st Annual King David Kalakaua Invitational Hula Festival”遠征の話。2001年11月13日ハワイ島Konaに到着。即、練習に次ぐ練習。翌11月14日、朝より禊。新鮮な'Opihiを食したり、Body Surfingしたり、やっとハワイに来た!!って感じ。夕方よりHo'olaule'a(前夜祭)。KumuエインズリーひきいるMusician達の素敵な演奏を楽しんだり、踊ったり、たくさ~んいるAunty達とおしゃべりしたり、最後はUncle Georgeの踊るKipukaiで大興奮のうちにフィナーレ。
2001年11月15日
いよいよ大会が始まろうとしていた。
大会会場はKamehameha HotelのTennis Court Stage。
大会スケジュールは下記の通り。
15日(木) ・Kupuna Division →我々が出場する部門
・Lokomaika'i Division → 〃
・Awards(その日の授賞式) → 〃
16日(金) ・Miss Na Kamalei O Kona
(6~13歳の女子ソロの部門。
Kahikoのみ審査されるが、事前に面接があり、当人が踊るKahikoの意味や
歴史の理解度やハワイアンマナー、レイや衣装についても質問される。
Kumu Hulaがきちんと教えているかが問われるのである。)
・Kaikamahine Hula Kahiko
(Keikimahineともいう)
(6~13歳の子達の古典フラの部門)
17日(土) ・Kaikamahine Hula Auana
(6~13歳の子達の現代フラの部門)
・Awards(16・17日の授賞式)
この大会は3日間あるうちの2日間を、次を担う子供たちのためにさいている。
フラを子供たちに継承してほしいと願う大会主催側の熱い想いを強く感じた。
さて大会当日、私はMusicianに会場入りの時間の確認の電話を入れた後、Leiを受け取りに行き、控え室まで運んだ。まだ誰もいない控え室で一人考え事をしていた。実は皆がハワイに着いてから、大変な出来事がおきていた。Wahineの一人の衣装(Auanaのスカート)がカギ型に切られていたのだ。皆が到着したその日に、私は全員に衣装を着けさせ、点検していた。Kumu Debbieも同席し“日本の子はお尻が小さいからパットを入れたほうがいい”と言ったりして。もちろんKupunaも全員その場に居あわせた。それなのに次の日“衣装が切られた”と泣いてかけつけた子がいて、びっくり。でももっとびっくりすることに、その衣装の色とぴったり同じ色の補修用キットを持っている子??がいて、もっとびっくり。大会という大変な場なので、何も憶測せず、応援団の一人にきれいに縫ってもらって、事をあらだてないことにした。私は控え室で一人「どうぞこの旅の最後まで皆を守ってください」と祈った。
今回の大会では15Halauがエントリー。
日本からはKumu Etua Lopesひきいる東京のHalauと我々カラカウア。
あとの12HalauはすべてハワイのHalauだった。
pm 5:30開場
6:00開演 セレモニー、ジャッジ紹介
6:30大会開始
MCはハワイ島で有名なアナウンサーのHonolulu Skylark。
我々は18演目あるうちの5番目でKahiko(Wahine)、15番目Kupuna、そして16番目でLokomaika'i WahineのAuanaに出なければならなかったので、他のチームの踊りを見る余裕はなかった。
控え室で化粧、衣装を整え(もっともKahikoはノーメークが原則)、お迎えの方がくるまで待たなくてはならなかった。
さぁ、いよいよ大会の進行役が「Your turn」と言って迎えに来た。
キンチョー!(蚊取り線香持って来ればよかった!!笑)